尼子晴久

尼子晴久

あまご はるひさ
1514~1560
別:○幼名:三郎四郎、初名:詮久、1537-1560 月山富田城主、従五位下、民部少輔、修理大夫、出雲守護、隠岐守護、伯耆守護、因幡守護、美作守護、備前守護、備中守護、備後守護、出雲・尼子氏当主。
父:◇尼子政久の子
室:尼子国久
子:尼子千歳、1540-1610 尼子義久、1546-1623 尼子倫久、-1609 尼子秀久、娘(三沢為清室)、娘

尼子経久の孫。
父政久は早くに戦死しており、祖父経久に従い、緒戦に活躍。1537年家督を譲られた。将軍足利義晴より諱を受け晴久と名乗る。舅国久率いる新宮党に援けられ、山陰を中心に8ヶ国に勢力を伸ばすが、やがて新宮党を疎ましく思うようになる。結果、安芸・毛利氏毛利元就の謀略に乗せられ、新宮党を滅ぼしてしまい、自ら力を弱め、尼子氏の弱体化を招いた。その後も毛利氏相手に奮闘したが、48歳で病死した。


尼子経久━━━尼子政久━━━尼子晴久━┳━尼子千歳
                   ┣━尼子義久
                   ┣━尼子倫久
                   ┣━尼子秀久
                   ┣━娘
                   ┗━娘


尼子氏


→ 尼子 家・氏 系図