姉小路家

江戸大名公家

姉小路家  羽林家 新家 内々    200石
藤原氏北家公季流 伯爵
居所・日御門通北角(京都市上京区)
三条家8代実房の子公宣が家祖にあたり、鎌倉初期に始まる。公宣以降5代続いたが、その後、公景が再興するまで270年余りの断絶期間がある。が、この断絶期間の一時、「姉小路」を称した家がある。戦国時代のことであるが、朝廷も認知しているから偽者ではない。
鎌倉幕府が滅んだ後、武家政治の空白期間が生じ、後醍醐天皇の親政が行われる。この時、飛騨の国司に姉小路高基が任命される。高基は三条家の流れの姉小路家ではなく、平安中期に摂政関白を務めた藤原忠平(号は小一条)の孫済時の流れで、済時が姉小路に居住したことから姉小路を子孫が名乗るようになったといわれる。
この姉小路家室町幕府が開府して飛騨の守護として京極氏が任ぜられると、京極氏に滅ぼされてしまうのだが、京極氏の家臣に三木氏がおり戦国時代になると守護京極氏を凌ぐ勢いを持ち、三木良頼が当主の時に姉小路の名跡を継いだのであった。
三木良頼以降数代の当主が姉小路を名乗るが、豊臣秀吉に敗れ、徳川家に仕えるようになってからは姓を三木に復している。というわけで、徳川の江戸時代になってから姉小路を名乗るのは、7代公景に始まる当家のみということになる。

幕末、19代公知は三条実美と並ぶ過激尊王攘夷派の代表格、文久3年(1863)朝議の帰途に暗殺された。
 
7代・公景(きんかげ)
阿野実顕の子 母は吉田兼治の娘
生没・慶長7年(1602)~慶安4年(1651)
従二位権大納言
正室・西洞院時慶の娘
子女・8代実道 実種(風早家家祖)
実富(山本勝忠養子) 実勝(大宮季光養子)
女子→姫路藩酒井忠清室
女子→鶴牧藩水野忠位室
女子→飫肥藩伊東祐由室

8代・実道(さねみち)
公景の子 母は西洞院時慶の娘
生没・寛永10年(1633)~万治3年(1660)
正四位上左近衛中将
正室・高辻遂長の娘
子女・9代公量

9代・公量(きんかず)
実道の子 母は正室高辻遂長の娘
生没・慶安4年(1651)~享保8年(1723)
正二位権大納言
正室・不詳
子女・10代実同 実紀 実武 
興誠(谷田部藩細川興栄養子)
女子→花園実廉室
女子→姫路藩酒井忠相室
女子→唐津藩小笠原長庸の母

10代・実同(さねとも)
公量の子 母は某氏 
生没・延宝4年(1676)~天和2年(1682)
従五位下
正室・なし
子女・養子実紀(11代)
11代・実紀(さねのり)
9代公量の子 母は某氏
生没・延宝7年(1679)~延享3年(1746)
正四位上左近衛権中将
正室・不詳
子女・養子実武(12代)

12代・実武(さねたけ)
9代公量の子 母は某氏
生没・元禄9年(1696)~享保11年(1726)
正四位上参議
正室・不詳
子女・13代公文 基名(石山師香養子)
定子→ 桜町天皇典侍(桃園天皇生母、院号は開明門院)

13代・公文(きんあや)
実武の子 母は某氏
生没・正徳3年(1713)~安永6年(1777)
従一位権大納言
正室・大溝藩分部光忠の娘
子女・14代実茂 公聡 季文(花園公純養子)
女子→樋口方康室

14代・実茂(さねしげ)
公文の子 母は正室分部光忠の娘
生没・寛保4年(1744)~宝暦11年(1761)
正五位下左近衛権少将
正室・不詳
子女・養子公聡(15代)
15代・公聡(きんとし)
13代公文の子 母は某氏
生没・寛延2年(1749)~寛政6年(1794)
従二位権大納言
正室・徳山藩毛利広豊の娘
子女・16代公春 季延
聡子→光格天皇典侍 女子→樋口宣康室
16代・公春(きんみつ)
公聡の子 母は正室毛利広豊の娘
生没・安永7年(1778)~寛政13年(1801)
正四位下右近衛権中将
正室・不詳
子女・17代公遂
17代・公遂 (きんかつ)
公春の子 母は某氏
生没・寛政6年(1794)~安政4年(1857)
正二位権中納言
正室・平戸藩松浦清の娘
継室・三条公修の娘
子女・18代公前 宣嘉(沢為量養子) 
基文(石山基逸養子)
18代・公前(きんさき)
公遂の子 母は正室松浦清の娘
生没・文化13年(1816)~安政3年(1856)
正四位下右近衛権少将
正室・中院通繫の娘
子女・19代公知
19代・公知(きんさと)
公前の子 母は正室中院通繫の娘
生没・天保10年(1839)~文久3年(1863)
正四位下右近衛権少将、贈正二位贈参議
正室・不詳
子女・養子公義(20代)
20代・公義(きんとも)
万里小路博房の子 母は某氏
生没・安政6年(1859)~明治38年(1905)
従五位上
正室・不詳
子女・21代公政