岩城常隆

岩城常隆【いわきつねたか(1567~1590)】

岩城親隆の男。官途は左京大夫。父岩城親隆が病に倒れ人事不省となると、佐竹家出身の岩城親隆夫人が後見人となり、岩城家の実権は佐竹義重に握られることになった。1578年、岩城常隆が当主になるが、佐竹家の家中に対する影響力は変わらなかった。伊達政宗が勢力を広げると、岩城常隆は静観したが、伊達政宗が岩城家と対立する田村家より室を迎えると、岩城家は再び佐竹家よりとなり、石川家などと共に伊達家と対立する。1586年「人取橋の戦い」においては佐竹家側で参戦し、家臣窪田十郎が伊達家の鬼庭良直を討ち取る。1589年「摺上原の戦い」に勝利し芦名家を滅ぼすと岩城家は石川家と共に伊達政宗に臣従する。1590年「小田原の役」に参陣することで所領を安堵されたが、まもなく病に倒れ、鎌倉で死去した。岩城常隆には岩城政隆という実子がいたが、幼少であったため、羽柴秀吉の意向もあり佐竹義重の三男である岩城貞隆が養嗣子として岩城家の家督を相続した。