本多家(西端藩)

江戸大名公家

本多家 西端(にしばた)藩 丸に立て葵
                       1万500石
三河碧海郡西端(愛知県碧南市 ) 譜代 陣屋
移封加減増履歴・元治元年→1万500石

江戸城詰席・菊之間 子爵 上屋敷・牛込神楽坂
膳所藩藩祖本多康俊の次男忠相を祖とする、忠相は大坂の陣後に旗本となり、加増されて8000石、次の代の忠将の時に9000石となった

初代・忠寛(ただひろ)
本多忠興の子 母は某氏  
生没・天保3年(1832)~明治14年(1881)
家督・嘉永5年(1852)旗本9000石の本多家を相続する
元治元年(1864)石高を1万500石に改め、藩庁を三河西端に置く
従五位下実作守
慶応2年(1866)隠居
正室・新宮藩水野忠央の娘、後に離婚
子女・忠鵬