松前崇広

12代・崇広

(たかひろ)
生没・文政12年(1829)~慶応2年(1866)
従四位下伊豆守

9代松前章広の六男
母は笠島氏
正室・中村藩相馬益胤の娘
子女・養子松前徳広(13代) 
女子→足利藩戸田忠行室 
女子→天童藩織田信敏室
女子→喜連川藩喜連川縄氏室

家督・嘉永2年(1849)相続
安政2年(1855)東在・木古内村以東、西在・乙部村以北の地が幕領となり、替地として陸奥国伊達郡梁川・出羽国村山郡東根に合わせて3万石を与えられる
元治元年(1864)7月老中(格)、同年11月老中に進む

松前道広━━━松前章広━┳━女子
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            ┣━松前見広━┳━松前良広──(松前昌広・養子)
            ┣━     ┗━松前昌広
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            ┗━松前崇広──(松前徳広・養子)━━━松前脩広

松前家