清水徳川家

江戸大名公家

清水徳川家 丸に三葉葵      10万石
清水御門内(東京都千代田区北の丸公園)
                          御三卿

移封加減増履歴 ・宝暦3年→賄料3万俵 ・宝暦
12年→武蔵などの内で10万石

江戸城詰席・御扣所 伯爵、後に爵位返上、その後に男爵
 

家祖・重好(しげよし)
9代将軍徳川家重の次男 母は側室お遊の方
生没・延享2年(1745)~寛政7年(1795)
宝暦3年(1753)江戸城清水御門内に屋敷を与えられ、賄料3万俵を給される
宝暦12年(1762)武蔵などの内で10万石を与えられる
従三位権中納言兼宮内卿
正室・伏見宮貞建親王の王女貞子
子女・養子敦之助(2代)

2代・敦之助(あつのすけ)
11代将軍家斉の五男 母は正室篤姫
生没・寛政8年(1796)~寛政11年(1799)
家督・寛政10年(1798)相続するも、4歳で夭折
正室・なし
子女・養子斉順(3代)

3代・斉順(なりゆき)
11代将軍家斉の六男 母は側室お登勢の方 
生没・享和元年(1801)~弘化3年(1846)
家督・文化2年(1805)相続 
従三位権中将兼式部卿
文化13年(1816)紀伊藩11代藩主となる
正室・不詳
子女・養子斉明(4代)

4代・斉明(なりあきら)
11代将軍家斉の13男 母は側室お八重の方
生没・文化6年(1809)~文政10年(1827)
家督・文化13年(1816)相続
従三位権中将兼式部卿
正室・伏見宮貞敬親王の王女英子
子女・養子斉彊(5代)

5代・斉彊(なりかつ)
11代将軍家斉の23男 母は側室お袖の方  
生没・文政3年(1820)~嘉永2年(1849)
家督・文政10年(1827)相続
従三位権中納言兼宮内卿
弘化3年(1846)紀伊藩12代藩主となる
正室・不詳
子女・養子昭武(6代)

6代・昭武(あきたけ)
水戸藩徳川斉昭の18男 母は万里小路氏
生没・嘉永6年(1853)~明治43年(1910)
家督・慶応2年(1866)相続
従四位下権少将兼民部大輔
慶応3年(1867)将軍慶喜の名代としてフランス万国博覧会に使節として赴く
明治元年(1868)水戸藩徳川慶篤の養子となる
子女・明治3年水戸藩徳川慶篤の次男篤守が、当家を相続する

江戸大名公家

徳川
 

徳川重好(しげよし)
9代将軍徳川家重の次男
徳川敦之助(2代)・養子

徳川敦之助(あつのすけ)
11代将軍徳川家斉の五男 母は正室篤姫
生没・寛政8年(1796)~寛政11年(1799)
家督・寛政10年(1798)相続するも、4歳で夭折
正室・なし
子女・養子徳川斉順(3代)

徳川斉順(なりゆき)
11代将軍徳川家斉の六男
子女・養子徳川斉明(4代)

徳川斉明(なりあきら)
11代将軍徳川家斉の13男
子女・養子徳川斉彊(5代)

徳川斉彊(なりかつ)
11代将軍徳川家斉の23男
子女・養子徳川昭武(6代)

徳川昭武(あきたけ)
水戸藩徳川斉昭の18男 母は万里小路氏
明治元年(1868)水戸藩徳川慶篤の養子となる
子女・明治3年水戸藩徳川慶篤の次男徳川篤守が、当家を相続する