津軽建広

津軽建広(つがる たけひろ) ????~????
○大河内氏 左馬助
◇室:津軽為信女 子:津軽建次、建義
 藤原氏流と称す。相模・小田原の医者の子で相模・北条氏臣であったが、後に浪人した。その後陸奥・津軽氏に仕えて為信に気に入られ、その三女を娶って津軽氏に改姓する。為信死後、その嫡孫熊千代と三男信建の間で家督争いが起こるが、建広は熊千代派の先頭であった。しかし、徳川幕府の裁定は信枚相続に決定し、建広らは叛逆の罪に問われて、津軽から追放、江戸に上った。