清朝

清朝

清(1616~1911)の歴史・中華民国(1912~1949)の歴史と日本との関係

ゴシック体太文字は2004年8月に訪れた所

1616 初代ヌルハチが「後金」建国
1625 ヌルハチ、遼陽から瀋陽に遷都。瀋陽を盛京と改称。
    瀋陽故宮の建設開始、1636 完成
1636 2代目ホンタイジが国号を「清」と改める。
1943 ホンタイジ亡くなる。陵墓の建造始まる。(昭陵)
    昭陵は現在瀋陽市北部の北陵公園内にある
1644 3代目順治帝の時に北京を占領し、北京に遷都。
    中国全土を支配。髪型(弁髪)・服装(チーパオ)の強制

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1840 アヘン戦争起こる
1842 アヘン戦争で清は敗北。清のヨーロッパ諸国による植民地化、始まる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1894 日清戦争起こる。旅順陥落
1895 日清戦争で清の敗北。下関条約締結(4月17日)
下関条約の内容
・日本は清から遼東半島(旅順・大連など)、台湾、澎湖諸島を奪う。
・清は朝鮮の独立を認める。
・日本は清から2億両の賠償金を得る。
1895 ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉(4月23日)にあい、日本は遼東半島を清に返還。
    「臥薪嘗胆」の言葉がはやる。
1898 ロシアが遼東半島(旅順・大連)の25年間の租借権を得る。
    パリをモデルにして大連の街の建設始まる。大連市街
    大連はロシア語のДальний(ダーリニイ:「遠い」という意味の形容詞)に由来する
1900 義和団事件。ロシアは居留民保護を唱え、中国東北に出兵。
1902 日英同盟
1904 日露戦争起こる
1905 日露戦争でロシア敗北。ポーツマス条約の締結(9月5日)
ポーツマス条約の内容
・日本はロシアから旅順・大連など関東州の租借権を得る。ダーリニイを大連と改称。
 旅順の日露戦争ゆかりの地(二〇三高地、東鶏冠山、水師営会見所)
・長春~旅順間の鉄道(南満州鉄道)および支線の経営権と付属地の利権を得る。
 瀋陽~大連間に乗車 
・日本はロシアから樺太の南半分を奪う。  
1906 南満州鉄道株式会社=満鉄の設立(本社:東京。 翌年、本社は大連に移転)
     鉄道だけでなく、炭鉱経営、中国東北の調査活動の中心となる。
     撫順炭鉱
1907 第一次日露協約。
    (朝鮮を日本の、外モンゴルをロシアの特殊権益圏として相互承認し、
     南満州を日本の、北満州をロシアの利益範囲と定める)
1909 伊藤博文、ハルビンで安重根により暗殺される。
1910 日本による韓国併合
1910 第二次日露協約。
    (アメリカの満州進出に備え、日露両国による満州の現状維持を図る)
1911 辛亥革命起こる。清朝倒れる。

1912 中華民国成立
1915 日本が中国に対して対華二十一箇条要求
    (旅順・大連に対する租借権の99年間延長など)
1919 関東庁、関東軍設置
1928 6月4日、日本の関東軍、奉天郊外で張作霖を爆殺。
1931 9月18日、奉天郊外で柳条湖事件(関東軍による鉄道爆破の自作自演)。
    満州事変の始まり。
1932 3月1日、「満州国」建国。中国は「偽満州国」と呼ぶ。
1936 張学良が西安事件を起こし、国民党と共産党の第二次国共合作につながる
    張学良旧居
1937 7月7日、盧溝橋事件発生。日中戦争始まる。
1945 8月18日、溥儀退位し、満州帝国滅亡
    中国国内で国民党と共産党の内戦再発

1949 10月1日、内戦で共産党が勝利し、中華人民共和国成立

 ヌルハチ、ホンタイジといった名前を見ても分かるように清朝は漢人がつくった国ではありません。清朝は中国東北地方のツングース系女真族が創った国です。そして、漢人に対して髪型(弁髪)や服装(チーパオ)など多くの強制を行いました。
 ヌルハチはチベット仏教を信仰しており、文殊菩薩(マンジュボサツ)にちなんで自らの民族と国家を満洲(マンジュ)と呼んでいました。従って、この意味で中国東北地方を満州と言っても間違いではありません。ただ、日本が満州事変後に無理矢理つくった「満州国」というイメージがあるため、中国では満州という呼び名を嫌うようです。
 また、清朝滅亡の一因も満州問題にあるようです。さらに、日米戦争(太平洋戦争)の一因も満州が絡んできます。このように、満州は日清戦争後の数々の戦争における最大の震源地といっていいでしょう。中国東北地方=満州は、中国、日本、ロシア、アメリカの利益争いの対立点であったといえます。

 日本の関東軍についても誤解している若者が多いようです。関東軍は関東地方の軍隊ではありません。「関」とは「山海関」という地を指します。万里の長城の最東端の地です。そして、「関東」とういうのは「山海関の東」という意味であり、狭義には遼東半島、広義には満州=中国東北地方を指します。従って、「関東軍」というのは中国東北地方に展開している日本軍のことです。

(参考文献)
『満州国「民族協和」の実像』 塚瀬進 吉川弘文館 1998年刊
『キメラ 満洲国の肖像 増補版』 山室信一 中公新書 2004年刊