[14]ニニギの結婚のおはなし(ニニギ伝説)

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ニニギの結婚のおはなし
ある日、瓊瓊杵尊(ニニギ)は、笠沙(かささ)の岬(現在の鹿児島県野間岬)に足を運びます。そして、そこで、花の女神とされる木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)に出会います。ニニギは、そのあまりの美しさに一目惚れをし、一目でコノハナサクヤビメを妻にしようと決意しました。そして、すぐさま、コノハナサクヤビメの父である大山祇神(オオヤマツミ)に結婚を申し込みに行きました。

これを聞いたオオヤマツミは大変喜び、祝いの品を用意しコノハナサクヤビメの姉神で、岩の女神でもある石長比売(イワナガヒメ)をともに差し出し、二人をニニギに嫁がせました。一見、あれ?と思うかもしれませんが、当時としては、家同士の結婚において、姉妹が一人の男性に嫁ぐ姉妹婚という風習がよく見られていたと言われております。

ところが、イワナガヒメの容姿は、花の女神であるコノハナサクヤビメと比べると大層醜く、ニニギは一目見るなりそのまま親元へ送り返してしまうのでした。娘を突き返された父、オオヤマツミは、これを大変恥ずかしく思うのと同時に、次のようにぼやきました。「ニニギ様は誤った選択をされてしまった。私が二柱の娘を送ったのは、石が頑強であるように永遠の長きにわたって、花のように栄えるという誓約を立てたからであったのに、石の神である姉神を送り返したことで、永遠性が失われてしまった。」と。

そうです、今回、この時ニニギが下した判断によって、神の命における永遠性が失われ、それから代々に渡って神の御子に寿命が与えられることになってしまったのです。

	酒造の神、大山祇神(オオヤマツミ)

オオヤマツミは、山の神の総元締めと言われておりますが、中には、酒造や酒解神を司る神ともされています。この元の意味は、娘の結婚を祝ったオオヤマツミが、祝いの品として、天甜酒(あめのたむざけ)を造り、神々に捧げたことに由来しています。
コノハナサクヤビメの火中出産のおはなし
結婚をしてしばらくすると、コノハナサクヤビメは、自身が子供を身籠り、出産が間近に迫ったことをニニギに伝えにやってきました。ところが、ニニギは、その出産を喜ぶどころか、一夜限りの契りで、身籠ったことが信じられず、それは、他の神の子ではないかと疑いました。この言葉に絶句したコノハナサクヤビメは、「アナタの子であれば無事に生まれて来ることでしょう」と不穏な言葉を残し、その場を後にしました。

そして、出産当日、コノハナサクヤビメは、産屋(うぶや)に立てこもると、内側から壁を土で塗り固め、出口を塞いでしまいました。そして、そのまま建物に火を放ったのです。そして、燃え盛る炎の中、コノハナサクヤビメは無事出産を成し遂げました。この苦境の中で無事に産み落とした子は、まさに神の子であると、自らの体を張って、証明してみせたのです。こうして生まれたのが、火照命(ホデリ)、ホスセリ(火須勢理命)、火遠理命(ホオリ)の3柱の神々となります。そして、続くストーリーは、このまま3柱の御子神たちの話に移っていきます。

	
		新田神社(にったじんじゃ):鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2

新田神社は、二ニギを始め、その父神、天忍穂耳命(アメノオシホミミ)、祖母神、天照大神(アマテラス)の3代を祀る神社となります。中でも最大のポイントは、可愛山陵(えのやまのみささぎ)の存在です。ニニギは、亡くなった後、この可愛山陵に葬られたとされ、その御陵は、この新田神社の境内にあります。この御陵と神社が一体とされるケースは全国でも大変珍しいものとされています。

	
	木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)が浅間神社に祀られる理由

富士山を中心に鎮座する浅間神社は、コノハナサクヤビメが祀られる神社としてとても有名です。でも、元々、コノハナサクヤビメが登場したのは、宮崎県であって、富士山とはかなり距離を隔てたところになります。それでは、何故、浅間神社に祀られているのでしょうか。それは、本章のコノハナサクヤビメのストーリーとも関係があります。コノハナサクヤビメは、火中出産を成し遂げました。これは、言い換えれば、炎に打ち勝った女神、つまり、火防の神と言える訳です。そのため、浅間神社におけるコノハナサクヤビメの役割は大変重要でして、富士山の噴火を抑える役として、代々、祀られてきたと言われています。
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