林子平

林子平

はやし・しへい

元文3年6月21日(1738年8月6日)~寛政5年6月21日(1793年7月28日)

 父は幕臣だったが牢人となり、兄の仙台藩への出仕を機に仙台に移った。
 江戸や長崎に遊学し、工藤平助や大槻玄沢げんたくらと交わり海外事情を学んだ。
 藩当局に藩政改革に関する上書を三度提出。
 天明5年(1785年)『三国通覧図説』、翌年『海国兵談』を著し、日本周辺の状況と海防への世論の喚起をはかった。
 しかし、これらの書物は人心を惑わし政治を私議したとして、寛政4年(1792年)仙台蟄居を命じられ、板木・製本とも没収。
翌年、不遇のうちに病没した。
高山彦九郎・蒲生君平とともに「寛政の三奇人」の一人。

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