金沢家信

金沢家信
生歿年:不詳
父:金沢家光
子・大浦光信

 右京亮。羽州金沢氏最後の当主。

 宝徳三年(一四五一)三月十八日の「金沢家信任右京亮口宣案」によってその実在と家督襲封が確認される。年代的には安藤康季や八戸南部政経らの活躍時期と重なる。

 安藤氏と南部氏の抗争によって金沢城を失い、当時の久慈当主南部備前(兄弟か?)に庇護され、下久慈を与えられたが、生涯不遇であったと伝えられている。