安本氏の方法への批判(Historical)

在位年代推定の方法(Historical)?

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3.安本氏の方法への批判

さて、安本は、以上のような方法によって、古代の天皇の在位年数の平均が10年程度であると考えた。また、卑弥呼天照大神であるとした。これは、妥当だろうか。

私は、以下の点に疑問を持っている。

1)安本は、古代の王や天皇ほど、在位年数が短いことの根拠として、

A)生物学的な条件…古代では平均寿命が短かった為に在位年数も短い。
B)政治的な条件…古代では天皇が直接的に政治権力を持っていたが、次第に直接的な権力から離れ、却って地位が安定した為に、古代では在位年数が短く、時代と共に在位年数が長くなる。

という点を挙げている(安本『卑弥呼の謎』)。だが、これは本当だろうか。確かに奈良時代天皇の平均在位年数は10年程度(奈良七代七十年)だが、奈良時代や平安時代といえば、天皇は譲位することの多かった時代ではなかったか、というが私の率直な印象である。つまり、他の要因は無いのかという疑問である。従って、古代において、在位年数が少なくなる要因を、より詳細に検証する必要があるのではないか、と思うのである。

2)安本は世界の諸王や後の天皇の在位年数をもとに、古代の天皇の在位年数を推定している。だが、この場合には、その前提として、古代の天皇の地位と世界の諸王や後の天皇の地位とが、基本的に同質であることが条件となる。同質であるというのは、少なくとも、「世界の諸王や後の天皇の在位年数」の示す値と、「古代の天皇の在位年数」を示す値とに有意差がない、という意味である。

私は、この点に疑問を持っている。

安本はこの点にまったく疑問を抱かなかったのか、この検証をせずに推定を行っているが、もしも、有意差が存在するならば、「世界の諸王や後の天皇の在位年数」によって「古代の天皇の在位年数」を推定することに意味は無い。本当に両者の間に差が無い(と見なしてよい)のかを、充分に検証する必要がある。

この二点だ。順次、検証しよう。
3-1.古代の王の在位年数が短い理由

さて、まずは、日本の天皇から見てみよう。安本のグラフ1における時代区分に従って、その「没年齢平均」「譲位の有無」「先代との関係」を示した表が、以下だ。

  在位年数平均 没年齢平均 先代との年齢差の平均 即位年齢平均 退位年齢平均 退位してから没するまでの平均年数 譲位した天皇の割合
飛鳥・奈良 10.351 53.353 9.688 38.588 49.294 3.632 36.84%
平安 12.625 42.031 14.656 18.000 30.625 11.406 56.25%
鎌倉・足利・安土桃山 16.090 47.083 13.500 15.083 31.500 16.240 68.00%
徳川・現代 20.000 48.941 21.294 14.412 34.353 14.588 52.94%
全体 14.440 46.822 14.719 20.433 35.089 11.699 39.53%

ここに示すように、没年齢自体には、それほど明確な差異は無い。差がハッキリ現れるのは、「即位年齢」と「先代との年齢差」である。安本は、古代においては寿命が短かったから、在位年数が短いのだ、と言う。確かに、寿命が短ければ、在位できる最大値が減る。これは事実だ。40歳まで生きれば十分だった古代に、80年在位しろとは無理な話である。だが、これはそれだけの話だ。現代においては、在位年数の平均は20年だ。だが、奈良時代には、それが、10年程度になる。ここには、約10年の差が存在している。だが、没年齢の平均は、そこまでは差が無いのである。替わって、即位年齢の差異に注目すべきではあるまいか。

後に示すように、在位年数とは即ち、退位時の年齢から即位時の年齢を差し引いたものである。ならば、当然、即位年齢と退位年齢が在位年数に影響を与えると考えるべきなのである。安本はこの根本の道理を見失ったのではないか。

さて、「即位年齢」の明確な差異については、今見たとおりだ。では、なぜ、このような差異が生じたか。これについては、安本の挙げた理由があてはまるだろう。即ち、天皇の政治権力の問題だ。当然ながら、直接的な権力者であった古代においては、天皇になるためには、資質・経験が充分伴っていることが最低条件となっていた。従って、後年のように、わずか10代で天皇になることなど、まれだったのだ。即位時の年齢の平均が30代後半であることは、まさにその事実を物語っているのである。そうして、30代後半で即位した天皇を待つのは、40代という寿命である。わずか10年程度しか在位できないのも、宿命だったのだ。
3-2.古代天皇家の在位年数は世界の諸王の在位年数と同質か

さて、安本は、古代の天皇の在位年数を、世界の諸王の平均や後世の天皇の平均から推定した。これは、以下の点で妥当ではない。ひとつは、譲位である。なるほど、表によれば、譲位の率が最も少ない飛鳥・奈良時代が、もっとも在位年数が少なくなっている。だが、実際には、譲位すれば在位年数は短くなる傾向になって、しかるべきである。当然、没するよりも前に譲位を行うのであるから、没するまで在位した天皇と譲位した天皇では、譲位したものの在位年数が少なくなるのである。この譲位の性質を垣間見る時、果たして、ここで得られた平均値を古代の天皇に適用していいのか、という問題が生じる。古代においては、皇極(斉明)に至るまでの間、譲位は存在しなかった、というのが、常識である。一方、我が国の天皇は、その実に4割(奈良時代以降には6割)が譲位を行っている。この差異を重視すれば、到底、後世の天皇の在位年数を古代に適用することは出来ないのである。

ところで、安本は世界の諸王の在位年数平均を算出した。ここでも、日本の場合と同様、古代になるほど在位年数は短くなる傾向があるのだという。これは興味深い結果だ。安本の使用したデータを見ると、東京創元社刊『東洋史辞典』『西洋史辞典』を用いたのだという。だが、古い時代の王の内実を見ると、当然、国が限定されているのである。中国・ローマ・ペルシアである。ローマにおける皇帝権力の弱体(というよりも、市民或は豪族勢力が強大だった、というべきか)は、著名である。また、五賢帝に代表されるように、高齢で即位したものが多かった。一方、中国では、漢帝室に病弱の帝が多く、また、三国~五胡十六国に至る戦乱の影響をかんがみる必要があるのではなかろうか。いずれにせよ、古代の諸王とはいうものの、用いることの出来る史料が限られてしまうことは、歴史学である以上、やむを得ぬ所である。世界の諸王の在位年数については、いずれ、より詳細に論じたいと思う。また、世界の諸王の在位年数を用いる場合、その前提となるのは、古代天皇家が、これに比肩しうる立場と地位を持っていた、ということである。この点については、各論者の議論があろうが、私は、天皇家が「王」と呼び得る地位を得たのは、少なくとも、継体以降であろうと考えている。逆に言えば、それ以前は、王と呼べるような存在ではなかったのである。だとすれば、世界の「王」の平均値から古代天皇のそれを推定しようなど、ナンセンスである。

この点、特記しておきたい。

以上のような点から、安本の行った推定は、妥当ではないのである。