正木時茂

正木時茂(まさき ときしげ) 1515?~1573?  ○久太郎 弥九郎 大膳亮 ◇父:正木通綱 子:正木大太郎、信茂、道俊 養子:正木憲時 相模・三浦氏裔。安房・里見氏の内訌(稲村の変)にて、父と兄を失い家督相続。里見義堯、義弘に従い転戦、槍をよく使い“槍大膳”と呼ばれた。弟時忠と共に東上総に侵攻、1542年勝浦城攻略して弟が入り、1544年には上総・小田喜城主真里谷朝信を攻略、ここを居城とする。兄弟共に上総攻略の拠点として活躍した。1564年の国府台の敗戦においては、囲む敵兵21人を斬り倒して戦い抜いた。1565年矢作城主伊能景信を激戦の末攻略。1567年三船山の合戦では奇襲で勝利に貢献した。弟と比較して、陸戦での武功が多かった。1561年すでに死没とも。


正木時茂(まさき ときしげ) 1576~1632 ○里見氏 弥九郎 時堯? 大膳亮 ◇父:里見義頼 養子:正木采女正忠堯、伝左衛門時俊、甚十郎時次 安房・里見氏一族。正木憲時滅亡後、上総・小田喜城に入り跡を継いだといわれる。1614年里見氏は改易され、伯耆・倉吉へ配流された当主忠義に従い放浪の末、鳥取藩に仕官した。