安永

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明治時代
1868近代(江戸時代明治時代-日本-日本)--
1868明治維新(-日本-日本)--
1868義達、藩兵を率いて大坂行在所に至り八幡の守衛に就く。京に上り、朝鮮通交につき建言。朝鮮国に政権が天皇に帰したことを通告。 明治元(-日本-日本、対馬)--
18681.1  慶喜出兵 1月1日 慶喜は討薩表を発し、1月2日から3日にかけて「慶喜公上京の御先供」という名目で事実上京都封鎖を目的とした出兵を開始。(-日本-日本)--
18681.3  王政復古宣言(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18681.3  鳥羽伏見の戦い。戊辰戦争が始る。(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18681.3  (-日本-日本)--
鳥羽・伏見の戦い(とばふしみのたたかい) 幕府軍(新撰組:土方歳三など)、大坂城を出発し鳥羽・伏見から京都へ進撃したが新政府軍(西郷隆盛など)と衝突し敗走。 戊辰戦争の緒戦となった。
戊辰戦争(ぼしんせんそう) 王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った一連の日本の内戦。 京都周辺(鳥羽・伏見)からはじまり東日本全域で戦争となる。北海道の函館五稜郭で旧幕府の榎本武揚(えのもとたけあき)が降伏する事によって終結する。この一連の戦いを「戊辰戦争」という。 鳥羽・伏見の戦い、上野戦争、北越戦争、会津戦争、箱館戦争
18681.6  慶喜江戸へ退去1月6日 幕府軍艦開陽丸で慶喜は江戸に退却した。(-日本-日本)--
18681.19  大久保利通が大阪遷都を建議(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18681.20  薩摩・長州・土佐・肥前の4藩主が版籍奉還を上奏(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18681.20  岡田啓介(生)(-日本-日本)--
18682.12  徳川慶喜が幕府追討軍に恭順の意を示し、江戸城を出て上野寛永寺に移り謹慎(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18683.6  甲州勝沼の戦い
明治政府(板垣退助など)と旧幕府(新撰組「甲陽鎮撫隊(こうしゅうちんぶたい)」)との戦い。明治政府の勝利。(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18683.13  江戸城開城交渉。3月 西郷隆盛と幕府の勝海舟との話し合いによって、江戸城無血開城。    フランス公使ロッシュは幕府への援助を申し入れるが慶喜が辞退。    イギリス公使パークスは官軍に圧力をかけた。3月 13,14日,(-日本-日本)--
18683.14  「五箇条の御誓文」(ごかじょうのごせいもん)宣布。明治新政府の基本方針を示す(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18683.15  五榜の掲示(ごぼうのけいじ)-民衆に対する禁止令(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18683.28  神仏判然令公布神仏分離独立(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18684.  会津戦争
明治政府(板垣退助など)と旧幕府(白虎隊など)の戦い。明治政府の勝利。~09(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18684.  4. 宗義達(対馬藩主)朝鮮通交事務取扱となる。(-東アジア-日本、対馬、朝鮮、大韓帝国)-日韓併合-
18684.4  薩藩官軍の先鋒となり江戸へ西郷・勝会談で江戸城接収(江戸時代明治時代-日本-日本)--
江戸城接収
江戸開城
(えどかいじょう) 江戸幕府の本拠江戸城の明渡しをいう。鳥羽・伏見の戦い後,徳川慶喜は江戸へ敗走して官軍に恭順の意を表していたが,新政府は幕府を討伐して威信を高め,あわせて財政的基礎を確保するため,慶喜追討を決定した。東征大総督有栖川宮熾仁親王に率いられた官軍は,東海道を静岡まで進撃した。しかしイギリス公使 H.パークスは,内乱による日本市場の混乱をおそれ,新政府側に強い圧力をかけた。これを知った幕府陸軍奉行勝海舟 (義邦) は,幕臣山岡鉄舟 (鉄太郎) を静岡に派遣して大総督府参謀西郷隆盛に会見させ,慶喜の恭順を表明,助命を説かせた。このあと,江戸城総攻撃を目前にして,慶応4 (1868) 年3月 13,14日,薩摩藩邸で勝と西郷の会見となり,慶喜の助命と江戸無血開城を交換条件として協定が成立し,官軍の総攻撃は中止となった。この措置にいたった裏面には,新政府副総裁岩倉具視が,薩長の傀儡 (かいらい) となるのを嫌って,寛大な処遇を望んでいたことも作用している。4月4日,東海道先鋒総督橋本実梁,副総督柳原前光が勅使として江戸城に入城し,4月 11日,正式に明渡しが行われた。この間,勝は城の内外で幕臣たちを鎮撫して事なきを得た。しかし,あくまで抗戦を主張する幕臣たちは,一部は上野にたてこもった彰義隊のように,また一部は海軍総裁榎本武揚に率いられて北走した幕府艦隊のように,官軍と戦火を交えるにいたった。 (→戊辰戦争 )  
18684.11  江戸城無血開城(えどじょうむけつかいじょう)
西郷隆盛(明治政府)と勝海舟(旧幕府)の会談により江戸城を明治政府へ明け渡す。(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18684.11  江戸城無血開城4月11日 江戸城は無血開城、大総督府が接収した。(-日本-日本)--
18684.19  宇都宮城の戦い
明治政府(香川敬三など)と旧幕府(土方歳三など)の戦い。明治政府の勝利。(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18684.21  政体書の公布
三職制に変わる太政官制。太政官七官制(太政官と七官(議政官・行政官・神祇官・会計官・軍務官・外国官・刑法官)による三権分立)。(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18684.25  新選組の近藤勇が処刑される(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18685.  北越戦争
明治政府(山縣有朋など)と旧幕府(河井継之助など)の戦い。明治政府の勝利。~07(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18685.  太政官札(だじょうかんさつ)の発行-期間限定の紙幣(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18685.  会津戦争5月 仙台藩を中心に東北25藩、越後6藩が「奥羽越列藩同盟」を結成し官軍と戦闘。8月 奥羽越列藩同盟崩壊。9月 白河口総督として西鄕頼母。松平容保、会津城に籠城するも落城。白虎隊自決。 (-日本-日本)--
18685.3  奥羽越列藩同盟-陸奥・出羽・越後の諸藩同盟(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18685.15  上野戦争
明治政府(大村益次郎など)と旧幕府(彰義隊など)の戦い。明治政府の勝利。(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18685.15  上野戦争。5月15日 官軍への不満を持った旧幕府勢力が上野寛永寺で官軍と戦闘。彰義隊全滅。(-日本-日本)--
18685.18  五稜郭の戦い。榎本武揚らが最後の拠点・五稜郭を開城し維新政府軍に降伏。戊辰戦争が終結し維新政府が全国を統一(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18685.19  明治政府が最初の政府紙幣・太政官札を発行(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18686.25  明治政府が身分制度を再編。大名・公卿を「華族」、武士を「士」と「卒」、農・工・商を「平民」とする(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18686.29  東京・九段坂上に戊辰戦争以来の戦死者を祀る招魂社を造営。後に靖国神社に改称(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18687.  江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書-江戸を東京と改称する(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18687.17  詔勅により江戸を東亰[とうけい]に改称(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18688.15  明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18688.27  京都御所で明治天皇の即位の大礼を挙行(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18689.  一世一元の詔-天皇一代につき元号は一つ
仙台藩・会津藩・庄内藩が明治政府に降伏する(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18689.  一世一元の制9月 戊辰戦争の後、明治政府樹立。(-日本-日本)--
1868江戸時代明治時代-[1868年~1912年]
18689.8  明治(めいじ)(1868.9.8-1912)明治から一世一元となった。(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18689.8  明治?(1868 - 1912)(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18689.8  明治に改元(江戸時代明治時代-日本-日本)--
18689.8  明治時代 (めいじじだい) 字義どおりには,1868年(慶応4・明治1)9月8日の明治改元から,1912年7月30日明治天皇の死にともない皇太子嘉仁(よしひと)親王が践祚し,大正と改元したときまでを指す。これは,明治天皇践祚が1867年1月9日であるため,天皇の在位期間と一致せず,一世一元制の採用以前の時期を包摂できない。歴史学上での時期区分からすれば,1853年(嘉永6)ペリーの来航に始まる幕末・維新期の激動の時代から,明治天皇の没後に新しい時代の台頭を象徴する事件として生起した大正政変のころまでを指すのが適切であろう。 一八六八年から一九一二年に至る、「明治」の元号による四五年間の称。明治新政府の成立以来、開国進取・富国強兵が国是とされ、版籍奉還、廃藩置県などが行なわれて、封建制度にかわる中央集権体制が確立した。また、明治一八年に内閣制度、同二二年には大日本帝国憲法が制定され、欧米諸国の制度・文物の移入による諸改革が急速に行なわれた。 ※将来之日本(1886)〈徳富蘇峰〉一「今日の老輩にして封建時代の破壊より、明治時代の今日に至る迄を経過したるの人は」 1868年の明治新政府の発足から,1912年明治天皇の崩御に至るまでの44年間をさす この時代の日本国民は,国内政治・国際政治において大きな変革を経験した。世界の各国の進歩からとり残されていた鎖国下の封建日本は,この半世紀間に欧米諸国にならって立憲制を採用し,資本主義体制を確立して近代国家へと発展した。日清・日露両戦争に勝ち,アジア大陸の一角,朝鮮に植民地を得て列強の一つとして強大な軍備をもち,他国を脅かす存在となった。しかし明治末年には政治・経済上の行きづまりをみせ,国際的にはアメリカと対立するに至った。(-日本-日本)--
18689.20  明治天皇が京都を出発し東京へ向かう(江戸時代明治時代-日本-日本)--
186810.  五稜郭の戦い(ごりょうかくのたたかい)(江戸時代明治時代-日本-日本)--
186810.  函館戦争10月 榎本武揚が蝦夷上陸し、函館御陵閣を占領。独立を宣言。(-日本-日本)--
186810.13  明治天皇が江戸城に入る。名称を東京城と改めて皇居とする(江戸時代明治時代-日本-日本)--
186812.8  江戸幕府が沼津兵学校を創立(江戸時代明治時代-日本-日本)--
186812.15  旧幕府軍の榎本武揚らが箱館(函館)で蝦夷地の領有を宣言し「蝦夷共和国」を発足(江戸時代明治時代-日本-日本)--
186812.23  明治政府が富くじ興行禁止を布告(江戸時代明治時代-日本-日本)--