鷹司松平家(吉井藩)

鷹司松平家 吉井藩  上野牡丹    1万石

上野多胡郡矢田(群馬県多野郡吉井町)

家門  陣屋



移封加減増履歴・宝永6年→上野矢田(矢田と吉井は隣接地)1万石

江戸城詰席・大広間 子爵

上屋敷・赤坂薬研堀

参勤・定府

明治元年(1868)藩名を「吉井」に改め、松平姓も吉井とする



藩祖・信清(のぶきよ)

松平信政の長男 母は正室赤穂藩森長継の娘

生没・元禄2年(1689)~享保9年(1724)

祖父信平は関白鷹司信房の子、3代将軍徳川家光の正室孝子は姉にあたり、姉の江戸下向に随行したことを契機に徳川の旗本となる、松平姓を許されたのは信平が紀伊藩藩祖徳川頼宣の長女松姫を娶ったことによる

宝永6年(1709)3000石を加増され、それまでの7000石と合わせ1万石となり大名に列する

従四位下侍従兼越前守

正室・なし

子女・2代信友



2代・信友(のぶとも)

信清長男 母は某氏

生没・正徳2年(1712)~宝暦10年(1760)

家督・享保9年(1724)相続

従四位下侍従兼式部大輔

正室・常陸府中藩松平頼明の娘

子女・信明(信有養子) 養子信有(3代)



3代・信有(のぶあり)

紀伊藩徳川宗直の四男 母は入江氏 

生没・享保16年(1731)~寛政5年(1793)

家督・宝暦10年(1760)相続 

従四位下侍従兼左兵衛督

明和8年(1771)隠居

正室・津山藩松平長孝の娘

子女・信成(信明養子、5代) 養子信明(4代)



4代・信明(のぶあきら)

2代信友の次男 母は某氏

生没・延享2年(1745)~安永4年(1707)

家督・明和8年(1771)相続

従四位下侍従兼左兵衛督

正室・会津藩松平容頌の娘

子女・信充(信成養子、6代) 養子信成(5代)



5代・信成(のぶしげ)

3代信有の次男 母は某氏  

生没・明和4年(1767)~寛政12年(1800)

家督・安永4年(1775)相続

従四位下侍従兼左兵衛督

正室・鳥取藩池田重寛の娘

子女・房府 信敬(信充養子、7代) 

養子信充(6代)



6代・信充(のぶみつ)

4代信明の次男 母は某氏

生没・安永4年(1775)~享和3年(1803)

家督・寛政12年(1800)相続

従四位下侍従兼左兵衛督

正室・なし

子女・養子信敬(7代)



7代・信敬(のぶよし)

5代信成の三男 母は正室池田重寛の娘 

生没・寛政11年(1799)~天保12年(1841)

家督・享和3年(1803)相続

従四位下侍従兼弾正大弼

正室・久留米藩有馬頼徳の妹

子女・女子→信任養女 養子信任(8代)



8代・信任(のぶただ)

5代信成の子松平房府の長男 母は某氏 

生没・文政9年(1826)~弘化4年(1847)

家督・天保12年(1841)相続

従四位下侍従兼左兵衛督

正室・なし

子女・養子信(9代)



9代・信(のぶおき)

津山藩松平維賢の三男 母は神村氏 

生没・文政7年(1824)~明治23年(1890)

家督・弘化4年(1847)相続

徳川斉昭や島津斉彬らと親交があり、英邁な藩主とされる

従四位下侍従兼左兵衛督

元治2年(1865)隠居

正室・信任の養女 

子女・養子信謹(10代)

養女(旗本秋山正光の娘)→田中藩本多正訥室



10代・信謹(のぶのり)

米沢藩上杉斉憲の五男 母は某氏   

生没・嘉永6年(1853)~明治23年(1890)

家督・元治2年(1865)相続

従四位下侍従兼左兵衛督

正室・宇土藩細川行芬の娘