阿閉貞大

阿閉貞大

あつじ さだひろ
????~1582
別:〇孫五郎
父:◇淡路守阿閉貞征の子

もと浅井氏の臣。
1573年8月信長江北攻めで、退却する朝倉を攻める先手を命じられたのに、信長に遅れをとってしまい、厳しく叱責される。
1575年8月信長越前攻撃の先陣をつとめる。
1578年8月信長主催の安土の相撲に奉行として参加。永田正貞・阿閉貞大の強力を聞き及んでいた信長は二人の相撲を所望。まず堀秀政・蒲生賦秀・万見重元・布施公保・後藤高治と対戦した後二人で対戦し、永田の勝ちとなる。
1581年9月北畠信雄の伊賀攻めに甲賀口先手として参戦。
1582年の本能寺の変後明智光秀に与力し、長浜城を攻撃。光秀の死後居城の山本山城を宮部継潤・中村一氏に包囲され、捕らえられ殺される。


阿閉貞征━━━阿閉貞大