蠣崎慶広
蠣崎慶広
かきざき よしひろ
1548(天文17年)(1549?)~1616(元和2年)
別:天才丸 新三郎 志摩守 若狭守 従五位下伊豆守 民部大輔 松前氏 松前慶広
父:蠣崎季広の三男
母:河野季通の娘
室:村上季儀女、斎藤実繁女
子:松前若狭守盛広(松前盛広)、隼人正忠広(松前忠広)、(南部)長門守利広、松前由広、養子松前公広(2代)、松前次広、河野景広、蠣崎安広、松前満広
家督・天正10年(1582)相続
兄二人の死後、蝦夷・蠣崎氏5代当主となる。外交手腕を発揮させて豊臣秀吉に接近し、奥州仕置きで認められ、蠣崎氏を名実共に出羽・安東氏から独立させる。九戸政実の乱などに活躍。朝鮮出兵の時には肥前・名護屋まで参陣して秀吉に“狄の千島の屋形、遼遠の路を凌ぎ来る”として感激させ、アイヌ民族との交易独占等の蝦夷支配の安堵を得た。秀吉死後は徳川家康に蝦夷地図や家譜を献上し、1599年松前氏(松平+前田)に改姓、初代蝦夷松前藩主となる。
蠣崎義広━━━蠣崎季広━┳━蠣崎舜広
┣━蠣崎元広
┃(明石元広)
┣━蠣崎慶広━┳━松前盛広
┃(松前慶広)┣━松前忠広
┣━蠣崎正広 ┣━南部利広
┣━蠣崎長広 ┣━松前由広
┣━蠣崎定広 ├…松前公広・養子━┳━
┣━蠣崎包広 ┣━松前次広 ┗━松前氏広
┣━蠣崎吉広 ┣━河野景広
┣━蠣崎仲広 ┣━蠣崎安広
┣━蠣崎守広 ┗━松前満広
┣━蠣崎員広
┗━蠣崎貞広
→ 松前 家・氏 系図