大浦政信

大浦政信

(おおうら まさのぶ)
1497年(明応6年) - 1541年(天文10年)
父・大浦盛信
子・大浦為則大浦守信

大浦為則の父で、戦国時代 (日本) 戦国時代・津軽地方の武将。
津軽地方の国人であり、武勇に優れていたが、性格がわがままだったため家臣たちから人望がなかったと言われている。1541年、小山内満春が守る和徳城を攻めてたが、戦死した。ところが、大浦軍の家臣たちは本拠に撤退するまで政信が討ち死にしたことはおろか、軍内にいないことすら気づかずにおり、本拠に着いたところで「殿がいないッ」と慌ててその姿を捜したとまで言われている。
なお、政信が、摂関家の近衛氏の者と大浦為則の娘の間にできた子とし、以来、本姓が源氏(清和源氏)から藤原氏に変わった、とする資料もある。

津軽家