崇道天皇

崇道天皇

すどうてんのう

早良親王の追号。

早良親王は、光仁天皇の第二皇子。兄桓武天皇の即位に伴って皇太子となるが、大伴家持が策画した藤原種継暗殺事件の主謀者として、淡路に流される途中絶食して絶命。なお、この件の記事は桓武天皇の詔令より『続日本紀』から削られ、逸文は『日本紀略』に見られる。

のち、桓武天皇はその祟りを恐れ、親王の怨霊に対して懺悔と謝罪を度々行って、最後は崇道天皇として追尊した。「崇道」とは「祟道」に掛けたものではないかという見方もある。長岡京への遷都からたった10年で平安京へ遷都した理由の一つには早良親王の祟りを避ける目的があったというのが歴史学会における定説となっている。