難波家

難波家 羽林家 旧家 内々       300石

藤原氏北家師実流後飛鳥井庶流 子爵
居所・椹木町西入南側(京都市上京区)
平安末期の創設だが、14代宗勝が継ぐまで230年ほど中絶期間がある。蹴鞠を家業とした。

14代・宗勝(むねかつ)
飛鳥井雅庸の子 母は飯山藩本多康重の娘
生没・天正14年(1586)~慶安4年(1651)
慶長18年(1613)飛鳥井家に戻り、雅宣と改名して家督を相続する
従一位権大納言(帰家して後の極官)
正室・不詳
子女・養子宗種(15代)

15代・宗種(むねたね)
飛鳥井雅章の子 母は某氏
生没・慶長15年(1610)~万治2年(1659)
従二位権中納言
正室・不詳
子女・養子宗量(16代)

16代・宗量(むねかず)
飛鳥井雅章の子 母は四辻公遠の娘 
生没・寛永19年(1642)~宝永元年(1704)
従二位権中納言
正室・津和野藩亀井茲政の娘
子女・養子宗尚(17代)

17代・宗尚(むねひさ)
飛鳥井雅章の子 母は某氏
生没・寛文8年(1668)~元禄12年(1699)
従三位左近衛権中将
正室・金森飛騨守の娘(飛騨守とは当時飛騨高山藩主金森頼業のことか?金森家の歴代当主には茶の湯の通人が多い、飛騨高山→出羽上山→郡上八幡と移封し、郡上八幡において検見法を変えようとしたことから大規模な郡上一揆をもたらし、幕閣からも処罰者を出す大騒ぎとなり、当時の当主金森頼錦は領地収公・盛岡藩南部家永預けとなっている)
子女・18代宗建

18代・宗建(むねたけ)
宗尚の子 母は金森飛騨守の娘
生没・元禄10年(1697)~明和5年(1768)
正二位権大納言
正室・鷲尾隆長の娘
子女・19代宗城
19代・宗城(むねき)
宗建の子 母は正室鷲尾隆長の娘
生没・享保9年(1724)~文化2年(1805)
正二位権大納言
正室・対馬府中藩宗方熙の娘
子女・20代宗薫 宗正
女子→石山基陳室 従子→新清和院(光格天皇皇后欣子内親王の院号)付き女房
20代・宗薫()
宗城の子 母は某氏 
生没・宝暦2年(1752)~安永5年(1776)
正四位下右近衛権中将
正室・不詳
子女・養子宗章(21代)
21代・宗享()
19代宗城の子 母は某氏 
生没・明和7年(1770)~文化5年(1808)
正三位左近衛権中将
正室・宇土藩細川興文の娘
子女・22代宗職
22代・宗職()
宗享の子 母は正室細川興文の娘 
生没・寛政元年(1789)~天保15年(1844)
正四位下右近衛権少将
正室・不詳
子女・23代宗弘
23代・宗弘(むねみつ)
宗職の子 母は某氏 
生没・文化4年(1807)~慶応4年(1868)
正二位権大納言
正室・不詳
子女・24代宗礼 公亮(押小路実潔養子)
24代・宗礼(むねあや)
宗弘の子 母は某氏 
生没・天保3年(1832)~明治17年(1884)
従三位右近衛権中将
正室・東坊城聡長の娘
子女・25代宗明 公徳(宮成公矩養子) 宗美