後三国時代
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朝鮮半島の歴史(東アジア-朝鮮-先史時代) | ||||
892 | 後三国時代(892年-936年)(東アジア-朝鮮-後三国時代) | |||
892 | 後百済(892年-936年)(東アジア-朝鮮、後百済-) | |||
892 | 新羅が衰退(後三国時代へ)(東アジア-朝鮮、新羅-) | |||
894 | 後高句麗(894年-918年)→高麗 9~10世紀頃繁栄を誇った新羅であるが、8世紀末頃から王都内で反乱や内紛が相次ぎ、加えて農民たちの蜂起もあって、新羅朝廷の統治能力は、弱体化していた。9世紀地方の豪族達も反乱を起こし、新羅の政権から離脱していった。中でも、甄萱(キョオヌウォン)、梁吉(ヤンキル)、弓裔(クンイェ)らが有力な勢力であった。そして、これらの勢力によって、新羅は、3つに分裂することになる。900年即ち、甄萱がに後百済を建国し、弓裔は898年に後高句麗を建国したのである。(東アジア-朝鮮、後高句麗-) | |||
894 | 後高句麗[894年-918年]→高麗(東アジア-朝鮮、高句麗-) | |||
894 | 遣唐使廃止894年(東アジア-朝鮮、日本-平安時代) | |||
896 | 王建,弓裔に帰服しその部将となる(東アジア-朝鮮-) | |||
896 | 赤袴の乱.真聖女王10年,王都西部で民乱起こる(東アジア-朝鮮-) | |||
896 | 甄萱が後百済を建国(東アジア-朝鮮、後百済-) | |||
897 | 第52代新羅王孝恭王(897~912)(東アジア-朝鮮、新羅-) | |||
900 | 甄萱,後百済建国.現在の全羅道と忠清道を支配(東アジア-朝鮮、後百済-) | |||
900 | 甄萱、後百済建国国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、後百済-) | |||
900 | 9~10世紀頃繁栄を誇った新羅であるが、8世紀末頃から王都内で反乱や内紛が相次ぎ、加えて農民たちの蜂起もあって、新羅朝廷の統治能力は、弱体化していた。9世紀になると地方の豪族達も反乱を起こし、新羅の政権から離脱していった。中でも、甄萱(キョオヌウォン)、梁吉(ヤンキル)、弓裔(クンイェ)らが有力な勢力であった。そして、これらの勢力によって、新羅は、3つに分裂することになる。即ち、甄萱が900年に後百済を建国し、弓裔は898年に後高句麗を建国したのである。(東アジア-朝鮮、高句麗、後百済-) | |||
901 | 10世紀:長白山が過去2000年間で世界最大級の巨大噴火(半島リセット)(よいこの正しい半島歴史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
901 | 弓裔、後高句麗建国国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、後高句麗-) | |||
901 | 後高句麗を建国(東アジア-朝鮮、高句麗-) | |||
901 | 弓裔,後高句麗建国(東アジア-朝鮮、高句麗-) | |||
901 | 弓裔,後高句麗建国.(後三国時代のはじまり)(東アジア-朝鮮、高句麗-) | |||
901 | 後高句麗建国(東アジア-朝鮮、高句麗-) | |||
911 | 弓裔,国号を泰封とする(東アジア-朝鮮、泰封-) | |||
912 | 第53代新羅王神徳王(912~917)(東アジア-朝鮮、新羅-) | |||
916 | 契丹(遼)の建国(東アジア-朝鮮-) | |||
917 | 第54代新羅王景明王(917~924)(東アジア-朝鮮、新羅-) | |||
918 | 高麗の建国(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
918 | 9世紀になると新羅は内紛のため分裂状態となり、918年に後高句麗の将軍王建が高麗をたて、朝鮮半島を統一した。高麗は仏教を保護し、唐と宋の制度を取り入れて栄えた。(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
918 | 王建,弓裔を追放し高麗建国(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
918 | 王建、弓裔を退けて高麗を建国する。(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
918 | 高麗を建てた。(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
918 | 高麗王朝[918~1392年] 中国の科挙制度が導入され、儒教を統治思想として中央集権的な体制が整備された。(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
918 | 高麗時代(918ー1392)'' 高麗・・・モンゴル人→女真人→満州人高麗は、918年に建国されました。この時期、国教として定められていた仏教は、政治と文化に大きな影響を及ぼしながら更に発展しました。高麗青磁やユネスコ世界文化遺産にも指定されている八万大蔵経、直指心経などの重要な遺産もこの時期に作られました。特に、直指心経は世界最初の金属活字で印刷された仏教経典で、グーテンベルク聖書よりも78年前に作られたものです。そんな高麗も14世紀後半からは次第に国力が衰えていきました。676年に新羅によって朝鮮半島初の統一がなされますが、8世紀末から9世紀まで王位継承の争いが起こり、地方でも農民が反乱を起したり、飢饉に見舞われたりと新羅は国力を失っていきます。そんな中、有力な豪族たちが新羅を分裂させ国を建国していきました。後三国時代といわれる時代です。この争いを制したのは高麗。高麗は935年に新羅を併合すると、936年には後百済を滅ぼし朝鮮半島を統一しました。高麗の建国者は王建(おうけん)。首都は開城(かいじょう)です。この高麗。現在、韓国のことをKoreaといいますよね。これは、高麗を表すKoryoが変化したものだといいます。当時、高麗は青磁(せいじ)という陶磁器を輸出し世界に名を知られることになりましたので、この高麗のイメージが強かったのでしょうね。また、高麗は日本ともちょっと因縁があります。そう元寇です。高麗は1259年にフビライ=ハンの率いるモンゴル(元)軍の侵攻により属国となります。これに対して、高麗は三別抄(さんべつしょう)と呼ばれる選抜部隊が奮闘し対抗するのですが、これも1273年には完全に鎮圧されてしまいます。そして、1274年には元により高麗水軍を前面に立てた日本攻撃が始まるのです。文永の役ですね。さらに1281年には再び日本に攻めてきます。弘安の役です。この高麗は、1356年に元から独立しますが、同時期に頻繁に発生していた倭寇(わこう・海賊)に悩まされ、高麗は徐々に衰退していくことになります。中国の科挙制度が導入され、儒教を統治思想として中央集権的な体制が整備された。(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
918 | 中世社会?(~1392)(東アジア-朝鮮、高麗-中世社会) | |||
918 | 王建、高麗建国国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
918 | こうして、新羅、後百済、後高句麗の3国が鼎立する中で、弓裔の下にいた王建(ワンゴン)は、傲慢な弓裔を滅ぼし、新たに高麗(コリョ)を建国し、自ら王を名乗る。王建は、次第に地方の豪族たちをまとめあげ、(東アジア-朝鮮、高麗、新羅、後百済、後高句麗-) | |||
919 | 開城に都をおいた(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
919 | 高麗,開城を都に定める(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
924 | 第55代新羅王景哀王(924~927)(東アジア-朝鮮、新羅-) | |||
926 | 渤海滅亡(東アジア-朝鮮、契丹、渤海-) | |||
926 | 渤海を滅ぼした北方民族契丹(きったん)は、急速に勢力を強め、高麗との国境付近まで版図を広げる(東アジア-朝鮮、契丹、渤海-) | |||
926 | 渤海滅亡国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、渤海-) | |||
927 | 第56代新羅王敬順王(927~935)(東アジア-朝鮮、新羅-) | |||
935 | 高麗は新羅を併合し、新羅滅亡そして、(東アジア-朝鮮、高麗、新羅-) | |||
935 | 新羅の敬順王,高麗に投降し新羅滅亡(東アジア-朝鮮、高麗、新羅-) | |||
935 | 新羅を降伏させた(東アジア-朝鮮、高麗、新羅-) | |||
935 | 新羅滅亡国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、高麗、新羅-) | |||
936 | 高麗、後三国の統一国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、高麗-) | |||
936 | 後百済を滅ぼして、高麗が、半島の再統一(後三国統一)をなしとげる。このときの首都は、開城(ケソン)におかれた。(東アジア-朝鮮、高麗,後百済-) | |||
936 | 高麗、後百済を滅ぼして朝鮮半島を再統一(東アジア-朝鮮、高麗、後百済-) | |||
936 | こうして、新羅、後百済、後高句麗の3国が鼎立する中で、弓裔の下にいた王建(ワンゴン)は、傲慢な弓裔を滅ぼし、918年、新たに高麗(コリョ)を建国し、自ら王を名乗る。王建は、次第に地方の豪族たちをまとめあげ、935年には、新羅を併合、そして、936年には、後百済を滅ぼして、高麗が、半島の再統一をなしとげる。このときの首都は、開城(ケソン)におかれた。高麗時代(東アジア-朝鮮、新羅、後百済、後高句麗-) |