朝倉義景

朝倉義景(あさくら よしかげ) 1533~1573  ○長夜叉丸 孫次郎 延景 左衛門督 ◇父:朝倉孝景 室:細川晴元女、義種女、近衛前久妹、鞍谷刑部大夫嗣知女、斎藤兵部女 子:朝倉阿君丸、愛王丸 越前・朝倉氏最期の当主。溺愛する息子を失い、国政に対する気力を無くしていき、一方で学問や芸能に深くのめり込んでいった。都を追われた将軍足利義昭が頼って来た際、上洛を促されるがこの機会を活かさず、義昭に見限られる。その義昭を奉じて上洛した尾張・織田氏に攻められるが、盟友北近江・浅井氏の来援に助けられ危機は逃れた。しかし、その後も自ら積極的に出ることはあまりなく、浅井氏の要請に対し家臣に軍を率いらせるのみで、士気は振るわなかった。その為、織田方との決戦である姉川の合戦においては、数に劣る三河・徳川軍相手に敗走してしまう。最期は一族景鏡、重臣魚住景固らに迫られ、自害して果てた。