人名う
- 宇迦之御魂神?
- 稲荷神社の御祭神。
- 鵜葺草葺不合神?
- 鵜葺屋葺不合命?
- 神武天皇の父。
- 宇喜多秀家 1572-1655
- 関ヶ原合戦では西軍に属し、敗戦後薩摩島津氏を頼る。3年後、幕府に出頭し八丈島に流された。
- 保食神?
- 食べ物の神。
- 宇佐津臣?
- ①父:天種子 母:宇佐津姫②子供:大御気津臣
- 内田家?
- 内田家 小見川藩 鈴付き轡丸 1万石下総香取郡小見川(千葉県香取市) 譜代 陣屋移封加減増履歴・寛永16年→下総香取他1万石・慶安2年→下野鹿沼1万5000石・元禄12年→1万3000石・享保9年→下総小見川1万石江戸城詰席・菊之間 子爵 上屋敷・麻布日ヶ窪人口・全領地8264人、家数1621軒 明治2年現在遠江国の出身で初め今川氏に属し、後に徳川家康に仕えた。
- 内田正学? 弘化4年(1847)~明治43年(1910)
- 母は某氏家督・元治元年(1864)相続
- 内田正容? 寛政12年(1800)~明治3年(1870)
- 9代・母は某氏家督・文化13年(1816)相続天保8年(1837)不行跡により隠居を命じられる
- 内田正勝? 寛文7年(1667)~元禄7年(1694)
- 母は正室久世広之の娘
- 内田正純? 宝暦6年(1756)~文政8年(1825)
- 7代・母は正室伊東長丘の娘家督・天明2年(1782)相続文化3年(1806)隠居
- 内田正親? 宝永7年(1710)~延享3年(1746)
- 4代・母は正室毛利元次の娘 家督・享保9年(1722)父正偏の乱心により、3000石上知、1万石を与えられ小見川に藩庁を置く
- 内田正縄? 天保5年(1834)~元治元年(1864)
- 母は某氏家督・文久3年(1863)相続
- 内田正信? 慶長18年(1613)~慶安4年(1651)
- 藩祖母は小川三益の娘(三益は北畠氏に仕え、後に徳川家臣) 慶安4年(1651)将軍家光薨去に際し殉死する従五位下信濃守正室・鶴岡藩酒井忠勝の弟直次の養女子女・2代正衆
- 内田正徳? 天保元年(1830)~文久3年(1863)
- 11代・母は某氏 家督・嘉永4年(1851)相続
- 内田正道? 文政11年(1828)~嘉永4年(1851)
- 10代・母は某氏 家督・天保8年(1837)父正容が隠居を命じられたため相続、翌天保9年(1838)領地の一部が収公される
- 内田正肥? 寛政2年(1790)~文化13年(1816)
- 8代・母は正室水野忠見の娘家督・文化3年(1806)相続
- 内田正衆? 正保2年(1645)~元禄12年(1699)
- 2代、母は正室酒井直次の養女 家督・慶安4年(1651)相続子女・正勝(病没) 女子→芝村藩織田長清室、後に離縁 正長(別家) 正広(別家) 女子→結城藩水野勝長室女子→小浜行隆妻、離婚後に糸魚川藩松平直之室
- 内田正偏? 元禄6年(1693)~寛保3年(1743)
- 3代・母は正室青山幸実の娘家督・元禄12年(1699)相続享保9年(1724)乱心により籠居
- 内田正良? 享保15年(1730)~文化4年(1807)
- 6代・母は窪田氏家督・宝暦3年(1753)相続天明2年(1782)隠居
- 内田正美? 享保20年(1735)~宝暦3年(1753)
- 5代・母は正室水野忠定の娘家督・延享3年(1746)相続
- 宇比地邇神?
- 天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第三の神。 宇比地邇神と須比智邇神は、最初の男女の神。『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊に続いた 神世七代の第四代の神。宇比地は泥土、須比智は砂土で、土砂を神格化した神。大地を鎮める盛り土の神とする説もある。泥土根尊と書いて「ういじねのみこと」と読む場合も「すいじねのみこと」と読む場合もあるらしい。
- 海幸彦?
- 邇邇芸命と木花咲耶姫の長男。
- 蛤貝姫?
- 薬の神様。
- 上井為兼 1545~1589
- 弟:上井秀秋大隅・上井を領していた祖父諏訪為秋が1548年薩摩・島津氏に仕え、上井氏に改めた。島津義久の奏者となり各地を転戦、筑前・高橋紹運を攻めたときには負傷している。豊臣氏の九州征伐に降ってからは隠居し、軍事や政治並びに和歌、詩歌について記述した「上井覚兼日記」や随筆「伊勢守心得書」を残した。