日韓併合時代
日本による朝鮮植民地化韓国併合までの流れ
17世紀、この頃の朝鮮半島は中国の清による冊封体制の中にありました。しかし、19世紀に入ると東アジアでは激動の時代となります。アヘン戦争などによる清の国力低下。フランスやアメリカも朝鮮を狙い始め、また日本も朝鮮に国交を強く要求します。しかし、朝鮮は清による冊封体制の下にあることを理由に日本との国交を拒否し、日本と朝鮮との間では対立が激しくなっていくのです。
1875年には日本軍と朝鮮軍との間で江華島事件(こうかとうじけん)がおきます。これは、日本軍が朝鮮付近の海を測量したのに対して朝鮮軍との間に衝突が起きたのですね。この事件の翌年には、日本は朝鮮との間に不平等条約「日朝修好条規」を結ぶことに成功しました。
この日朝修好条規により朝鮮は日本に対して釜山、元山、仁川を開港し、開港地には日本の居留地を設定しなければならず、領事裁判権を認め、関税自主権も失うことになります。
これによって、日本人が朝鮮に渡って、米の流通を牛耳ってしまうんですね。そして、大量の穀物などが日本に輸入され、朝鮮では穀物の価格がどんどん高くなってしまう事態となります。
1882年には壬午軍乱(じんごぐんらん)、1884年には甲申事変(こうしんじへん)というのがおきます。
壬午軍乱というのは、朝鮮にて当時、政権を握っていた閔氏(びんし)人物が日本と友好であったが為、それに反発するグループがクーデターを起こした事件です。結局、これには日本軍、清軍が介入し鎮圧。この事件後、日本はソウルにおける日本軍の駐留権を認めさせ、清も朝鮮に対して軍隊を指導するなど内政干渉を強めていきます。
ちなみに、この事件の後、それまで親日的であった閔氏は内政干渉を強める清よりへと傾いていきますよ。
そして、そのすぐ後、甲申事変が起きます。これは、朝鮮にて清の影響力が強まる中、日本と組んで近代化を目指した方がいい!というグループがクーデターを起こすのです。もちろん彼らは自分達だけでは無理なので日本の軍にも期待しています。それに対して、閔氏は清に援軍を要請します。朝鮮の人々の中でも日本につくか?清につくか?で争いが頻発した時代ですね。
しかし、日本も清も本気で戦争を始められる状態では当時なかった。1884年といえば清はベトナムをめぐって清仏戦争を起こしていて、日本も自由民権運動の真っ只中。そこで、両国間の間で天津条約(てんしんじょうやく)というのが結ばれます。これは、とりあえず、両国とも軍を朝鮮から軍を引き上げましょう。また、今後朝鮮への出兵する際には事前に通告をし合うことにしましょう。と約束事を設けたんですね。
そして、10年後の1894年に東学党の乱というのが起きます。農民が減税などを訴え起こした乱です。これを鎮圧させる為に朝鮮は清に援軍を要請します。これを見た日本も日本の公使館を守るなどの理由で出兵。しかし、この乱が鎮圧した後も清、日本共に兵を引き上げず朝鮮国内に留めていたことから日清戦争へともつれ込んでいきます。
この日清戦争については、ご存知の通り。日本の勝利により1895年には下関条約が結ばれますね。
下関条約の内容
1:朝鮮の独立を認めること。
(この直後、朝鮮は大韓帝国と国名を変え、独立を宣言します)
2:遼東半島(りょうとうはんとう)を日本に譲り渡す。
(中国と朝鮮の間にある半島で日本の戦略的にかなり重要な土地です)
3:台湾を日本に譲り渡す。
(これにより日本は初の海外植民地として台湾を獲得しました。)
4:澎湖諸島(ほうこしょとう)を日本に譲り渡す。
(これは台湾と中国本土の間の島々。)
5:賠償金2億両を日本に支払う。
(約3億1000万円。当時の日本の国家予算のなんと2倍以上のお金です)
6:日清通商航海条約を結ぶ
(清に欧米と同条件の不平等条約を日本とも結ばせた)
朝鮮において重要なのは最初の朝鮮の独立を清に認めさせたというところ!これにより、清による朝鮮の冊封体制は完全に消滅。1897年には朝鮮は大韓帝国と改称することになります。
そして、韓国併合。つまりは、日本による朝鮮の植民地化へと進んでいくのです。
*1910年 大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)が日本に併合され大韓帝国は消滅し、日韓併合条約により日本は朝鮮半島を領有することになる。いわゆる日帝時代、植民地時代のスタートであり、日本は全朝鮮を統治する朝鮮総督府を設置した。
*1919年 こうした日本の統治に対しては朝鮮の反発が強かった。この年、宗教指導者らが中心となって、大規模な独立運動を展開した。3月1日に起こったので、3・1運動と呼ばれるものである。
この運動は朝鮮総督府当局による武力による弾圧で、間もなく終息していき、運動は挫折した。
しかし、独立派の中心的人物などが、中国の上海に逃亡し、大韓民国臨時政府と呼ばれる亡命政府を設立した。初代大統領は李承晩(이승만)で、以降、最後の第13代金丸(김구)まで、25年間にわたり継続する。1945年の朝鮮解放により解体した。
*1945年 第二次世界大戦終戦により、日本による朝鮮半島の実効支配が終了する。これにより、朝鮮半島は解放された。
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朝鮮半島の歴史(東アジア-朝鮮-先史時代) | ||||
1910 | ||||
1910 | ||||
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1910 | 1910合邦条約を締結。一進会の李容九、宋秉畯などが併合に関する各種の請願書や声明文を発表。(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910.03土地調査事業の推進(土地所有権・地価・地形など)国有地は東洋拓殖株式会社などの日本人地主に多く払い下げられる終了した時点(1918)では水田65%、畑43%が小作地となり農民の77%が小作農・自作農となる1910年代には、本格的な産業政策の展開が見られなかったので、土地を失った農民は中国国境の豆満江・鴨緑江を越えた間島(現、延辺朝鮮族自治州など)に毎年2~3万人の移住が続き、40万人近い朝鮮人が在住していた1920年代には、日本に4万人程度、またロシア領沿海州・中国・アメリカなどに移民(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910.07憲兵警察制度の発足集会取締り令の公布(政治結社・報道の規制)(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910.08日韓併合条約の締結(大日本帝国に併合され、京城に朝鮮総督府の設置)(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 日韓併合 日本はロシアの南進を防ぐべく、朝鮮半島の近代化を進めた | |||
1910 | 併合後李容九は「日本にだまされた」と述べたと伝えられる。(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 併合直後一進会は他の団体とともに解散を命じられた。(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 日本帝国の植民地時代(日帝時代)[1910~1945年](東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 「東医宝鑑」完成(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910年日帝の国権侵奪(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 会社令発令.朝鮮人会社の設立を抑制(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 日韓併合条約調印http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮-)}; | |||
1910 | 国権剥奪国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1910 | 1910韓国併合(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-明治時代) | |||
1910 | 韓国併合・日帝時代(1910ー1945) 日本統治時代(日帝強占期)1876年、朝鮮王朝は日本から門戸を開放するよう強要され、1910年に日本により併合されました。そして、1945年に日本が降伏するまでの間、韓国は日本の統治を受け続けました。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 1910日韓併合条約を締結し、大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)が日本に併合され大韓帝国は消滅し、日韓併合条約により日本は朝鮮半島を領有することになる。いわゆる日帝時代、日本は全朝鮮を統治する朝鮮総督府を設置した。文盲率90%(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 1910.08.28(明治42年)日本側から韓国政府へ「条約案」を提示。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 1910.08.22李完用総理大臣と寺内正毅統監との間で「韓国併合に関す条約」が締結。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 1910.08.08「条約案」が韓国閣議を通過。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 日韓併合(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 併合10年後旧一進会会員から同会の顧問だった日本側リーダーの杉山茂丸に対して、「併合の結果は日韓国民の聞に著しい差別をもたらすものであり、無差別平等の対等合邦ではなかった」と、その責任を問う問責状が送付されている。(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 韓国併合(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | *1910年日韓併合条約締結。韓国は朝鮮と改称され、日本の | |||
1910 | 「韓国併合に関する条約」調印。日韓併合。朝鮮総督府設置(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1910 | 大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)が日本に併合され大韓帝国は消滅し、日韓併合条約により日本は朝鮮半島を領有することになる。 | |||
1910 | 韓国併合の歴史日清戦争では、清に朝鮮の独立を認めさせ、 | |||
1911 | 1911「同化政策」による第一次朝鮮教育令の公布私立学校の廃止(東アジア-朝鮮-) | |||
1911 | 1911鴨緑江に旋回式鉄橋、鴨緑江橋梁を架ける。(東アジア-朝鮮-) | |||
1911 | 105人事件.日帝による総督暗殺事件でっちあげにより新民会員105人逮捕(東アジア-朝鮮-) | |||
1912 | 1912年1月1日孫文が南京で中華民国の建国宣言#style(class=box_black_swm){{中華民国は国ではなかった→中原の軍閥の集まり}}(東アジア-朝鮮-) | |||
1912 | 土地調査事業開始(~1918)多くの農民が土地を奪われる(東アジア-朝鮮-) | |||
1912 | 土地調査事業 | |||
1913 | 1913年(大正2年)大正政変第一次護憲運動が起る(東アジア-朝鮮-) | |||
1914 | 1914年(大正3年)第一次世界大戦勃発(東アジア-朝鮮-) | |||
1914 | 第一次世界大戦参戦(東アジア-朝鮮-) | |||
1914 | 沿海州ウラジオストックに大韓光復軍政府樹立(東アジア-朝鮮-) | |||
1914 | 大韓光復軍政府樹立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1916 | 朴重彬,円仏教創始.開墾事業と貯蓄運動を勧め新生活運動展開(東アジア-朝鮮-) | |||
1916 | 朴重彬、円仏教創始国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1917 | シベリア出兵(東アジア-朝鮮-大正6年) | |||
1918 | 1918産米増殖計画の実施(日本国内各地で米騒動おこる、台湾では蓬莱米増産計画)土地を失った農民は都市に流出、日本・中国東北に移住してゆく(1920~1932朝鮮米の生産高は1.2倍、輸出高は2.5倍になる)韓人社会党の結成(ハバロフスクで李東輝らが組織)(東アジア-朝鮮-) | |||
1918 | 1918年(大正7年)ヴェルサイユ講和条約調印日本・・・人種差別撤廃を主張(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 1919全露高麗共産党の結成(イルクーツクで金哲勲らが組織)その後、イルクーツク派系の火曜会上海派系のソウル青年会東京留学生中心の北風会などが生まれる(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 1919.03.01三・一独立運動の始まり(米国大統領ウィルソンによる民族自決主義の提唱、ロシア革命の勃発)運動は全国に拡大して行き、3月下旬から4月上旬に最高潮200万人に達し、後に帝国主義批判の論理をもった社会主義思想の浸透となる(死者7,509人負傷者15,961人逮捕者46,948人)上海で大韓民国臨時政府の発足(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 1919年3・1運動、大韓民国臨時政府樹立排日、反日・・・日本を敵視(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 1919年三・一事件起る(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 朝鮮で三・一事件(万歳事件)(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 1919.03.01こうした日本の統治に対しては朝鮮の反発が強かった。この年、宗教指導者らが中心となって、大規模な独立運動を展開した。3月1日に起こったので、3・1運動と呼ばれるものである。この運動は朝鮮総督府当局による武力による弾圧で、間もなく終息していき、運動は挫折した。しかし、独立派の中心的人物などが、中国の上海に逃亡し、大韓民国臨時政府と呼ばれる亡命政府を設立した。初代大統領は李承晩(???)で、以降、最後の第13代金丸(??)まで、25年間にわたり継続する。1945年の朝鮮解放により解体した。(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 3・1運動.挙族的な万歳示威運動.全国に波及(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 高宗死去(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 高宗死亡。三・一独立運動が広がる。大韓民国臨時政府設立(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 上海に大韓民国臨時政府樹立(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 大韓愛国婦人会組織(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 3.1運動国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 大韓民国臨時政府樹立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1919 | 大韓愛国婦人会組織国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | ||||
1920 | ||||
1920 | 1920~満州東部の間島で大韓独立軍の抗日武装闘争の激化「文化政治」に移行(基本方針としては同化主義を掲げ、具体的な政策では民族主義への配慮を行わざるを得ないと云う特徴)1.従来の憲兵警察制度を廃止し、普通警察制度を発足2.朝鮮総督の文官の任用を認める3.諮問機関として、民選の府協議会・面協議会が置かれる4.禁止していた朝鮮語の新聞・雑誌の刊行の認可(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | 1920年清山里大捷、「朝鮮日報」「東亜日報」創刊(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | 1920年代まで文盲率80%~99%?「訓民正音」の名で民衆に与えるも、学校というものが存在しない朝鮮では一般民衆には普及しなかった。(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | 「朝鮮日報」,「東亜日報」創刊(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | 3・1運動で活動した「朝鮮のジャンヌダルク」柳寛順16歳で獄死(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | 青山大捷.金佐鎮の独立軍,満州の青山里で日本軍に勝利(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | 朝鮮日報、東亜日報創刊。 独立軍、青山里の戦いで勝利。琿春事件(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | 金佐鎮、青山里大捷国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1920 | 「朝鮮日報」「東亜日報」創刊国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1922 | 1922年第二次朝鮮教育令法的に大学設立が可能に(東アジア-朝鮮-) | |||
1922 | 天道教少年部「子どもの日」制定.少年運動展開(東アジア-朝鮮-) | |||
1922 | 「子どもの日」制定国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1923 | 1923.09(関東大震災のあと、大規模な朝鮮人虐殺事件が起こる)(東アジア-朝鮮-) | |||
1923 | 関東大震災1923http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮-)}; | |||
1924 | 1924.04朝鮮労農総同盟の発足ソウル青年会の主導下に朝鮮青年総同盟が結成され、労働運動・農民運動などの民衆運動の中核的な存在となる(東アジア-朝鮮-) | |||
1924 | 1924年日本で6番目の帝国大学である京城帝国大学をつくる。(東アジア-朝鮮-) | |||
1924 | 京城帝国大学創立(東アジア-朝鮮-) | |||
1924 | 社会主義思想流入による青年運動の分裂収拾のため朝鮮青年総同盟結成(東アジア-朝鮮-) | |||
1925 | 1925朝鮮共産党・髙麗共産青年会が発足するも、1928年には崩壊される(東アジア-朝鮮-) | |||
1925 | 1925年京城駅が完成(東アジア-朝鮮-) | |||
1925 | 治安維持法施行(東アジア-朝鮮-) | |||
1925 | 朝鮮共産党結成(東アジア-朝鮮-) | |||
1926 | 1926年6・10万歳運動(東アジア-朝鮮-) | |||
1926 | 映画「アリラン」上映(東アジア-朝鮮-) | |||
1926 | 活動写真「フィルム」検閲規制施行(東アジア-朝鮮-) | |||
1926 | 青年学生による6・10万歳運動.多くの学校に広がっていく(東アジア-朝鮮-) | |||
1926 | 6.10万歳運動国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1926 | 6 | 6・10万歳運動(東アジア-朝鮮-) | ||
1927 | 1927朝鮮労働総同盟と農民総同盟に分離民族解放運動の結節点として「新幹会」の発足をみるが、(1931年に解散)(東アジア-朝鮮-) | |||
1927 | 新幹会創立(東アジア-朝鮮-) | |||
1927 | 京城放送局がラジオ放送開始(東アジア-朝鮮-) | |||
1927 | 新幹会結成(東アジア-朝鮮-) | |||
1927 | 民族主義陣営と社会主義陣営が統合し新幹会組織.民族唯一党運動推進(東アジア-朝鮮-) | |||
1927 | 新幹会組織される国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1928 | 台北帝国大学(東アジア-朝鮮-) | |||
1928 | 上海で李東寧、金九らが韓国独立党結成(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1929 | 1929.01元山ゼネスト(2,200人の労働者がゼネストに突入し、交通・港湾荷役は完全に停止する)(東アジア-朝鮮-) | |||
1929 | 1929年光州学生抗日運動(東アジア-朝鮮-) | |||
1929 | 元山労働党ゼネスト。光州学生運動(東アジア-朝鮮-) | |||
1929 | 光州学生抗日運動国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1929 | 日本人学生が韓国人女性を愚弄した事件をきっかけに光州学生運動起こる(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1930 | 19301930年前半では、昭和恐慌で工業が活気を帯びる(東アジア-朝鮮-) | |||
1931 | 万宝山事件(東アジア-朝鮮-) | |||
1932 | 1932年李奉昌、尹奉吉義挙(東アジア-朝鮮-) | |||
1932 | 満州国建国。五・一五事件。(東アジア-朝鮮-) | |||
1932 | 李奉昌義挙.日本の桜田門で天皇暗殺未遂(東アジア-朝鮮-) | |||
1932 | 尹奉吉義挙.上海虹口公園での投弾テロ(東アジア-朝鮮-) | |||
1932 | 李奉昌、尹奉吉義挙国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1932 | ||||
1933 | 国際連合脱退1933http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮-)}; | |||
1933 | 朝鮮語学会,ハングル綴字法統一案制定(東アジア-朝鮮-) | |||
1933 | ハングル | |||
1934 | 震檀学会組織される国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1934 | 震檀学会組織.日本人御用学者の韓国学に反発.震檀学報発刊(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1935 | 1935(中国、抗日統一戦線の樹立を提唱)(東アジア-朝鮮-) | |||
1936 | 1936年就学児童、110万人になり、文盲率が40%までに。日本がつくったのは小学校だけでなく、24の専門学校、75の中学校、75の高等女学校、133の実業高校、145の実業補習学校、1つの大学予科、36年で建てた公立学校の総数は5000校、22の師範学校(東アジア-朝鮮-) | |||
1936 | 二・二六事件1936http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮-)}; | |||
1936 | 孫基禎,ベルリンオリンピック大会マラソン優勝.日章旗抹消事件(東アジア-朝鮮-) | |||
1936 | 日章旗扶梢事件(東アジア-朝鮮-) | |||
1936 | 孫基禎、ベルリンオリンピック | |||
1937 | 1937祖国光復会(朝鮮民族解放同盟)の師団長(金日成)が日本軍を撃破する(ソ連の対日参戦の直前に組織された朝鮮工作団の責任者に選ばれた金日成は、日本の降伏後にソ連軍と共に元山に上陸する)(東アジア-朝鮮-) | |||
1937 | 1937.10皇国臣民の誓詞が発布される(東アジア-朝鮮-) | |||
1937 | 7 | 日中戦争の勃発)朝鮮は軍需物資の生産を担う兵站基地となる一面に一神社を設置し参拝の強制創氏改名の強要従軍慰安婦は日本人は将校用、朝鮮人は兵隊用と差別される(東アジア-朝鮮-) | ||
1938 | 1938年電化による鉄道を走らせた。(東アジア-朝鮮-) | |||
1938 | 1938年7月29日通州事件(東アジア-朝鮮-) | |||
1938 | 1938年7月7日盧溝橋事件(東アジア-朝鮮-) | |||
1938 | 1938年8月13日北支事変(東アジア-朝鮮-) | |||
1938 | 1938年9月3日支那事変日本は朝鮮人のテロにもめげず・・・(東アジア-朝鮮-) | |||
1938 | 国家総動員法施行1938http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png&size(6){(東アジア-朝鮮-)}; | |||
1938 | 朝鮮語教育廃止(東アジア-朝鮮-) | |||
1938 | ハングル教育禁止国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1938 | 朝鮮教育令改正,ハングル教育 →韓国、北朝鮮の日本語を強要されたという嘘(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1939 | 1939日本人労働者不足を補うために85,000人の朝鮮人が日本に強制移動される(1939~1945約113万人)(東アジア-朝鮮-) | |||
1939 | 1939年名古屋帝国大学(東アジア-朝鮮-) | |||
1939 | ハングルを弾圧(東アジア-朝鮮-) | |||
1939 | 国民徴用令公布(東アジア-朝鮮-) | |||
1939 | 国民徴用令実施.強制連行はじまる(東アジア-朝鮮-) | |||
1939 | 創氏改名公布.死をもって抵抗する者あり →創氏改名の真実(東アジア-朝鮮-) | |||
1940 | 創氏改名(東アジア-朝鮮-) | |||
1940 | 創氏改名実施。皇民化教育の強化(東アジア-朝鮮-) | |||
1940 | 民族抹殺政策強化.皇民化教育の強化(東アジア-朝鮮-) | |||
1940 | 民族抹殺政策強化国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1940 | 1940.09大韓民国臨時政府は重慶に移転し、韓国光復軍を創設(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1940 | 1940年韓国光復軍設立(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1940 | 大韓民国臨時政府,重慶で韓国光復軍結成(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1940 | 韓国光復軍結成国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、日本-) | |||
1941 | 臨時政府の対日宣戦布告(東アジア-朝鮮-) | |||
1941 | 12 | 8 | 大日本帝国がアメリカ合衆国に宣戦布告(太平洋戦争の勃発)(東アジア-朝鮮-) | |
1942 | 朝鮮語学会事件(東アジア-朝鮮-) | |||
1942 | 徴兵制の実施を閣議決定。朝鮮語学会事件(東アジア-朝鮮-) | |||
1942 | 朝鮮での徴兵制実施(東アジア-朝鮮-) | |||
1942 | 朝鮮語学会事件.独立運動団体とみなされ逮捕,投獄,解散させられる(東アジア-朝鮮-) | |||
1942 | 朝鮮語学会事件国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1943 | 訓民正音(ハングル)を創制(東アジア-朝鮮-) | |||
1944 | 1944.02朝鮮徴兵令施行(東アジア-朝鮮-) | |||
1944 | 学徒軍事教育要綱発表。 学徒動員非常措置法実施。 全面徴用の実施。(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 連合軍軍政期(東アジア-朝鮮-連合軍軍政期) | |||
1945 | 1945.08ソビエト連邦が日本に宣戦布告し、朝鮮半島東北部に侵攻トルーマン大統領が「連合国一般命令を」ソ連に通告し同意させる(北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除することの内容)(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945.08.15第二次世界大戦で大日本帝国敗北朝鮮半島での日本の植民地支配終了、連合軍の管轄になる(北緯38度線以北をソビエト連邦軍が、同以南をアメリカ軍が管轄)(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945.08.15日本はポツダム宣言の受諾管轄はアメリカ軍とソビエト連邦軍になる(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945.09ホッジ中将の米第24軍団第一陣、仁川に上陸し翌日、朝鮮総督府が降伏文書に調印するアメリカが在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を設置(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945.09.06民族主義者、呂運亨らにより「朝鮮建国準備委員会」の結成全国人民代表大会で臨時政府の樹立を決定し「朝鮮人民共和国」を興す(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945.10米政府による「朝鮮人民共和国」および「朝鮮建国準備委員会」の否定北朝鮮共産党臨時人民委員会が樹立(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945.11.20第一回全国人民委員会代表者会議(人民共和国による)をソウルで開く(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945.12モスクワ協定(米・英・ソ三国外相会議)において、信託統治期間を5年間とし、朝鮮における民主的な臨時政府樹立のために米・英・ソ・中の4大国が朝鮮を信託統治し、その準備を米ソ共同委員会で行うとした(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945.12.19米軍政府がソウルの人民共和国政庁を急襲し、解体を宣告する同じ頃、北朝鮮でもソ連軍の規制が始まり「北朝鮮共産党」に改組され、党首を金日成とする(統一戦線的な北半部の建国の動きを、ソ連型の共産党独裁政権作りに変質させる)(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945年かわって米ソ両大国が進駐し、38度線を境に国土が分断されることになった。(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945年8月18日停戦命令、しかしソ連は新侵攻を止めず、マッカーサーは、北緯38度線までソ連軍の駐留を認める。(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945年9月8日米軍仁川上陸ジョンホッジ中将朝鮮の開放を謳いつつ、日韓の対立を煽る。しかし、開放せず3年間、軍政を敷く。(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 終戦。ポツダム宣言受諾(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 解放、大韓民国[1945年~](東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 八・一五民族光復(朝鮮解放)(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | *1945年第二次世界大戦終戦により、日本による朝鮮半島の実効支配が終了する。これにより、朝鮮半島は解放された。(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 現代*1945年第二次世界大戦での日本の敗戦により、朝鮮半島は解放され、かわって米ソ両大国が進駐し、38度線を境に国土が分断されることになった。(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 現代社会?(1945~)(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 光復第二次世界大戦での日本の敗戦により、日本による朝鮮半島の実効支配が終了する。 | |||
1945 | 在日朝鮮人を乗せ青森から釜山に向かった浮島丸爆沈.原因不明(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 日本の植民地支配からの開放。 呂運亨ら建国準備委員会を結成 モスクワで三国外相会議開催(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 8.15光復国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 1945年~1948年:アメリカ(非独立)←←←ココも重要!(よいこの正しい半島歴史年表)(東アジア-朝鮮-) | |||
1945 | 日本の降伏により、朝鮮は | |||
1945 | 8 | 15 | 8・15光復.日本の降伏により |