data_旧石器時代
旧石器時代(世界-世界-) | ||||
-6000000 | 旧石器時代以前/旧石器時代(世界-世界-) | |||
-6000000 | ≪ 旧石器時代以前 : 旧石器時代 : 縄文時代 ≫ (世界-世界-) | |||
-6000000 | '旧石器時代'' 打製石器を使用し、狩猟採集を生業としていた人類最初の文化段階。 旧石器時代(パレオリシック Palaeolithic)は、人類が打製石器を中心とした道具を使い、狩猟・採集を生業とし、まだ土器・磨製石器・金属器を知らなかった段階。人類の出現から、約1万年前の新石器文化の出現まで、ほとんどすべてが旧石器時代に属する。 → 新石器時代(世界-世界-) | |||
-5000000 | アウストラロピテクス(猿人)。初めての直立2足歩行。約420万年前からアフリカで性存した化石人類。「南方の猿」の意味。1924年に発見され、化石人類研究の前進をもたらした。脳の大きさや歯、あごの形によって4種類に分類。アファレンシス、アフリカヌス、ロブストゥス、ボイジイ。-3000000(アフリカ-アフリカ-) | |||
-5000000 | アウストラロピテクス(猿人)。初めての直立2足歩行。脳の大きさや歯、あごの形によって4種類に分類。アファレンシス、アフリカヌス、ロブストゥス、ボイジイ。-3000000(アフリカ-アフリカ-) | |||
-5000000 | アルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)-3000000(アフリカ-アフリカ-) | |||
-5000000 | 猿人化石人類の中で最初に現れたと考えられる人類。現在は、約700万年前、アフリカで進化したと考えられている。(アフリカ-アフリカ-) | |||
-4500000 | ラミダス猿人アフリカのエチオピアで発見された最古の化石人類のひとつ。約450万年前に存在し、直立歩行していた。学名はアルディピテクス=ラミダス。(アフリカ-アフリカ-) | |||
道具の使用人類が直立二足歩行することと並行して獲得した能力。この技術によって文明の形成へと進むこととなった。(アフリカ-アフリカ-) | ||||
-2500000 | 石器の使用が始まる(アフリカ-アフリカ-) | |||
-2500000 | 前期旧石器時代-1500000(世界-世界-前期旧石器時代) | |||
-2500000 | (数十万年前-約10000年前)(世界-世界-) | |||
-2500000 | '前期旧石器時代'' -250万年~-15万年前(世界-世界-) | |||
礫石器人類が最初に作った最も原始的な道具。オルドワン石器と言われる初期段階の石器の一つ。礫石器の造り方と使用法れきせっき。旧石器時代の最も粗末な、自然石の一部をうち割って作った石器。人類が最初に作った石器である。このような最も簡単な打製石器をヨーロッパではオルドワン石器といい、旧石器文化のこの段階をオルドワン文化とも言う。これはアフリカの大地溝帯で発見された化石人類であるホモ=ハビリスが作りだしたもので、人類は”道具”を獲得したと言える。最も古いものはエチオピアで発見された約250万年前の石器とされている。ホモ=ハビリスはかつてはアウストラロピテクス(猿人)に近いとされていたが、現在ではホモ属に属し、ホモ=エレクトゥス(原人)により近いとする説が有力になっている。(アフリカ-アフリカ-) | ||||
-2000000 | ホモ・ハビリス。“器用なヒト”という意。石器を使用。-1500000(アフリカ-アフリカ-) | |||
-2000000 | ホモ・ハビリスアフリカで発見された化石人類の一つ。猿人と原人の中間的段階と考えられている。(アフリカ-アフリカ-) | |||
-1700000 | “更新世”地質年代第4期前半。原人が出現した時期。かつては洪積世とも言った。(アフリカ東部と南部-アフリカ東部と南部-) | |||
-1600000 | ホモ・エレクトゥス(原人)-1500000(アフリカ東部と南部-アフリカ東部と南部-) | |||
-1000000 | ホモ・エレクトゥス、ユーラシア大陸へと移動。中国の北京原人、インドネシアのジャワ島のジャワ原人。本格的な道具の製作。火を使用。(アジア-ユーラシア大陸-) | |||
-900000 | 西アジアに人類が居住(西アジア-西アジア-) | |||
-850000 | ヨーロッパに人類が進出(欧州-ヨーロッパ-) | |||
朝鮮半島の歴史(東アジア-朝鮮-先史時代) | ||||
お隣の国、韓国、北朝鮮(朝鮮半島)の歴史について簡単に学んでみましょう。海を隔ててすぐ隣にある朝鮮半島。そこに住む人々はどんな歴史をたどってきたのでしょうか?時代の流れがわかるようになるべく順を追って読んでいってね。 日本と韓国の間には過去の不幸な歴史がある。たとえ観光旅行であっても訪問地に関する最小限の知識は身に付けておきたいものである。(東アジア-朝鮮-先史時代) | ||||
-700000 | 先史時代(国史年表)(東アジア-朝鮮-先史時代) | |||
-700000 | 旧石器文化 数十万年前(東アジア-朝鮮-旧石器文化) | |||
-700000 | 約70万年前(旧石器文化)国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-旧石器文化) | |||
-700000 | 旧石器文化 約70万年前旧石器人の登場韓半島とその周辺には、約70万年前前から人類が定住し始めたとされています。旧石器時代の人々は、初めは石をそのまま使用したが、徐々に用途に応じ様々な打製石器をつくった。獣や魚を捕まえ、植物の実や根を採集し、季節により移動生活をしながら、洞窟や海岸に仮小屋を建てて暮らした。民族はモンゴル人種に属し、アルタイ語族に属すると考えられる。国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮-先史時代) | |||
-700000 | 打製石器人類が石を材料に「加工、製造」した「道具」。打製石器は旧石器時代の指標となる。おおよそ礫石器→握斧→剥片石器→石刃へと段階的に進歩し、細石器を経て磨製石器(新石器時代)に移行する。礫石器 → 握斧 → 剥片石器 → 石刃技法(東アジア-朝鮮-旧石器文化) | |||
-500000 | 旧石器文化時代(約50~10万年前) 約50万年前 洞窟や岩陰、川端に集団で居住。狩猟と植物採取で生活。(東アジア-朝鮮-旧石器文化) | |||
-470000 | 330~470 ギュンツ氷期(世界-世界-) | |||
北京原人中国の北京郊外、周口店で発掘された、代表的な原人の化石。現在の中国人の先祖であるかどうかは否定的に見られている。中国の北京の南西にある周口店で発見された、原人(ホモ=エレクトゥス)に属する化石人類。1927年から本格的な発掘が行われ、約50万年前から30万年間ごろの原人化石とされた。なお、最近までシナントロープス=ペキネンシスという属名が使われたが、現在はジャワ原人などと同じ原人の一つの地域集団とされるようになったため、その言い方は行われなくなっている。(東アジア-中国-) | ||||
火の使用他の動物と人類とを区別し、文明を生み出した人類独自の能力。道具の発明に続く台にの技術革命とも言われる。火の使用を示す確実な証拠は160万年前にさかのぼるが、それ以降なにも発見されていない。約100万年前になると、ようやく証拠が散発的に見つかるようになる。前回紹介したイスラエルのゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡もこの本で紹介されている*1。しかしその後、ふたたび炉の証拠がない時代が続く。50万年前から「証拠」が旧世界の三大陸すべてで広範囲から豊富に見つかるようになる。40万年前以降になると、どの時点でも「証拠」が見つかるようになる。(東アジア-中国-) | ||||
-450000 | 中国北部周口店に人類が居住(東アジア-中国-) | |||
-330000 | 300~330 間氷期(世界-世界-) | |||
言語の使用他の動物と人類とを区別する、人類独自の意思伝達能力。言語能力はかつては原人段階と考えられていたが、現在では疑問視され、新人段階からが有力視されている。言語能力の獲得 人類が言語能力を獲得したのは、頭蓋骨の変化などからやはり原人段階であろうと推定されているが、これには最近、否定的な意見も出されていて、明確にはわかっていないというのが現状であろう。一時は、原人の頭蓋骨には言語のコントロールする部位といわれるブローカ野の痕跡が認められるので、叫声から言語に進化する途上にある原始的な言語は使っていたと考えられるとされていた。言語活動は新人からか しかし、現生人類のような発達した前頭葉を持つ大脳を収納するような頭蓋骨はネアンデルタール人にも認められない。ネアンデルタール人の脳容積そのものは現生人類よりも大きかったが、その頭蓋骨の構造を分析すると前頭葉の発達は未熟であるという。また音声を発するのどの構造も、ネアンデルタール人までは声帯の位置が現代人に比べて高く、複雑な発声は出来なかったと考えられている。チンパンジーの声帯はもっと上にあって気道が短すぎ叫び声は出せても言葉を発声することは出来ない。複雑な分節化した言葉を発することが出来るようになるのは、やはり新人(現生人類、ホモ=サピエンス)になってからのようである。(世界-世界-) | ||||
-300000 | ホモ・サピエンス(新人)。“知性あるヒト”の意。-200000(世界-世界-) | |||
-300000 | 230~300 ミンデル氷期(世界-世界-) | |||
-230000 | 180~230 間氷期(世界-世界-) | |||
-200000 | 20万年前 ホモ・サピエンス現生人類、ボツワナで20万年前に誕生 DNA分析で特定10/29(火) 6:25配信AFP=時事現生人類誕生の地として特定されたマカディカディ・オカバンゴ地域を示した図。矢印は、人類が13万~10万年前に北東と南西の両方向に移動した経路。【翻訳編集】 AFPBB News【AFP=時事】現生人類は20万年前、ボツワナ北部で誕生したとする論文が28日、国際研究チームにより科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。人類誕生の地を特定した研究結果としては、これまでで最も詳細な位置を示したものとみられる。 解剖学的現生人類のホモ・サピエンス・サピエンスがアフリカで誕生したことは以前から知られていたが、その正確な場所は特定されていなかった。 研究チームは、「L0」系統のDNAを高い割合で保持することが知られている民族グループ「コイサン」に属する200人からDNAサンプルを採取した。コイサンは現在、南アフリカとナミビアに暮らしている。 研究チームはサンプルを地理的分布や考古学、気候変動のデータと合わせ、ゲノム年表を作製。年表から、L0系統の起源が20万年前のザンベジ川(Zambezi River)南方のボツワナ北部にさかのぼることが示唆された。 同地域はマカディカディ・オカバンゴ(Makgadikgadi-Okavango)と呼ばれ、現在は主に荒原が広がっているが、当時はビクトリア湖(Lake Victoria)の約2倍の大きさの巨大湖があったという。人類は同地域に約7万年の間住んでいたが、約13万年前に起きた気候変動により世界各地に広がっていったとみられている。【翻訳編集】 AFPBB News(世界-ナミビア、世界-) | |||
-200000 | '20万年前'' ホモ・サピエンス 1万年前、南米へ 3千年前、太平洋の島々へ ホモ・サピエンス(1000ml) アジアへ ジャワ原人 北京原人 ホモ・サピエンス(1400ml) ネアンデルタール人(1400ml) ヨーロッパへ 3万年前全滅 レグルドゥー遺跡 ネアンデルタール人の遺跡 (氷河期の覇者) ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の違い 頭蓋骨の裏が平らなネアンデルタール人 喉仏が高い位置がある 複雑な話ができない 会話能力が違う(世界-世界-) | |||
-180000 | 130~180 リス氷期(世界-世界-) | |||
-150000 | '中期旧石器時代''(旧人段階) -15万年~-3万5千年前(世界-世界-) | |||
-130000 | 70~130 間氷期(世界-世界-) | |||
-100000 | ホモ・フロレシエンシスインドネシアのフローレス島で、およそ10万 2万年前の地層から2003年に発見された新種の原人。数十万年以上前のジャワ原人が、海を越えてフローレス島に渡り、身長1mほどに小型化したものと考えられる。脳は小さいが(417立方センチ)、前頭葉や側頭葉の形は原人の状態を保っており、進歩的な石器を使っていた。四肢骨の形態は猿人と似ている。(東南アジア-インドネシア-) | |||
-100000 | ネアンデルタール人-35000(欧州-ヨーロッパ-) | |||
日本の歴史(日本-日本-旧石器時代) | ||||
相沢忠洋が岩宿遺跡を発見して日本の旧石器時代の存在が証明 数十万年前、日本列島はアジア大陸と陸続きで北からはマンモス、ヘラジカ、南からはナウマンゾウ、オオツノシカなどの大型動物を追いかけて日本列島へ人類もやってきた。食糧調達には主に狩猟・採取を行い、石を打ち砕いてつくられた打製石器(材料は黒曜石など)を使用した。無土器時代とも言われている為、土器はない。(日本-日本-旧石器時代) | ||||
-100000 | 旧石器時代(先土器時代、無土器時代)-[~紀元前1万6500年頃](日本-日本-旧石器時代) | |||
-100000 | 日本列島に人類の痕跡が見つかる(金取遺跡で石器が出土)(日本-日本-旧石器時代) | |||
-100000 | 旧石器時代 日本列島に人類がいたという足跡は、20~30万年前までになると言われていますが、年代が確認できるものとしては約35,000年前からになります。 ユーラシア大陸と陸続きになっていたが、13,000~12,000年前には大陸から離れて、現在の日本列島になった。 ユーラシア大陸と陸続きだった頃、様々な動物が、それらの動物を追って、旧石器人も渡ってきたと考えられています。 30,000年前から12,000年前の後期旧石器時代の遺跡が、日本列島で4,000箇所も確認されましたたが、前期・中期旧石器時代の確実となる遺跡は今のところ存在しない。 定住していたとする住居の遺跡が少ないことから、一つの場所に定住せず、一定の場所の中を移動しながら猟などをして生活していたと考えられます。 旧石器時代の住居の多くは、洞窟や大きな岩の陰などを上手に利用し、また竪穴式住居も見つかっています。 後期旧石器時代には、石刃技法という方法で作られたナイフ型石器が数多く出土しています。木や骨を軸にしてくくりつけ、切ったり突いたりするのに使われていたと考えられています。旧石器時代には、狩猟を行って食料としていました。遺跡からは牛やナウマンゾウ、鹿、イノシシ、ウサギなどの骨が発見されています。(日本-日本-旧石器時代) | |||
-100000 | 旧石器時代の生活 数十万年前、日本列島はまだアジア大陸と陸続きで、北からはマンモスやヘラジカ、南からはナウマン象やオオツノジカなどの大型獣が、大陸からやってきた。これらの大型獣を追って人類も今の日本列島へ渡来、この人々が日本人の原型で、のちに渡来した人々との混血を繰り返し、現在の人々が形成されていったと言われている。この時代、人々は打製石器を使用し、テント式の小屋や洞窟などに十人前後の集団で住み,狩りや漁、採集による移動生活をしていた。すでに火を使用していたが獲物はあまり取れず、苦しい生活が何万年も続いた。 大陸から日本列島が分離したのは、洪積世の終わり。その頃訪れた温暖な気候により氷河が溶け海水面が上昇、さらに地殻の変動もあって、日本列島は大陸から分かれた。(日本-日本-旧石器時代以前) | |||
-100000 | 旧石器文化(先土器文化) 打製石器、岩宿遺跡(日本-日本-旧石器時代) | |||
-100000 | 人類の誕生 人類の誕生は今から約700万 | |||
-70000 | 15~70 ヴュルム氷期(世界-世界-) | |||
-50000 | オーストラリア大陸に人類が到達(オセアニア-オーストラリア-) | |||
-40000 | 4万年前 氷河の拡大 言葉が未来を予測する力に 獲物がいつどこから来るか予測 サンセデール遺跡 ネアンデルタール人最終期の遺跡 3万年前 全滅した19種の人類とは 進化の歴史は、全滅の歴史(世界-世界-) | |||
-35000 | チベットの歴史 神話時代 チベット文明の誕生西藏(チベット)は中国の南西部辺境にあります。 チベットに住むチベット族は、旧石器時代新石器時代からの長い歴史を持ち、紀元前からすでに中原に住む漢族とつながりをもっていた。チベット神話伝説によりますと、チベット族の先祖は一匹の猿と岩の精女とであった。この夫婦から生れた子供達は、半猿半人で、すでに直立していたが、全身を毛で覆われ、清くのつぺりした顔をしていた。また、ある所伝によりますと、尻尾がついていたという(他の所伝では、すでに尾はなかった)。先祖の猿は、その子供たちに、住むべき場所として南方の森を指定しました。彼等はそこで牝猿と一緒になって増殖していった。「夏になれば、雨と太陽とにいためつけられ、冬になれば、雪と風とに悩まされました。彼等には、定まった食物もなければ、衣服もなかった。」観 音の化身である彼等の先祖はこれをみて憐み、彼等に『六種の穀物』(蕎麦、大麦、芥子、等。しかし、このテキスト はもっと前の箇所で五穀、すなわち、大麦、小麦、米、胡麻、豆を挙げている)をもたらした。こうして、ヤルルン地方のソタンで最初の畠がつくられ、猿人どもは少しずつ人間の形をとっていった。 最初の諸種族はmiuと呼ばれた。この語は、今日、『倭人』、『小人』を意味する。恐らく、中国語の(獺猴)に由来するのであろう。獺猴は猿を意味するが、古代の羌族は猿を自分たちの先祖としていたのです。(東アジア-チベット-) | |||
-35000 | '後期旧石器時代''(新人段階) -3万5千年~-1万年前(世界-世界-) | |||
アメリカの歴史(北米-アメリカ-) | ||||
-30000 | アメリカ大陸に人類が到達(北米-アメリカ-) | |||
-30000 | クロマニヨン人(世界-世界-) | |||
台湾の歴史(東アジア-台湾-) | ||||
台湾というと親日的というイメージをもっている人も多いのではないでしょうか?東日本大震災の時には多くのお金を送ってくれたりもしましたね。 ですが、我々日本人は、ん?なんで台湾の人って日本にそんなに良くしてくれるの?って疑問に思っている人も多くいるでしょう。では、そんな台湾の歴史を学びながら親日的な台湾の疑問を紐解いていきましょう。 台湾の歴史がそのようなものであったことは知らなかった、あげくは台湾は古来中国の領土であったと思い込んでいる。若者ならいざ知らず壮年の直中にいる者までが、台湾のことなどまるで知らないでいる。(東アジア-台湾-) | ||||
-30000 | 有史以前(30000年前)(東アジア-台湾-) | |||
-30000 | 台湾って中国なの? 台湾のことを中華民国っていうことがありますよね。しかも、台湾は中国だよ。とか、中国じゃなく台湾は台湾でしょ。とか・・・。台湾っていったいどこの国なのよ~。ってことで今回は、その辺をちょっと学んでみましょう。 中国からみたら台湾は中国の領土のひとつです。中国の憲法にも「台湾は、中華人民共和国の領土の一部である。台湾同胞を含む全中国人民の祖国統一は我々の責務である」といった内容が書かれています。 う~ん。意味わかんないですよね。中国って中華人民共和国でしょ。じゃ、なんで台湾を中華民国というのか?人民共和はどこいったんだい?って感じですよね。 実は、この辺は台湾の歴史を見ていくとわかってきます。では、今回は台湾の歴史を学んでいってみましょう。 現実政治の世界ではなおパワーが決定的に重要であるから、そのパワーのおもむくところ中国の主張を他国は「理解し尊重する」ということに傾かざるをえない。しかし、中国がそうした政治的主張を繰り返し、他国がこの主張を理解し尊重するという態度をとりつづけて何年も経つと、台湾が歴史的事実としても中国の版図であったかのように思い込まされてしまうという危険性がある。 中台統一は中国人民の「神聖なる使命、崇高なる目標」だというのが中国の主張である。とはいえ、これはあくまで政治的主張であって、そのような主張を裏づける歴史的根拠が存在するということではない。(東アジア-台湾-) | |||
-30000 | 台湾 語源 中国本土の東方にある大きな島で、本土とは別個な文化圏を形成していた。 大陸中国にとって台湾は長らく中華文明の教化の及ばない「化外の地」であり、先住民は「化外の民」とみなされ、大陸中国がその領有に関心を示すことはなかった。 台湾を「発見」してここをイリヤ・フォルモサ(「美麗島」)と命名したのはポルトガルであった。 Formosa(フォーモサ)と言う昔の名称はポルトガル語の「美しい」を意味し、これは16世紀にポルトガルの探検家が島を通り過ぎた時に付けた名前である。 17世紀初頭にオランダ東インド会社がゼーランディア城(FortZeelandia)に商業基地を建設した時には先住民の呼称を採用し、音訳されてTayouanあるいはTeyowanと記されている。 その後オランダ、スペインが台湾支配は局地的かつ一時的なものに終わった。 強大な軍勢をもつ明国ならびに清国が、局地的、一時的ではあれオランダ、スペインによる台湾支配を許容したこと自体、大陸が台湾にさしたる関心をもっていなかったという事実を「立証」している。(東アジア-台湾-) | |||
-30000 | 台湾に人が定住した証拠は30000年前にさかのぼるが、台湾の最初の定住者は現在島に定住するどのグループとも遺伝的に違っている可能性がある。(東アジア-台湾-) | |||
-30000 | 東南アジアで根栽農耕(東南アジア-東南アジア-) | |||
-20000 | 氷河時代末期、(新人)日本では縄文人や弥生人。金属を使用。[-10000] 新人とみられる港川人(沖縄県)が出現 石器を使った狩猟・漁猟・採集の生活 姶良カルデラ噴火[前24000](日本-日本-旧石器時代→縄文時代) | |||
-18000 | 浜北人が出現(日本-日本-旧石器時代→縄文時代) | |||
縄文時代(日本-日本-旧石器時代→縄文時代) | ||||
縄文草創期(日本-日本-旧石器時代→縄文時代) | ||||
縄文人は石器を新石器と進化させ、石を磨いた磨製石器を使用。 竪穴式住居、高床式倉庫の建物を用いて集落の形成(ムラ)や縄文式土器、土偶、土面、貝塚、漆製品、装身具、農耕具(木製、石製)を作るようになった。 食料調達には弓矢を用いた狩猟(イノシシ、シカ)や漁(タイ、ボラ、マグロ、サケ、イルカ、クジラ)、採取(クルミ、クリ、ドングリ)、採集(アサリ、ハマグリ)、焼畑農耕でソバ、ムギ、アズキ、エゴマなどを栽培して果実酒も製造していた。(日本-日本-縄文時代) | ||||
-16500 | 旧石器時代→縄文時代[約16500年前-紀元前3世紀](日本-日本-旧石器時代→縄文時代) | |||
-16500 | 縄文文化、世界最古の土器が作られる →日本最古の土器 日本の土器、世界最古なの?(日本-日本-) | |||
-16500 | 縄文文化 縄文式土器、土偶(日本-日本-縄文時代) |