正親町三条家

江戸大名公家

正親町三条家 大臣家 旧家 内々 200石
藤原氏北家公季流三条庶流 侯爵
居所・椹木町寺町西入(京都市上京区)
鎌倉初期の創設、三条実房の子公氏を家祖とする。維新後に嵯峨と改称。
28代実愛は公武合体派として一時失脚するも、文久3年8月18日の政変(三条実美ら過激尊皇攘夷派を朝廷から追放)で復活。薩摩藩へ討幕の密勅を直接渡した人物としても知られる。明治2年賞典禄1000石を下賜された。
 
16代・実有(さねあり)
15代正親町三条公仲の子 
母は勧修寺晴秀の娘
生没・天正16年(1588)~寛永10年(1633)
正二位権大納言
正室・源実康の娘
子女・17代公高 実昭 女子→日野弘資室

17代・公高(きんあきら)
実有の子 母は正室源実康の娘
生没・元和5年(1619)~慶安元年(1648)
正三位参議
正室・不詳
子女・養子実昭(18代)

18代・実昭(さねあき)
16代実有の子 母は某氏
生没・寛永元年(1624)~寛文8年(1668)
従三位参議
正室・冷泉為景の娘
子女・19代公廉 実久

19代・公廉(きんやす)
実昭の子 母は正室冷泉為景の娘 
生没・慶安3年(1650)~寛文11年(1671)
正四位下参議
正室・養子実久(20代) 公統
20代・実久(さねひさ)
18代実昭の子 母は某氏
生没・明暦2年(1656)~元禄8年(1695)
正三位権中納言
正室・不詳
子女・養子公統(21代)

21代・公統()
19代公廉の子 母は某氏
生没・寛文8年(1668)~享保4年(1719)
正二位権大納言
正室・不詳
子女・養子実彦(22代)
養女(吉田兼敬の娘)→穂波晴宣室

22代・実彦(さねひこ)
滋野井公澄の子 母は甘露寺方長の娘
生没・元禄16年(1703)~享保10年(1725)
正四位下右近衛中将
正室・不詳
子女・23代公積
23代・公積(きんつむ)
実彦の子 母は某氏
生没・享保6年(1721)~安永6年(1777)
従二位権大納言
正室・三条西公福の娘
子女・24代実同 実章(花園季文養子)
周子→新清和院(光格天皇皇后欣子内親王の院号)付き女房
24代・実同(さねとも)
公積の子 母は正室三条西公福の娘
生没・寛延元年(1748)~天明5年(1785)
従二位参議
正室・不詳
子女・25代公則 女子→中山忠頼室
女子→柳原均光室
25代・公則(きんのり)
実同の子 母は某氏
生没・安永3年(1774)~寛政12年(1800)
正三位権中納言
正室・勧修寺経逸の娘
子女・26代実義 女子→柳原隆光室
26代・実義(さねいさ)
公則の子 母は正室勧修寺経逸の娘
生没・寛政10年(1798)~文政3年(1820)
正三位参議
正室・信濃松本藩戸田光年の娘
子女・27代公厚 実愛
27代・公厚(きんたる)
実義の子 母は正室戸田光年の娘
生没・文政3年(1820)~文政5年(1822)
正室・なし
子女・養子実愛(28代)

28代・実愛(さねなる)
26代実義の子 母は正室戸田光年の娘
生没・文政3年(1820)~明治42年(1909)
正二位大納言
正室・今城定章の娘
子女・29代公平 公勝(30代、正室は長州藩毛利元徳の養女となった中山忠光の娘) 
女子→冷泉為柔室
女子→長州藩毛利敬親養女→長門府中藩毛利元敏室 女子→野宮定穀室