垂仁天皇

第11代垂仁天皇(すいじん)、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこさち)

父・崇神天皇 母・御間城姫(みまきひめ)
皇后・狭穂媛命(さほひめ)
子・誉津別命(ほむつわけのみこと)

日葉酢媛命(ひばすひめ)
子・大足彦忍代別尊(景行天皇

皇居・纒向珠城宮(まきむくのたまき)---奈良県桜井市茅原

略歴 (紀元前)(1世紀)
BC69--崇神29年01月01日 生誕
BC50--崇神48年04月19日 立太子
BC29-壬辰-垂仁01年01月02日 即位
BC28-癸巳-垂仁02年02月09日 狭穂媛命を皇后とする。
BC28-癸巳-垂仁02年10月 都を纏向の珠城宮とした。
BC26-乙未-垂仁04年09月23日 狭穂媛命が兄の狭穂彦王(さほびのみこ)に天皇殺害の依頼を受ける。
BC25-丙申-垂仁05年10月01日 皇后狭穂姫(さほびめ)の涙で狭穂彦王(さほびのみこ)の謀反を知りこれを滅ぼす。                  狭穂彦王の妹であった皇后狭穂姫は自殺
BC23-戊戌-垂仁07年07月07日 当麻蹶速(たいまのくえはや)と野見宿禰(のみのすくね)に角力(相撲)をさせ勝った野見宿禰に当麻蹶速の土地を与え登用する。
  
BC15--垂仁15年02月10日 日葉酢媛を後宮にいれる
BC15--垂仁15年08月01日 日葉酢媛を皇后とする
BC13--垂仁17年 日葉酢媛との間に第二子大足彦忍代別尊(景行天皇) が生まれる
BC02--垂仁28年11月02日 亡くなった叔父にあたる倭彦命(やまとひこのみこと)を葬った際の殉死者のうめき声を聞き以後の殉死を禁じる
3--垂仁32年07月06日 日葉酢媛が亡くなる。(写真は日葉酢媛墓)佐紀陵山古墳

8-戊辰-垂仁37年01月01日 大足彦忍代別尊(景行天皇) を皇太子とする
61--垂仁90年02月01日 田道間守(たじまもり)を常世国(とこよのくに)に遣わし「非時(ときじく)の香果(かぐのみ)」を求めた。----橘のことである。いわゆる蜜柑を手に入れるため田道間守は常世国(とこよのくに)へ発つ。
70-庚午-垂仁99年07月14日 纒向宮で崩御 139歳
70-庚午-垂仁99年12月10日 菅原伏見陵に葬られる
71-辛未-垂仁100年03月12日 常世国に遣わされた田道間守が非時の香果を持ち帰ったがすでに遅く田道間守は泣き叫び死んだといわれる。