尼子政久

尼子政久

あまご まさひさ
1488~1518
別:〇幼名:又四郎、民部少輔
父:◇月山富田城主 尼子経久
室:山名兵庫頭女
子:娘(松田誠保室)、尼子千代童子、尼子晴久

出雲・尼子経久嫡男。武勇、思慮に長けた智勇兼備の将として、父経久の期待は大きかった。又軍略のみならず、詩歌管弦にも高い評価を得ており、花実相の大将と評された。1518年出雲・麻石山城に籠城する桜井宗的を囲んで兵糧攻めにした際、厭戦を慰労し、城兵の士気低下を図るため、宴を催して政久自身も得意の笛を吹いていたところ、笛の音めがけて放たれた矢が見事に政久に命中、31歳の若さで亡くなったという。61歳の経久はこれを聞き、“瞋れる眼に紅の涙流し”深く悲嘆したという。尚、この後経久は麻石山城の強襲を命じ、宗的は自害、城兵は皆虐殺された。


尼子経久━━━尼子政久━┳━娘
            ┣━尼子千代童子
            ┗━尼子晴久


尼子氏


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