宗良親王

宗良親王

  生没年:1312-1385
  父:後醍醐天皇
    尊澄法親王
    一品中務卿
    征東大将軍
  妃:
    1341-1377 遠江宮 興良親王
    1365-1424 尹良親王(以下保留)
    桜子女王(夫:大橋定省)

[木賀家]


宗良親王【むねよししんのう】

生年: 応長1 (1311)
没年: 没年不詳

子:タダナガ親王(尹良親王?)、良新

後醍醐天皇の皇子,母は二条為世の女為子。はじめ妙法院に入室,出家して尊澄法親王と称し同門跡を嗣ぎ,さらに天台座主となった。父天皇が討幕活動をはじめると行動をともにし,元弘の変(1331)後,鎌倉幕府方により讃岐(香川県)へ流された。建武新政で京に戻り天台座主に還任したが,南北朝内乱が始まると還俗して宗良と名乗り,父天皇の軍事面の一方を受け持った。まず伊勢に赴き,その後遠江(静岡県)井伊城に行った。一時吉野に戻り,暦応1/延元3(1338)年9月北畠親房らと共に船で伊勢大湊から東国をめざしたが,台風によって親王の一行のみ遠江に漂着,再び井伊城に入り,以後信濃(長野県)を中心に北陸,関東に転戦した。南朝勢力が下降すると信濃小笠原氏に押され,同国伊那地方に籠もり永徳2/弘和2(1382)から至徳1/元中1(1384)年ごろ同地で死去。その間何回か南朝行宮に赴いている。和歌に秀で歌集『李花集』があるほか,南朝関係者の和歌を集めて,勅撰集に準ぜられた『新葉和歌集』を編集した。

木賀家