白河天皇

白河天皇(貞仁親王)

  生没年:1053-1129
  父:後三条天皇
    1069-1073 皇太子
    1073-1087 白河天皇
  中宮:贈太皇太后 藤原賢子(父:右大臣 源顕房、義父:関白 藤原師実)
    1074-1077 一宮 敦文親王
    1076-1096 准三宮 郁芳門院 ?子内親王
    1078-1144 准三宮 令子内親王(斎院)
    1079-1107 善仁親王
    1081-1156 准三宮 禛子内親王(土御門斎院)
  典侍:藤原佳子(父:大宰大弐 藤原経平)
    1075-1105 二品 覚行法親王
  女御:藤原道子1042-1132(父:内大臣 藤原能長、母:源済政女)
    1076-1131 准三宮 善子内親王(六角斎宮)
  女:源盛子(父:三河守 源頼綱)
    1090- 官子内親王(斎院)
  女御:源師子(父:右大臣従一位 源顕房)
    1092-1153 二品 覚法法親王
  女:(父:木工権守 藤原季実)
    1093-1132 恂子内親王(樋口斎宮)
  女:春日殿(父:参議 藤原師兼)
    1094-1137 聖恵法親王
  女:(父:備中守 源政長)
    1101-1165 大僧正 行慶
  女:備前(父:陸奥守 源有宗)
    1128- 円行
    阿闍梨 静證
  女:祇園女御
  女:祇園女御妹
    1118-1181 平清盛?

天皇家

位を子の堀河天皇に譲ると上皇となり、続くと鳥羽天皇崇徳天皇と計3代にわたり独裁的な院政をしいた。歴史的にも院政の創始者とされている。
名前 第72代白河天皇(しらかわてんのう)、貞仁(さだひと)
親族 父=後三条天皇 母=藤原茂子
皇后=藤原賢子---子=善仁(堀河天皇
女御=藤原道子
皇居 平安宮
陵墓 陵墓=成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)
形状=方丘、堀
場所=京都市伏見区竹田浄菩提院町
火葬場=京都市北区衣笠西馬場町、方丘、堀

平安時代も後期になると、院御所の中に御堂や塔が建てられ天皇陵に充てられる事が通例となってきた。
白河天皇良は、彼自身が造営した鳥羽殿(鳥羽離宮)の中に造られている。周囲に堀を巡らした一辺33メートルの方形区画になっているが、もともとは一辺 56メートルの巨大な方形区画に幅8.5メートルの周濠をめぐらせていたことが発掘調査で判明している。
区画の中央には三重の塔が建てられ、その床下に遺骨が埋葬された。「成菩提院」は、この三重の塔の呼び名であった。
略歴 (11世紀)(12世紀)
1053-癸巳-天喜元年06月19日 生誕
1069-己酉-延久元年04月28日 立太子
1072-壬子-延久04年12月08日 即位
1129-己酉-大治04年07月07日 崩御