[12]国譲りのおはなしパート2(タケミカヅチ伝説)

前の話へ戻る
次の話へ行く
葦原中国の平定
武御雷神(タケミカヅチ)と天鳥船(アマノトリフネ)は、葦原中国平定のため、まず、出雲国の稲狭の浜(いなさのはま)に降臨します。タケミカヅチは、非常に強力な武神で、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その剣先の上にあぐらをかいて座るという異様な出で立ちで、既に隠居の身にあった大国主命(オオクニヌシ)に、こう尋ねました。「この国は、御子が治めるべきと天照大神(アマテラス)は仰せである。そなたはどうお考えか」と。すると、オオクニヌシは、自分が答える前に、息子である事代主神(コトシロヌシ)に聞いてくれとお茶を濁しました。

すると、タケミカヅチと降臨を果たしたアメノトリフネは、コトシロヌシが美保ヶ崎で漁をしているという情報をキャッチし、あっと言う間にひとっ飛びし、コトシロヌシを連れて来ました。そして、コトシロヌシは、国譲りを尋ねられるやいなや「仰せの通りに」と言い放ち、そのまま船を踏み傾け、逆手を打って青柴垣に化え、その中に隠れてしまいました。

	
		因佐神社(いなさじんじゃ):島根県出雲市大社町杵築北3008

因佐神社は、タケミカヅチが降臨を果たしたと言われる稲佐の浜近くに建てられた神社で、ご祭神にタケミカヅチが迎えられています。また、この浜には、弁天島と言う岩が凹凸状に隆起している巨石があり、これはタケミカヅチと争ったタケミナカタが投げた石としています。

	
	
		美保神社(みほじんじゃ):島根県松江市美保関町美保関608

美保神社は、コトシロヌシが、釣りをしていたという三穂の碕(島根県松江市美保関)の地と言われ、ご祭神にもこのコトシロヌシと父神、オオクニヌシの后で、コトシロヌシの義理の母神にあたる三穂津姫(ミホツヒメ)を祀っている。ただし、祭神に関しては、大穴持命(オオナムチ)と奴奈宣波比売命(ヌナカワヒメ:タケミナカタの母)との間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述が、出雲風土記にあるため、こちらが本来の祭神とする説が有力となっている。

	

タケミカヅチは、他に意見のある御子はいないかと尋ねると、オオクニヌシは、別の息子、建御名方神(タケミナカタ)にも聞くように言いました。しばらくすると、タケミナカタが現れ、力自慢のタケミナカタは、当然のことながら、国を渡すことに反対し、力競べを申し出ました。

そして、タケミナカタがタケミカヅチの腕を掴むと、タケミカヅチは、そのまま腕を「つらら」から「剣」に変化させ、掴んだ腕を振りほどきます。そして、今度は、タケミカヅチが、タケミナカタの腕を掴み、まるで、葦の若菜を摘むように、腕を握りつぶしながら易々と投げ飛ばしました。あまりの力の違いに、恐れおののいたタケミナカタはその場を逃げますが、後を追うタケミカヅチに、とうとう科野国(しなのこく=信濃国)の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめられてしまいました。タケミナカタは、この諏訪の地から出ないことを約束し、その場で降参をしました。

					
	
		諏訪大社上社本宮(すわたいしゃかみしゃほんみや)

:長野県諏訪市中洲宮山1
諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)
:長野県茅野市宮川2030
諏訪大社下社春宮(すわたいしゃしもしゃはるみや)
:長野県諏訪郡下諏訪町193
諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃしもしゃあきみや)
:長野県諏訪郡下諏訪町5828
諏訪大社は、タケミナカタを祀る神社として有名で、実際に、タケミナカタが追いつめられた地となります。これは、諏訪神社の系列社情報でも記していますが、戦に負けてしまったタケミナカタを武神として崇敬する背景に、オオクニヌシやコトシロヌシが、戦意を失う中、その力に臆することなく、果敢に挑んだその勇気を讃えていると言われております。

	
	相撲の起源

一説には、このタケミカヅチとタケミナカタの力競べが、現在の相撲の起源と言われております。
出雲大社の登場
こうしてオオクニヌシの御子たちをことごとく屈服させたタケミカヅチは、再び、大国主の元を訪れ、国を譲るかどうかを尋ねました。すると、オオクニヌシは、このように答えました。「二人の息子が天津神に従うというのであれば、私もそれに従いましょう。その代わり、私の住む場所として、天の御子が住むのと同じくらい高くそびえる宮殿を建てて頂きたい。そうしてもらえるのであれば、私もおとなしくそこに籠り、私の百八十の神々も、コトシロヌシの選択に従って天津神にそむくことはないだろう」と。こうして、天照大神(アマテラス)の国譲り交渉は幕を閉じました。

オオクニヌシは、出雲国の多藝志(たぎし)の小濱に巨大な宮殿を建てて、服従の証として、多くの料理で、タケミカヅチをもてなしました。そして、改めて、服従の誓いの言葉を唱えたとされ、この誓いの言葉が、火霧詞と呼ばれるもので、現在も神魂神社(かもすじんじゃ)に代々伝えられ、神事の中も唱えられています。その後、タケミカヅチは、高天原に帰り、葦原中国を平定したことを無事報告したのでした。ちなみに、この国譲りは、「日本書紀」の場合、タケミカヅチと降臨する神は、アメノトリフネではなく、経津主神(フツヌシ)としており、ところどころ、設定が異なっています。

	
		出雲大社(いずもたいしゃ):島根県出雲市大社町杵築東195

出雲大社は、オオクニヌシを祀る神社として有名ですが、この国譲りの時に建てられた建物が出雲大社の起源と言われております。当時その高さは、48メートル以上にものぼると伝えられ、東大寺の46.8メートルを凌ぐ巨大さを誇っており、平安時代の数え歌の中でも出雲大社の宮殿が最も高い建物として、言い伝えられています。ちなみに、出雲大社という名称は、明治以降のもので、それ以前は、杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。

	

前の話へ戻る
次の話へ行く