筒井定次

筒井定次(つつい ていじ) 1562~1615 
○小泉氏 藤松 四郎 藤四郎 伊賀守 羽柴氏
◇父:筒井順国 養父:筒井順慶 室:織田信長女 子:筒井宮内少輔順定、春次
 大和郡山城主筒井順慶に子がなかった為、その養子となり跡を継ぐが、羽柴秀吉に伊賀上野城に転封された。関ヶ原の戦いでは東軍徳川家康方に属したが、その後、豊臣秀頼の臣大野治長、古田織部らと交誼を続け、また、秀頼に年賀の礼をとるなどしていた。その為、これを苦々しく思っていた家康に、定次はキリシタンである、という家老中坊秀祐の訴えを好機として改易される。その後、陸奥岩城の鳥居忠政に預けられるが、大坂城の豊臣方と連絡をとっていたことが発覚、大坂夏の陣直前に切腹を命ぜられた。