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青橿城根尊(あおかしきねのみこと) 
於母陀流神
青橿城根尊(あおかしきねのみこと) 
阿夜訶志古泥神
飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ) 
陸路と海路に関わる神。
飽きるほど食べる大人の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた御冠から出現。
阿治志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)? 
阿遅鋤高日子根神
阿遅鉏高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)? 
阿遅鋤高日子根神
阿遅鉏高日子神(あじしきたかひこのかみ)? 
阿遅鋤高日子根神
阿遅鋤高日子根神(あじすきたかひこねのかみ) 
雷神、農業神

 鋤という文字からも連想されるとおり、阿遅鋤高日子根神は農業の神である。あの大国主命を父に持つという点から見ても、それは間違いあるまい。また、穀霊の天若日子神と非常に親しい友人であったという点も見逃せない。 天若日子神が死んだときに、わざわざ天上から地上に弔問に訪れるほどであったという。そのときに死者と間違われて非常に怒ったという話が残っている。その話は天若日子神を参照していただくとして、重要なのはこの2人が非常によく似ているという点だ。なにしろ実の父や妻でさえも見間違えるというのだから相当だ。
 神話において、姿形の似ている神というのは、その神としての性質もよく似ていることが非常に多い。この2神の場合は、生者が死者と間違われるという点で、本質的な同一神であることを示す象徴性が感じられる。つまり、この2神はいずれも穀霊だということである。そこから、この話は一般に穀物の死と再生という農民の信仰がもとになったものと考えられている。また、この話の中で生者の立場をとる阿遅鋤高日子根神は、春に芽を出してすくすくと育つ生命力を象徴していると言えるだろう。
 古代において、鋤という道具は、単なる道具である以上に田の神を祀るときの呪具としても用いられた。阿遅鋤高日子根神の字を見ても分かるとおり、もともとはこの鋤を御神体とする農業神として祀られたものであろう。さらに、「日本霊異記」の道場法師のエピソードに興味深いものがある。昔、農夫が畑で鋤柄の金杖を持って立っていると、突然雷雨が襲ってきて彼の前に落雷した。そのあとを見ると頭に蛇を巻き付けた奇妙な姿をした子供が立っていた。その子供は、後に元興寺の童子となり、出家して道場法師と名乗った。そして、元興寺の田が渇水に悩まされていたときに鋤柄の杖を水門の口におき、たちまち田に水を引き入れたという。
 この話は、鋤が神霊の依り代と考えられていたことを如実に物語っており、この鋤に宿る神霊は雷神(=水の神)である。道場法師の出現とその霊力の発揮は、農耕を助ける鋤と雷神の霊力を結びつけたものといえる。このような文献が残っているくらいだから、鋤と雷の密接な関係は農民の間でもかなり一般的な信仰としてあったのだろう。

 阿遅鋤高日子根神は本来は穀霊であるが、この穀霊がすくすくと成長するためには雷(水の神)との密接な結びつきは欠かせないものである。稲の無事な成長を願う農民は鋤と雷が通じ合うことを切実に願った。そういった信仰から、次第に阿遅鋤高日子根神は雷神を呼ぶ神、ひいては雷神と同様の霊力を発揮する農業神として信仰されるようになったのであろう。


大国主神が胸形三神の奥津宮に坐す多紀理毘売命を娶って生れた御子が、阿遅鋤高日子根神と、その妹神・高比売命(下光比売命)。
阿遅鋤高日子のまたの名を迦毛大神。
迦毛は鴨・賀茂であり、『姓氏録』に「賀茂朝臣、大神朝臣同祖、大国主神之後也」。
『続日本紀』に、「高鴨神」が大和の葛城山で、大泊瀬天皇(雄略天皇)と獲物を争い、 怒った天皇は、高鴨神を土佐に流したとある。 高鴨神は、はじめ、幡多郡の賀茂社へ流され、次いで土佐神社へ移り祀られた。 天平宝字八年(764)、高鴨神は、加茂朝臣田守を遣わして、大和国葛城へ復祀した。
この高鴨神を阿遅鋤高日子根神とする説がある。
『出雲国造神賀詞』に、大穴持命の子・阿遅須伎高孫根命を「葛城」に、 事代主命を宇奈堤に、賀夜奈流美命を飛鳥へと、 それぞれの神奈備において天皇の守護神としたとある。
妹神・下光比売命は、天若日子の妻。阿遅鋤高日子神は天若日子と非常に似ており、 天若日子の死に際し天若日子の親族により間違われて騒動が起きた。

阿泥素企多伽避顧禰神(あじすきたかひこねのかみ)? 
阿遅鋤高日子根神
味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ) 
農業神。武神。賀茂大神。
味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)? 
記・紀にみえる神。
大国主神(おおくにぬしのかみ)と田霧姫命(たぎりひめのみこと)の子。天稚彦(あめわかひこ)が死んだとき弔問にいったところ,顔がにているため死者が生きかえったとまちがえられ,おこって刀をぬいて喪屋をきりたおしたとつたえる。岐阜県美濃市の喪山はこの喪屋という。「古事記」では阿遅志貴(あじしき)高日子根神。

古事記』『日本書紀』や『風土記』にみえる神で大国主命の子。『古事記』では阿遅志貴高日子根神と記す。記紀では友人の天稚彦の葬儀に訪れたとき,その家族から死者が生き返ったと勘違いされたことに怒り,葬儀の建物を切り倒して足で蹴とばし,そのまま飛び去ってしまった。そのとき,ふたつの谷に渡るほど長大な姿で光り輝いたという。また『出雲国風土記』は髭が長く伸びるほどに成長しても,昼夜を分かたず泣いていた(言葉を話さない)と伝える。これらの話のうち,建物を壊して飛び去ったり,いつまでも言葉を話さないというのは雷神としての性格の表れと考えられている。また,ぴかぴか光る長大な姿というのは正体が蛇であることを示しており,神名の「あじすき」は切れ味の良い金属製の鋤(農具)に由来する。これらはいずれも雷と縁のあるもので,この神が農耕の守護神たる雷神であることを示している。


日本神話にあらわれる神の名。アジスキはアジシキ(シキは鉏(すき)の音転)ともいう。立派な鉏の,高く輝く太陽の子の神の意。《播磨国風土記》には鉏を占居神としてまつる話を載せる。大国主神(おおくにぬしのかみ)と田霧姫命(たきりびめのみこと)の子。記紀神話では天稚彦(あめわかひこ)の喪を弔い,容貌の類似から遺族に死者と誤られ,それに怒って天に飛び去る。これは雷神の表象である。奈良県御所(ごせ)市高鴨神社にまつり,葛城迦毛大神(かつらぎのかものおおかみ)ともいう。


大国主命の子。母は田霧姫命(たぎりひめのみこと)で、古事記、日本書紀、出雲国風土記などにみえる。奈良県御所市の高鴨神社の祭神。迦毛大御神(かものおおみかみ)。高賀茂大神。

阿遅須岐高孫根乃命(あじすきたかひこねのみこと)? 
阿遅鋤高日子根神
阿遅須岐高日古尼命(あじすきたかひこねのみこと)? 
阿遅鋤高日子根神
阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこのみこと)? 
阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこのみこと)は所造天下大神(大国主)の子であり、『記紀』に登場する阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)と同神とされ、葛城の賀茂氏の祖神であるとも云われている尊い神とされています。

なお、『古事記』では天照大御神(アマテラス)と並んで「迦毛大御神(かものおおみかみ)」と称され、アマテラスの他に端から「大御神」と称された唯一の神です。

古事記』においては、大国主神(オオクニヌシ)と宗像三女神の一柱である多紀理毘売命(タキリビメ)の間に生まれたとされ、同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)が居るとされています。

『記紀』においては「葦原中国平定」に登場し、そこでは高天原から遣わされてタカヒメと結婚したアメノワカヒコと親友となったとされていまが、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコと容姿が酷似していたとされています。

『出雲国風土記』においては妻子や幼少期の説話も記されており、そこでは『記紀』に見られるスサノオや垂仁天皇の皇子・譽津別王(ホムツワケノミコト)の説話に類似した内容が見られます。
阿遅鋤高日子根神


阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこのみこと)? 
阿遅鋤高日子根神
阿遅須伎神(あじすきのかみ)? 
阿遅鋤高日子根神
阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)? 
友人である天若日子の喪を弔いに出向いた際、阿遅志貴高日子根の容貌が天若日子と酷似しており、天若日子の親族から天若日子と間違われたため怒って喪屋を破壊し、飛び去った。

アヂは可美(ウマシ)の意の美称、スキは鉏、タカヒコネは敬称、農具を神格化した名という。一方、アヂを味鴨、スキを村の意の朝鮮語と見る説、アヂを多数の意、スキを刃の意味と見る説もある。シキの場合は石木、石城、或いは大和国の地名とも。シキとスキの関係にも、音の交替説、またキの甲乙違いで別語とする説があり、名義ともに一定しない。神格としては、農耕神・水神・蛇神・雷神・剣神など諸説ある。出雲系の神とされるが、記に「迦毛大御神」、出雲風・意宇郡に「坐葛城賀茂社」、祝・出雲国造神賀詞に「葛木乃鴨乃神奈備尓坐」、神名式・大和国葛上郡に「高鴨阿治須岐託彦根神社四座」とあり、この神の本縁は大和国葛城地方、鴨氏の祭神と思われる。「大御神」は、記では他に「天照大御神」、「伊耶那岐大御神」、「伊勢大御神宮」に用いられるのみであり、記の神への敬称・尊称としては最高のものであり、この敬称をこの神が持つことは、この神とこの神を祭った氏族との、ある時期における勢力の強大さを物語っているとする説、出雲風・意宇郡に神戸が賀茂の阿遅須枳高日子命のために設置されているとしており、大和王権において極めて重要な神であったことと呼応しているという説が存在する。
阿遅鋤高日子根神

小豆島(あづきしま) 
国生み」から生まれた国
淡路島の西にある小豆島
熱田大明神(あつただいみょうじん) 
熱田大神
熱田大神(あつたのおおかみ) 
三種の神器の1つ草薙剣の神霊、剣神、戦神。
熱田大神は、三種の神器のひとつである草薙剣を祀る熱田神宮の祭神である。 草薙剣についてはその項を参照していただくとする。しかし神話研究では、本来三種の神器の宝剣と熱田の御神体とは別々のもので、あとから日本武尊の伝承が付け加えられて混同されるようになったとも考えられている。
草薙剣が熱田大神として祀られるようになった経緯は、「古事記」に次のように記されている。 日本武尊は父、景行天皇の命を受けて東国討伐に出かけることになり、その前に伊勢神宮に参拝した。そこで斎王となっていた叔母の倭姫(ヤマトヒメ)から授かったのが草薙剣だった。やがて無事東国を平定して尾張国まで戻ってきた日本武尊は、そこで尾張国造の娘、宮簀姫(ミヤズヒメ)と結婚した。その後、姫に大事な護身の剣を預けて伊吹山の邪神を退治に出かけるが、逆に邪神の毒気に当たって病気になり、無念の死を迎えてしまった。それを悲しんだ宮簀姫は、尾張一族の祭場だった熱田の地に社を建て神剣を祀ったという。
さて、このことに関して、「尾張国風土記」逸文には、次のように記されている。 日本武尊が宮簀姫と結婚し、その館に泊まった夜、草薙剣が不思議な輝きを放っているのを見る。それで剣の神気を感じた尊は、姫に対して「この剣を大切に祀って私の御影としなさい。」と言った。その言葉に従って、姫は尊の亡き後社を建ててこの剣を祀ったのだという。
この逸文の中心的なテーマは日の御子と熱田神宮を代々奉祀した尾張氏の祖である宮簀姫との神婚だ。神婚というのは、神とそれに奉仕する巫女との結婚であるから、宮簀姫というのは尾張一族が奉斎した太陽神に仕える巫女だったと考えられる。ということは、熱田の地でもともと祀られていたのは、伊勢と並ぶ有力な太陽神だったのである。
また、この太陽神と草薙剣については、尾張国と皇室との結びつきを表すともいえる。皇室の支配を象徴する草薙剣と尾張の太陽神の結合、神格化は、尾張の有力な地方神が大和朝廷を支える重要な神となったことを指す。以来、皇室に重く崇敬されることになり、熱田大神は伊勢神宮に次ぐ由緒を持つことに至ったのである。熱田大神が草薙剣を御霊代とする天照大神であるという説があるのも、この神が持つ太陽神としての性格の故である。
太陽神というのは、本来農業の神であるわけだが、剣の神というのは戦神である。熱田大神はその両方の性格を兼ね備えているわけだが、今日、一般に信仰されている神様としての機能は、戦神日本武尊の性格を反映した部分だけのようである。
淡道之穗之狹別島(あはぢのほのさわけのしま) 
国生み」から最初に生まれた国、淡路島のことです。
天合尊(あまあい) 
第3世独天神
天多彌伎命(あまたのねぎのみこと) 
天多彌伎命 アマタノネギノミコト 
天種子命(アメノタネノミコト)と同神?
天津彦根神(あまつひこねのかみ) 
天津日子根命
天津日子根命(あまつひこねのみこと) 
根の国へ向かう建速須佐之男命は、高天原へ天照大御神に別れを告げに来た時、天照大御神は武装して迎えた。 建速須佐之男命は他意の無い事を示すため自分の持つ十握剣と 天照大御神の飾りの勾玉(八坂瓊五百津御統珠)を交換し、 誓約によって、建速須佐之男命は三女(多紀理毘売命、狭依毘売命、田寸津比売命)を、 天照大御神は五男(天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、『日本書紀』の一書では熯速日命を加えた六柱)を生んだ。
鬘の珠から化生した神が天津日子根命。火か日に関係ある神か。
『日本書紀』一書では、天照大御神の首の珠を建速須佐之男命が口に含んで左の腕に生まれたとある。
天津日子根命は、凡川内国造(河内国)、額田部湯坐連(北茨城国造額田部連等)、 茨城国造(常陸国茨城郡)、倭田中直(大和国生駒郡内)、山代国造(山城国)、 馬来田国造(上総国望陀郡)、道尻岐閇国造(常陸国多賀郡の一部)、 周芳国造(周防国)、倭淹知造(大和国山辺郡)、高市県主(大和国高市郡)、 蒲生稲寸(近江国蒲生郡)、三枝部造の祖。

天津彦根神

アマツヒコネノカミ
別称:天津日子根命、北伊勢大神(多度神)性別:♂系譜:天照大神と素盞鳴尊との誓約の際に3番目に生まれた神神格:日の神、海の神、風の神神社:多度大社
 天津彦根神といえば、三重県多度町の多度大社の祭神で、特に雨乞いの神として有名である。同時に風の神(台風の神)としてその神威を発揮すると信じられている。また、天照大神の子であるということから、多度大社は伊勢神宮に対して北伊勢大神宮とも呼ばれた。

 天津彦根神は、数多くの氏族の祖神としても祀られている。それらの氏族は天皇家に忠誠を誓う各地の有力者と考えられ、その分布は近畿から関東まで広がっている。このことから、天津彦根神というのは各地の氏族が信奉していた土着の神、産土神の集合体であると推測できる。数多くの氏族を従えるために、「君らの信仰している神様は実は天照大神の子供の天津彦根神だったんだよ。なかなか血筋のよい神様だよねえ。」と吹き込んだわけである。そういう意味で、土地の守り神であり、農業、漁業の守り神だったり、産業開発もしていたりと、各地の土着の神が持つ様々な霊力を備えているといえるだろう。
 また、多度大社には、別宮に立派な一目連神社が祀られている。一目連神というのは、天津彦根神の子の鍛冶の神、天目一箇神のことである。このような神を子に持ち、さらに一緒に祀られているということから、金属工業の神としても厚く信仰されているのである。
 天津彦根神は前述の通り、雨乞いの神であり、台風の時には風の神としての神威を発揮して風水害を防いだりするという神である。こういった霊力は、山の神としての性格から来ているようである。というのも、多度大社の背後の多度山には、昔、一つ目の龍が棲んでいたという伝承がある。龍は海神であると同時に水の神でもあり、一般に雨の神としても信仰されている。この竜神を祀ったのが多度大社の始まりという伝承もある。とすると、多度大社の祭神はもともと一目連神であったことになる。記紀神話の成立以後、あとから主祭神となった天津彦根神は、古くから信仰されていた一目連神の霊力をも包含した神霊として祀られるようになったのであろう。海も陸も広くカバーする神威を発揮するのは、そういった理由からかもしれない。

天津彦根命(あまつひこねのみこと) 
天津日子根命
天津日高日子番能邇邇芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと) 
邇邇芸命
天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと) 
邇邇芸命
天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと) 
邇邇芸命
御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきづねわけ) 
大倭豊秋津島
天の空に蜻蛉が群れを飛ばす男性という意味
天照大御神(あまてらすおおみかみ)? 
天にましまして照りたもう神。
伊邪那伎神が左の目を洗った時に出現。
天照大神(あまてらすおおみかみ) 
太陽神、高天原の主神、皇祖神、日本の総氏神、八百万の神々の中でもトップに位置する女神。
伊耶那岐神が御祓をしたときに、光を表す左目から生まれたとされる三貴神の一柱。
あらゆる生命にとって必要な太陽を象徴する神である。日本では古くから太陽を「日の神」として信仰し、天照大神ももともとはそうした太陽信仰から発展した神霊である。ただ、ほかの信仰と違い、古代日本人は太陽神そのものを信仰するほかに「日の神」に民族の祖神というイメージを重ねて祀った。そうした二重の性格を備えた神が天照大神である。
天照大神についての神話としては、「天岩戸隠れ」が有名である。天照大神が岩戸に隠れたために、世の中は光を失い、悪霊が満ち、災いが起こる。このことは日照時間が減ることによる不作、あらゆる生命の衰弱、そのことによる飢饉、餓死、疫病などを指しているのだろう。さらに「太陽が隠れる」ことには、古代の人々は冬至の頃とイメージを重ねていたようだ。その時期には、人々は太陽の再生を願って神祭りを行った。これは太陽の”死と再生”の儀式でもあった。「天岩戸隠れ」には、こうした農耕儀礼が反映されている。このことから、天照大神は大地の豊穣性を体現する母なる女神ともいえる。
一方、地上で乱暴狼藉を働いていた素盞鳴尊が高天原を訪ねてきたとき、「高天原の支配権を奪いにきたのでは」と警戒してすぐさま武装した。まず髪を角髪(みずら)という男性のものに結い直し、手や髪それぞれに五百もの勾玉を糸に通した飾りを巻き、さらに千本の矢が入る靭(ゆぎ)を背負い、五百本の矢が入る靭を腹に抱え、大変な強弓を手にした。そのように武装すると、四股を踏むように両足を大地にめり込ませ、素盞鳴尊を威嚇したのである。弓矢というのは、古来軍事力を象徴する道具であった。天照大神は、男性的な側面もある軍事を象徴する神でもあったといえるだろう。


天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと) 

天照御魂神(あまてるみたまのかみ) 

天之忍許呂別(あまのおしころわけ) 
隱伎之三子島
天之水分神(あまのみくまりのかみ)? 
山から麓へと流れる水を分配する神。
天御中主神(あまのみなかぬしのかみ) 
天之御中主神
阿麻毘舎卿(あまひさ) 
阿毘古との間に「音穂命」なる人物がいる系譜もあるが一般的でない。
21雄略天皇・19允恭天皇朝の人?
中臣阿麻毘舎卿(なかとみあまひさ)
子・
中臣阿麻毘舎卿の子・・・中臣阿毘古
???~???
阿毘古との間に「音穂命」なる人物がいる系譜もあるが一般的でない。
天石門別神(あめのいわとわけのかみ) 
天孫降臨に随伴する神々の一柱。天太玉神から生まれた子神格:山の神、石の神、門の神
神話には、「この神は御門を護る神さまなり」とある。
神名の石門は文字通り岩でできた扉を意味し、これに天がつくと、天上界の入り口にある堅固な門というふうに解釈される。天孫邇邇芸命が地上に降臨するときに、天照大神は、まず随伴する主立った神々を指名したあとで、知恵の神である思兼神、天岩戸の扉を怪力で開けた天手力男神とともに天石門別神を加えた。その役割は、天孫が地上で政治を行うときに、その宮殿の出入り口に在って天孫に奉仕し、悪霊の進入を防ぐというものであった。
実際に天石門別神は、古来、天皇の宮殿の四方の門に祀られていた。天皇が住む宮殿、宮中、内裏の中には、天皇家の始祖に関する神をはじめ、御膳の神や託宣の神といった様々な神が祀られていた。そうした主だった神とは別に、宮殿に付属する井戸の神や竈の神なども祀られていたが、その中で御門の神として祀られていたのが天石門別神と同一神とされる櫛石窓神豊石窓神であった。
この神の原像は、神名にもあるように岩と関係が深いようである。日本のみならず、世界各地でも石に神霊が宿るという信仰がある。各地の石神信仰や巨石信仰は今も生き続けている。当然、神社にも巨石、巨岩を御神体として神霊を祀っているところが多くある。天石門別神を祀る神社もそうしたもののひとつである。「石座(イワクラ)」ともいわれるように、神秘を感じさせる巨石や御神体山の上にある石などは、神の依り憑くところと考えられたのである。山の上にいる石の神、それは普段は気配しか感じられない山の神が、人間に見えるような形をとった依り代でもある。
万葉集に「河内王を豊前国(=大分県)の鏡山に葬る時」という題のつけられた「豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし」という歌がある。河内王が鏡山を墓として埋葬されたという歌だが、このときの岩戸とは死者が他界に行く入口を指している。古来から日本では他界に去った死者の霊は山の神となって生者の守り神となると考えられていた。つまり、このときの岩戸は生と死の境目を意味しているといえる。
天石門別神は、そういった理由で家の門、村の境など、あらゆる境界を司る神と考えられ、さらに他界から進入しようとするあらゆる災厄を防ぎ、人間の平穏な生活を守護する神とされたのである。石造りかどうかに関わらず、どこの門にでも宿っているという点で、マイナーな名前にも関わらず、身近な神であるといえるだろう。
天宇受売(あめのうずめ) 
天鈿女神
天鈿女(あめのうずめ) 
天鈿女神
天宇受売神(あめのうずめのかみ) 
天鈿女神
天鈿女神(あめのうずめのかみ) 
巫女の元祖。道祖神
天岩戸の前に集まった神々の一柱。猿田彦神の妻ともいわれる。猿女氏の氏神神格:芸能の神(演劇・俳優の神、舞楽の神)神社:椿岸神社、芸能神社、千代神社
神話に興味のない方は聞き覚えもないだろうが、日本神話において実に有名な神である。三貴神をはじめとする強力な血筋を持った神ならばいざ知らず、神話の有名な場面に決定的な役割をもって2度も登場するのである。日本神話では、ある特定の場面にその場限りで出場する神が多い中、異例のことである。
はじめに登場するのが、天岩戸事件の時だ。天岩戸に隠れてしまった天照大神を呼び戻すために、決定的な役割としての舞を舞ったのがこの神である。日本書紀に「巧みに俳優(ワザオギ)をなし」と記されているのがその場面である。詳しくは天岩戸隠れを参照していただくが、ここでの天鈿女神の踊りは、洞窟に隠れたくなるような天照大神の失意や怒りといったものをなぐさめ、和らげることを意味している。その役割は、弱った日の神を回復させることであり、そこから、神を祀りなぐさめるために神前で舞を奉じる神楽の始まりとされ、天鈿女神がその祖神とされている。神楽の語源は「神座(カミクラ=神が宿る場)」であるといわれ、これは神を招き、降臨してきた神を歓迎し祝福するために、神座において踊りを捧げることである。同時に神楽には、神の心を楽しませ和らげる「神遊び」の意味も含まれている。そうした神楽から日本のさまざまな芸能が派生したことから、天鈿女神は、我が国における芸能の源流の神ともされているのである。
また、天鈿女神が神懸かりして踊る様子を「俳優なして」と記されていることから、俳優のルーツともいわれる。「わざ」とは神のわざ(所作、行為、技)のことで、神が乗り移ったような振る舞いを指す。「おぎ」は招くという意味である。つまり、「俳優」とは、神霊を招いておもしろおかしい振る舞いを演じて、なぐさめ、楽しませることをいう。また、古代において「俳優をなす」ことは、神を奉祀するだけでなく、一般の人々を楽しませる娯楽的な面も強くもっていたのである。
さて、2度目に登場するのは、邇邇芸命の天孫降臨の時だ。天下ってきた邇邇芸命が下方に赤く光る妖しい光を見つけ、天鈿女神を偵察に出した。その光は猿田彦神で、天孫の道案内に赴いたというのがその筋である。詳しくは天孫降臨を参照されたい。さて、その後に、天鈿女神は猿田彦神と結婚し、共に伊勢の五十鈴川の上流に落ち着き、ここで猿田彦神の名を取って「猿女」と名乗ったとある。この子孫とされるのが猿女一族で、古くから朝廷の祭祀と深く結びついていた一族である。また、猿女君の祖であるともいわれている。猿女君とは、宮廷祭祀において神楽を舞うことを務めとする神祇官の役職名である。
猿女一族は、踊りによって神々を喜ばせて関心を引き、踊りを通じて神々の託宣を聞くという呪力を駆使するシャーマニスティックな女性が中心の集団だったようである。その踊りは非常に熱狂的かつエロチックで、女性たちが神懸かりして踊りを神に捧げ豊穣を祈る姿は、民衆の目には特殊な魔術を駆使する超能力者の集団と映ったらしい。ようするに、彼らは神と人との間を媒介する一種の巫女の集団だったといっていい。天鈿女神は、神々に踊りを捧げて豊穣を祈願する、超能力的な巫女集団のパワーが神格化された存在ということができるだろう。
天鈿女命(あめのうずめのみこと) 
天鈿女神
天之忍男(あめのおしお) 
威力のある天の男神という意味
知訶島
天押雲(あめのおしくも) 
神武東制に従った天種子命の父とされている。天孫降臨で雲を押し分けたイメージの神格化か?
天押雲根命が同神だとすると、春日大社・摂社 若宮神社に祭られている神様。
天児屋根命の御子神である
天押雲根命(あめのおしくもねのみこと) 
天押雲
天押雲命(あめのおしくものみこと) 
天押雲
天忍穂耳神(あめのおしほみみのかみ) 
天照大神と素盞鳴尊との誓約の際にはじめに生まれた神で、天照大神の養子。
稲穂の神、農業神
れっきとした天照大神から神武天皇までと続く神々の系譜の中に存在する神である。あまりに聞き覚えがないが、名目上の天照大神の長男である。 天照大神と素盞鳴尊との誓約の際にはじめに生まれた神なので、実質上は素盞鳴尊の子供になるのかもしれない。
皇室の祖神の系統に連なる神であるから、本来は稲穂の神である。「忍」は威力あるもののこと、「穂」は文字通り稲穂であり、「耳」は実をいっぱいつけて頭を垂れる稲穂の様子から、俗にお金が貯まる耳とされる福耳を連想したものであろう。その意味で、「立派に実った大きな稲穂」をたたえた呼び名といえよう。
さて、天孫降臨の項でも述べたが、天忍穂耳神は本来天孫降臨の主役となっていてもおかしくないほどの血筋をもっている。しかしこの役目を自分と栲幡千々姫命との子、邇邇芸命に譲ってしまった。命じられるままにしておけば地上の大きな権力を手にすることができたのだが、自らそれを放棄してしまった彼の行動は、不自然な主役交代劇として神話の中での謎とされている。
この神の別称に正哉吾勝勝速日天忍穂耳神というのがある。これは、彼が生まれた誓約の際に、実父素盞鳴尊が誓約を勝ち取ったことに大喜びして、最初の子につけた名である。「まさにわれ勝てり、勝つこと昇る日のごとく速し」という勝利の感激そのままである。占いもある意味賭け事のようなもので、これに勝った素盞鳴尊は有頂天になって高天原で狼藉の限りを尽くし、天照大神を困らせて天岩戸に隠れさせてしまう。こんな素盞鳴尊の行為は、大穴を当てて舞い上がり、羽目を外しすぎて大失敗をやらかすギャンブラーと似ている。そういった理由で、ギャンブルに限らず、この神は勝運、授福の神として信仰されている。

天照大御神の御子。天孫瓊々杵尊の父。

根の国へ向かう建速須佐之男命は、高天原へ天照大御神に別れを告げに来た時、天照大御神は武装して迎えた。 建速須佐之男命は他意の無い事を示すため自分の持つ十握剣と 天照大御神の飾りの勾玉(八坂瓊五百津御統珠)を交換し、 誓約によって、建速須佐之男命は三女(多紀理毘売命、狭依毘売命、田寸津比売命)を、 天照大御神は五男(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、『日本書紀』の一書では熯速日神を加えた六柱)を生んだ。
天照大御神の左の御みづらの八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠から生まれた神。
正勝吾勝は、須佐之男命が誓約を勝ちとったことを誇る意味。 耳は身と同じ意味で、忍はおほし(大)穂は秀。
天忍穂耳尊高木神の娘・萬幡豊秋津師比売命との間に、天火明命と天津日高日子番邇邇芸命の二柱の神が生まれた。
『先代旧事本紀』には、天火明命の代わりに饒速日命となっており、天火明命=饒速日命という説がある。
古事記』によると、天照大御神と高木神は、 はじめ父神である天忍穂耳命に「お前が葦原中国へ降臨して治めよ」と命じた。 ところが、忍穂耳命は「自分の子の邇邇芸命の方が適当だと思う」と申されたので、 改めて邇邇芸命に天孫降臨・国土統治の神命が下された。

天之尾羽張(あめのおはばり)? 
威勢のあって雄々しい刀であることを意味する。
→十拳剣
天香久山神(あめのかぐやまのかみ) 
天火明神の子で天照大神の曾孫。尾張氏など多くの氏族の祖神。
農業神、倉庫の神
天香久山神は、天孫降臨の際に邇邇芸命に従って地上に下った神々の中の1神で、その後紀伊国の熊野に住んだとされ、神武東征神話に登場する高倉下神と同一視されている。 神武天皇が熊野に侵攻した際、現れた大きな熊の発する毒気に冒されて兵が失神して倒れてしまった。これを見て、天照大神高御産巣日神は軍神武甕槌神を援軍として差し向けようとしたが、武甕槌神は自分の代わりに布都御魂剣を降らせた。霊剣は高倉下神の倉の屋根を突き破って床に突き立ち、朝、目覚めた高倉下神がこれを見つけて神武天皇に献じると、たちまち天皇も軍隊も回復した。その後、熊野の豪族も霊剣の力もあって斬り従えられ、無事大和平定が成ったという。
この話で重要なのは、霊剣布都御魂剣が高倉下神のもとに降ってきたという部分が、天から神霊が降ってきて何かに憑依する、という古代の人々の宗教儀式の観念を象徴しているということだ。つまり高倉下神は、高天原の最高神の意志を受けて、神武天皇の大事業をサポートしたというわけである。
その後、神武天皇即位4年に、高倉下神は越後開発の命を受けて弥彦の地に移住した。今で言う出向とか単身赴任といったところだが、なぜ越後だったのかはよく分かっていない。とにかく、越後に赴任してからの方が本来の霊力を発揮したようで、住民に対して農耕、漁労、製塩、酒造などを教えて、産業興隆を大いに助けたと伝わる。以来、越後鎮護の神、開発の神として祀られ、今でも厚く信仰されている。それが弥彦神社の祭神となっている天香久山神としての姿である。
高倉下神の名は、神を祀る高い倉の主の意味である。倉というのは、古代において収穫した穀物を貯蔵する場所であった。「倉庫」という言葉は後世に生まれたもので、「庫」は武器庫を意味している。高床式の建物の模型や写真を見たことがあると思うが、これがここでの倉にあたる。穀物は命をつなぐ大事な食料であり、それを保存する倉は、人々にとってむやみに出入りしてはならない神聖な場所だった。当然、そこには倉の霊が宿ると考えられ、大切な食料を守ってもらうことを願って神として祀るようになった。そうして神格化されたのが高倉下神というわけだ。
倉の神というのは、穀物の豊かさを保証する神でもあった。だから、倉の神を祀ることは倉の中が穀物でいつもいっぱいになるように願うことでもあった。そうした意味では、高倉下神は、穀物の豊作をもたらす神でもあったわけだ。そういう農業神としての性格を備えていたからこそ、天香久山神として越後へ移ったあとも、国土開発の守護神として活躍できたのである。
天香山神(あめのかぐやまのかみ) 
天香久山神
天香児山神(あめのかぐやまのかみ) 
天香久山神
天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)? 
山の水をくみ上げる神。
天之暗戸神(あめのくらとのかみ)? 
山頂にほど近いところにある渓谷の神。
天之事代主神(あめのことしろぬしのかみ) 
事代主神
天児屋根命(あめのこやね) 
③中臣連祖。大鳥連祖?
④記紀神代記事・天照大神が天岩戸に隠れた時岩戸の前で祝詞を奏上して祭祀を行った。
祝詞の祖神、言霊の神。
・天孫降臨に際して、五伴緒(いつとものお)の一人として天下った。
⑤枚岡神社・春日大社・吉田神社、大原野神社などの祭神。
⑥記紀には出自は記されていない。上記出自系譜の基は先代旧事本紀などに記されているものを基にしたもので、尊卑分脈などは一般的に上記のようになっている。

父・興台産霊

 天照大神(あまてらすおおみかみ)も、うっとりと聞き惚(ほ)れて惚れて、ついに天の岩戸を開けてしまったという美声の持ち主。

天下一品の祝詞(のりと)奏者

天児屋根命(あめこやねのみこと)は、高天原(たかまがはら)で専(もっぱ)ら祭祀(さいし)をつかさどる興台産霊神(こことむすびのかみ)(天照大神の子)の子で、 天照大神の侍臣(じしん) として仕えていた。命名の由来はよくわからないらしい。

 天美津玉照比売命(あまみつたまてるひめのみこと) を妻として、一子をもうけたが名は知られていない。神武天皇(じんむてんのう)の東征(とうせい)に加わって働いた天種子命(あめのたねこのみこと)は、この天児屋根命(あめこやねのみこと)の孫である。

 天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天の岩戸隠れをしたとき、八百萬(やおよろず)の神々が、天の安河原(あめのやすかわら)に集まって会議をした結果、それぞれの役割を決めた。

天児屋根命(あめこやねのみこと)は、非常な美声の持ち主であったため、天の岩戸の前で祝詞(のりと)を奏する役を担当したのである。

 後に天孫瓊杵尊(てんそんにぎのみこと)の降臨に従い、常に国政に参与して、国土経営に大きく貢献したが、主な任務は祭祀(さいし:神と人との中を取り持ち、仕える役)をつかさどることであった。後世の中臣氏(なかとみうじ:藤原氏の遠祖)の祖神でもある。

天児屋根神(あめのこやねのかみ) 
天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣氏の祖神 (のち藤原氏)
神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神

 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。
 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。
 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。
 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。

 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。
 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。

天児屋根命

市千魂命━━━興台産霊神━━━天児屋根命━━━天押雲命━━━天多祢伎命
                             (天種子命

天児屋根命

天児屋命

名称
天児屋命(あめのこやねのみこと)、天児屋根命


興台産霊(こごとむすひ)


天押雲根命

子孫
中臣連

神社の祭神としては天児屋根命とも表記される。春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。居々登魂命(こごとむすび)の子で、妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。

岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。 また、江戸時代後期の国学者・平田篤胤の説では、この神は思兼神と同一神であるとしている。

天児屋根命──天押雲命──天種子命──宇佐津臣命──大御気津臣命──伊香津臣命梨津臣命─┼神聞勝命──久志宇賀主命─┬国摩大鹿島命──巨狭山命──雷大臣命─├大小橋命

伊達家?


天児屋根神
アメノコヤネノカミ
別称:天児屋命天之子八根命性別:♂系譜:天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣(のち藤原)氏の祖神神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神神社:牧岡神社、春日大社、大原野神社、吉田神社、蜂田神社、五社神社
 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。
 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。

 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。
 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。

 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。
 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。


天児屋根命(あめのこやね)
①父:興澄魂  母:許登能麻遅姫 異説:浅加姫
②妻:天万拷幡比売(天背男命女)異説:武甕槌命女
子供:天押雲命 別名:八意志兼命天児屋命、天小屋根命、天之子八根命
③中臣連祖。大鳥連祖?
④記紀神代記事・天照大神が天岩戸に隠れた時岩戸の前で祝詞を奏上して祭祀を行った。
祝詞の祖神、言霊の神。
・天孫降臨に際して、五伴緒(いつとものお)の一人として天下った。
⑤枚岡神社・春日大社・吉田神社、大原野神社などの祭神。
⑥記紀には出自は記されていない。上記出自系譜の基は先代旧事本紀などに記されているものを基にしたもので、尊卑分脈などは一般的に上記のようになっている。

天児屋根神

天児屋根神

父:居々登魂命(こごとむすび)

妻:天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)

天児屋根神
アメノコヤネノカミ
別称:天児屋命天之子八根命性別:♂系譜:天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣(のち藤原)氏の祖神神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神神社:牧岡神社、春日大社、大原野神社、吉田神社、蜂田神社、五社神社
 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。
 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。

 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。
 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。

 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。
 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。

概要

神社の祭神としては天児屋根命とも表記される。春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。居々登魂命(こごとむすび)の子で、妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。

岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。 また、江戸時代後期の国学者・平田篤胤の説では、この神は思兼神と同一神であるとしている。

信仰

中臣連の祖神であることから、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された。祝詞の神、出世の神ともされる。中臣神社(京都市山科区)、枚岡神社(大阪府東大阪市)、春日大社(奈良県奈良市)、吉田神社(京都市左京区)などに祀られている。また、全国の大鳥神社に祀られる「大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)」は天児屋命と同神とされることがある。

伊達家

天児屋命(あめのこやねのみこと) 
天照神話~天孫降臨神話の頃)

中臣氏の祖先神。八意志兼命天児屋根命?天小屋根命?
天照大神が岩戸に隠れたときに、岩戸の前で榊を立て祝詞を奏して祭祀を行った。
ニニギの天降りの時も五部神の一人として従ったと伝わる。
枚岡神社、春日大社などの祭神。
天児屋根神

天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)? 
山頂に出来る霧の神。
天之狭土神(あめのさづちのかみ)? 
山頂についての土地の神。
天之狭手依比売(あめのさでよりひめ) 
津島
霊的な力がよりつく天の女性という意味
天底立神(あめのそこたちのかみ) 
天之常立神
天手力男神(あめのたぢからおのかみ) 
力の強い神。天岩戸の前に集まった神々の一柱。天照大神をこの世に戻した。
 天手力男神は、天岩戸隠れのときに天岩戸の扉を開けて天照大神を引き出す役目で活躍した神として知られる。名前の通りに手の力(腕力)の象徴、つまり人間の筋力に宿る霊を神格化した神である。
 強力な肉体的なパワーを所有したいという欲求は、人間の永遠に持ち続ける夢といえよう。それを擬似的な空想の世界で実現しているのがスーパーマンやアニメのキャラクターといったものだ。天手力男神の姿には、そうした人間の肉体的なパワーへのあこがれが反映されているといっていいだろう。神話では、怪力ばかりが強烈にイメージされるが、この神は一般にスポーツの守護神としても信仰を集めている。筋力を鍛え、それを生かす技術を含めたパワーを与えてくれる霊力を備えた神さまでもある。
 この剛力のイメージを持つ神の姿というのは昔から庶民には人気があったようで、それをうかがわせるのが日本の各地に伝わる神楽である。たとえば、全国的にもよく知られている宮崎県高千穂町の夜神楽があるが、そのなかに天手力男神が主役となって舞われる「戸取舞(トトリノマイ)」というのがある。この神がその怪力で岩戸を投げ飛ばしたという伝承に基づいたもので、力感的で勇壮な舞は夜神楽のなかでも特に人気を博している。そのほか、里神楽のなかの「岩戸神楽」と呼ばれるものも、天手力男神が主役の「岩戸開き」の場面に重きを置いて演じられる神楽のひとつである。
 日本の昔話や民俗伝承には、しばしば怪力を誇る怪異なキャラクターが登場する。要するに妖怪の類に近い存在なのだが、多くは人々に親しまれている。国技の相撲に象徴されるように、日本人は剛力のイメージに対して独特な嗜好があるように思える。そういう感覚があるから、神楽などでも天手力男神の力強い踊りが人気になるともいえよう。

天種子(あめのたね) 
神武東征に従う。この時筑紫国宇佐にいたり、菟狭津媛を妻に賜った。(紀)
参考「菟狭津彦」菟狭(豊後国宇佐郡)国造祖。神武東征時菟狭津媛とともに饗を奉った。
高魂尊の孫(国造本紀)
天種子命(あめのたねのみこと) 
天多彌伎命
天角凝魂神(あめのつぬごりたまのかみ) 
天之常立神
天角凝命(あめのつぬごりのみこと) 
天之常立神
天之常立神(あめのとこたちのかみ) 
天地開闢の神々の一柱。

古事記』では、八百万神に先駆け、天之御中主神高御産巣日神神産巣日神造化三神の次に宇摩志阿斯訶備比古遅神が生まれ、次に生まれた天之常立神を加えて、別天神という。

『日本書紀』の一書では、天地が分かれた時、葦の芽のように空の中に最初に生まれた神とある。

天地の軸のような神で、『先代旧事本紀』では天之御中主神と同神とある。

天之登許多知神(あめのとこたちのかみ) 
天之常立神
天常立尊(あめのとこたちのみこと) 
天之常立神
天鳥船(あめのとりふね)? 
→鳥之石楠船神
天饒石国饒石天津日高日子火瓊瓊杵命(あめのにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと) 
邇邇芸命
天饒石国饒石天津日高日子火瓊瓊杵命(あめのにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと) 
邇邇芸命
天羽槌雄神(あめのはづちおのかみ) 
天岩戸の前に集まった神々の一柱
織物の神、機織りの祖神
天羽槌雄神は、機織りの祖神として信仰されている神である。名前の「羽」は布帛(フハク=木綿や絹織物)を表している。神話では、天岩戸隠れの際に集まった神々の一柱として登場する。この時に天照大神の関心を引き、外に誘い出すためにいろいろと活躍した神々は、それぞれ知恵、芸能、祝詞、あるいは鍛冶や金工、玉造り、鏡作りなど、諸業の祖神とされるようになった。天羽槌雄神もこの時木綿と麻の布を生み出したのである。
詳しくは天岩戸隠れを参照していただくが、この時は天太玉神が天香久山の榊の大枝を切り出して太玉串とし、これを各職能神たちがそれぞれの技能を持ち寄って飾り付けた。この時天羽槌雄神が織り出したのは、倭文(シズ)の綾織りというものだったという。倭文とは、古代の織物の一種の倭文織りのことで、楮(コウゾ)や麻などを材料として布を織るときに、横糸を赤や青い色に染めて乱れ織りにしたものである。古代において、美しい織物は神を祀るときの最高の供物のひとつだった。そういう貴重な織物を生み出す機織りの作業を司るのが天羽槌雄神ということである。
天羽槌雄神は、別名倭文神とも呼ばれる。鳥取県東伯群島号長に織物業の祖神を祀る倭文神社があるが、昔、この地方には織物を生業とする倭文族が住んでいて、彼らが信仰する神を祀ったのが始まりとされている。そのほかにも、倭文織りの産地を示すものとして「続日本紀」に、「諸国の神への供え物のうち、倭文は常陸国(茨城県)から奉献される」と記されている。当時、常陸国あたりが倭文織物の特産地として有名だったことがうかがえる。

天羽雷命(あめのはづちのみこと) 
天羽槌雄神
天日槍神(あめのひぼこのかみ) 
新羅から渡来した神。韓人系の出石民族の祖
太陽神、農業神
天日槍神は、新羅国の王子として生まれたが、後にひとりの美しい女性を追って朝鮮半島から渡来したとされる神である。日本神話の中で、はっきりと海外から訪れた神というのはほとんど見あたらず、そういった点で特異な神さまである。ただし、これはあくまで日本の神話であり、朝鮮半島の方にそういった神話は残っていない。その理由については後ほど説明しよう。「古事記」の中に彼に関する記述があるので、書いておく。「日本書紀」の中にも登場するのだが、特に大差はないのでこちらは省略する。
天日槍神は、新羅国にいたとき、赤い玉から化身したという美しい女と結婚していた。その赤い玉は、ある時沼のほとりで昼寝をしていた女の陰部に日光がさし、それで女が懐妊して産み落としたものだ。これを天日槍神が偶然手に入れると、玉は女に化身し、妻となった。妻の名は阿加流比売神(アカルヒメノカミ)といって、夫によくつくしたが、あるとき心おごった夫からののしりを受けると、「自分の祖のもとへ帰る」と言って小舟に乗って日本へ渡ってしまった。彼女が日本で住んだのは比売許曾(ヒメコソ)神社(大阪府東成区に現存)だという。
天日槍神は、自らの行為を悔やみ、妻のあとを追って日本に渡り、妻のいる難波(大阪府)に向かったが、海上の守護神に行く手を阻まれかなわなかった。そこで、やむなく但馬(兵庫県出石地方)に上陸してとどまり、やがてその地の女性と結婚して子をなした。但馬は、渡来計民族の影が濃い地である。
天日槍神は、まだほとんど開拓されていなかったこの地を拓いた。特に鉄器や土器など、新羅の新技術を伝えることによって農耕を発展させ、食料を豊かにし、農業神としての霊威を発揮した。このため、兵庫県出石町の出石神社に「国土開発の祖神」として祀られているのである。
「日矛(槍)」の日は太陽であり、矛は武器である。だが、この場合の矛は、武器というよりも太陽神を奉祀する呪具としての性格が強い。天日槍神は日本に渡ってくるときにさまざまな貴重な神宝を携えてきた。これらは「日本書紀」で羽太玉(ハフトノタマ)、足高玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬(ヒモロギ)の一式、七種と紹介されている。神籬について解説を加えよう。神籬とはもともと神が天から降るために設けた神聖な場所のことを指し、古くは神霊が宿るとされる山、森、樹木、岩などの周囲に常磐木(トキワギ)を植えてその中を神聖な空間としたものである。周囲に樹木を植えてその中に神が鎮座する神社も一種の神籬である。そのミニチュア版ともいえるのが神宝の神籬で、こういった神が宿る場所を輿とか台座とかそういったものとして持ち歩いたのではないだろうか。残念ながら、ここでの「熊」の意味は分かっていない。
さて、これら七種の神宝セットが持つテーマは、いずれも太陽神を祀る呪具ということである。三種の神器と同じ構成である玉、鏡、刀に加えて矛、そして神籬である。この中でも矛とは、天岩戸隠れのときに天鈿女神が持って踊ったのが「日矛」という矛であることから考えても、太陽神との関係が深い。この呪具と同じ神名の天日槍神は、本来、太陽神を祀る呪具に宿る神霊であり、ひいては太陽神の一種とも受け取れる。太陽神は農業の一番中心的な守護神であるから、国土開発の神としても信仰されるわけである。
ところで、「古事記」ではこの神宝は「八種の宝物」とされ、内容も玉がふたつ、波振比礼(ナミフルヒレ)、波切比礼(ナミキルヒレ)、風振比礼(カゼフルヒレ)、風切比礼(カゼフルヒレ)、奥津鏡、辺津鏡(ヘツカガミ)となっている。「比礼」というのは薄い肩掛け布のことで、現在でいうショールである。古代ではこれを振ると呪力を発し災いを除くと信じられていた。もう一度これら宝物の名前をよく見ていただけるとわかりやすいが、四種の比礼は総じて風を鎮め、波を鎮めるといった役割をもったものであり、海と関わりの深いものである。波風を支配し、航海や漁業の安全を司る神霊を祀る呪具といえるだろう。こういった点から、天日槍神は海とも関係が深いといわれている。
おそらくこうした性格は、もともと海人族(漁民)の信仰していた海、もしくは風の神と、天日槍神の信仰が結びついたものであろう。こうした性格は福井県敦賀市の気比神社の気比神と共通のものであり、「日本書紀」においては天日槍神がその地に立ち寄ったとされる記述もあることから、この二神は同一神ではないかといわれている。
いろいろと複雑な性格を示し、それだけに謎の多い神さまでもある天日槍神には、もう一つ、「槍」の名の通りに民族的な守護神としての武神のイメージもある。「播磨国風土記」宍禾群(シサワグン)の条に、天日槍神は葦原色許男神(アシハラシコノオノカミ=大国主命)と国土をめぐって力を競う強力な神として登場する。これは土着の出雲民族と渡来系の出石民族の勢力争いの記憶をとどめる物語というのが定説になっているようである。このとき争った土地は、中国山地の揖保川や千草川の流域で、かつては砂鉄の産地であったところである。ここから、天日槍神が古代の製鉄技術と密接に関係していることもうかがえる。
但馬国に定着した天日槍神は、土地の娘と結婚して子孫を残したが、その中に多遅麻毛理神(タジマモリノカミ=田道間守)がいる。彼は垂仁天皇の命で常世の国に渡り、非時香菓(トキジクノカグノコノミ)と呼ばれるいつでも実をつけている香りのよい果物を持ち帰った。これは、現在の橘ともいわれている。この功績にちなんで、彼は菓子の祖神として菓子業者の信仰を集めている。
天之吹上男神(あめのふきおのかみ)? 
屋根葺きの神。
家宅六神の1柱。
天太玉神(あめのふとだまのかみ) 
天岩戸の前に集まった神々の一柱、忌部氏(イムベ)の祖神
占いの神、神事・祭具の神
 日本の神々には、人間が神を祀るという行為そのものをルーツとする神格も多い。天太玉神もそうした種類の神さまといえるだろう。つまり、今日の神道で行われるさまざまな神事を統括し、そこで使われるいっさいの神祭用具を管理する神、というのが天太玉神の本来の役割なのである。こうした天太玉神の性格は、この神が活躍する天岩戸隠れの神話に表されている。天岩戸に隠れてしまった天照大神を誘い出すため、天太玉神は、洞窟の前で卜占をし、枝葉の茂った榊に勾玉、鏡などを下げたらして太玉串を作った。そして、天太玉神はそれを捧げ持ち、同時に天児屋根神天照大神を賛美する祝詞(ノリト)を奉じて、大神の出現を祈ったのである。
 玉串とは、榊の枝に紙垂(シデ=紙を細長く切ったもの)をつけた神に捧げる供物のひとつで、太玉串は「立派な玉串」といった意味であり、古代には紙でなく布を使っていた。これを捧げることによって、神の意志に従う気持ちを表し、神とのコミュニケーションを確認するという意味がある。今日でも神社で神主に祈祷をしてもらうとき、あるいは家を建てるときの地鎮祭などでは玉串を捧げたりする。これは、神道用語では「玉串奉奠」と呼ばれ、頭を下げて礼儀正しく丁寧に玉串を捧げる行為を指す。神を崇敬し家の安全や繁栄を守護してもらおうというものだ。
 このように祭具というのは、今日でも神と人間とが交信するための大変便利で重要なアイテムである。それを最初に作り出したのが天太玉神であるといわれている。また、太玉串を作るときに楮(コウゾ=和紙の原料となる植物)や麻の糸で織った布が用いられた。それが楮や麻の守護神としての信仰の起源にもなっている。

 この天太玉神は、「日本書紀」に忌部氏の遠祖と記されている。忌部氏というのは、代々宮廷における祭祀の執行を統括することを専門に担当した氏族で、宮廷での宗教儀式に使うさまざまな祭具を作る部門の管理なども担当していたと考えられている。神話で天太玉神が太玉串を作る場面は、そうした忌部氏の役割を象徴したものだろうといわれているのである。
 さらに、天太玉神は注連縄(シメナワ)のルーツともいわれている。その起源も天岩戸隠れにある。 天岩戸隠れを参照していただきたい。天太玉神は機転を利かせて、天照大神が再び洞窟にこもってしまわないように、天照大神を止める境界を示すアイテムをも考案したわけである。
 注連縄は、神社の入口や社殿、他にもご神木や石などの御神体、あるいは神域とされる領域に張り巡らされたりする。注連縄が張られた内側は、神の降臨する空間(依り代)を示す。そして、神の宿る場所は神聖であるから、注連縄の境界の中には不浄なものの立ち入りは厳禁されるのである。このように清浄と不浄を分かつ注連縄にも当然、なんらかの霊力が宿ることになる。注連縄にも玉串と同様に紙垂を垂らすが、この紙垂は神の依り代ともされている。古代においては、これも玉串と同様に楮糸や麻糸織りの布が用いられていたようである。

 以上のように、玉串にしろ注連縄にしろ、要は神を祀る道具である。それを生みだした天太玉神は、神を祀る機能の神格化といえるだろう。特に注連縄に関しては、境界であると同時に悪霊を打ち払うバリアーのような機能を備えているといえる。だから、これをはじめに作った天太玉神は悪霊のもたらす災いを退ける霊力を中心的なパワーとしているといえよう。
 ついでだが、天太玉神は、木匠神ともいわれる。木匠とは木工職人のことで、その祖神というわけである。 天岩戸隠れ事件において、天太玉神が鏡作り、木綿作り、鍛冶などの祖神となった神々をリードして、立派な玉串を工作したことにちなんでいる。そのほかにも、あまり一般的には知られていないが、屋根の神、畳屋の神、建具の神など、工作全般の神としての信仰がある。

天火明神(あめのほあかりのかみ) 
日本書紀に見える神。瓊瓊杵尊ににぎのみことの子。尾張連おわりのむらじなどの祖先。
「播磨国風土記」に見える神。大己貴神おおあなむちのかみの子。あまりの気性の激しさに、この神のもとを逃げ出そうとした大己貴神の船を破壊した。
母の木花開耶姫が皇孫の子であることを明らかにするために室に火を放って生んだ三神の一つ。

邇邇芸命の兄。神尾張氏の祖神太陽神。
別名の「天照」の字から天照大神の名を連想するように、この神は太陽を神格化したものと考えられる。太陽信仰は原始時代から各地にあったもので、古代においても天照大神が高天原の最高神に祀られる以前は各地の有力氏族がそれぞれ独自の太陽神を崇拝していた。そのころの神々は、特別な名前もなく氏族の祖神、氏神として素朴に祀られていた。天火明神もそうした太陽神のひとつであったが、その中でも有力な存在であったことから記紀神話に独自の神として登場したと考えられる。そこから、天照大神の原型だったのではないかという推測も生まれているのだ。
そういう推測はともかくとして、とりあえずはっきりしていることは、天火明神を祖神として信奉していたのが古代の中部地方に勢力を張っていた尾張氏である。この神の気性の激しさや強力なパワーは、太陽のエネルギーに他ならない。だから、尾張一族の人々はそうした日の神の霊威を崇め、開拓の神、農業の守護神として信仰していたのである。
素盞鳴尊に代表されるように、若いときに乱暴者だった神というのはその後の変身によってなかなか味のある魅力的な存在となるようだ。天火明神もそういう面をもっている。兵庫県地方の古代の伝承を記した「播磨国風土記」に描かれているこの神の姿をみると、もともとは異常に気性が激しく暴力的だった。
昔、大己貴命(オオナムチノミコト(播磨国風土記では父神となっている))が、息子の天火明神と一緒に旅をしていたとき、息子の気性の剛直さに心を痛め、仕方なくだまして置き去りにしようとした。息子を水汲みにやり、その間に船を出したのである。やがて戻った息子は、去っていく船を見てだまされたことを知り、大いに激怒した。すぐさまものすごい風と波を起こして船を追いかけさせ、たちまち父親の乗る船を破壊し沈没させてしまった。
ここに描かれた天火明神の怒りのパワーは、なんとも凄まじいものである。これだけのパワーを発揮するのだから、相当な霊力を秘めている存在だということがうかがえる。しかし、記紀神話では、天孫という系譜が知れるだけで、その一方では海幸彦山幸彦と兄弟とされたり、饒速日尊と同一と見られたり、なにかと謎の多い神でもある。とはいえ、その本来の姿は、農業を守護するエネルギッシュな日の神であることは確かだ。

天火明命(あめのほのあかりのみこと) 
天火明命(読み)アマノホアカリノミコト

あまのほあかり‐の‐みこと【天火明命
日本神話で、天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。尾張連(おわりのむらじ)の祖神。

天火明命 あめのほのあかりのみこと
記・紀にみえる神。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子。尾張氏の祖先とされる。炎があかるくなったときに生まれたという。別伝では天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の子。火明命ともいう。

天火明命
『日本書紀』の一書(別伝)および『古事記』によれば,天忍穂耳尊の子で,天皇家の始祖として天降った瓊瓊杵尊の兄に当たる。格別な事績はみられない。名称は,使われている文字からすると火の明るいことを示しているようだが,「火」はホという音を表しているだけで,本来は稲穂の「穂」の意味で,稲穂がよく実って色づいた様子を表現した名と思われる。なお『播磨国風土記』の餝磨郡の記事に,親神をひどい目に遭わせる火明命という名の神がみえるが,同名異神と考えたほうがよい。

あまのほあかりのみこと【天火明命
記紀神話の神。天忍穂耳尊あまのおしほみみのみことの子。尾張連おわりのむらじの祖神。

あまのほあかり‐の‐みこと【天火明命
記紀などに見える神。天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)の子神。尾張連の祖神。天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)。天照玉命(あまてるたまのみこと)。

天火明命 

  生没年:
  父:天忍穂耳尊
    別名:火明命、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、天照国照彦天火明尊、天照国照彦火明命、彦火明命、膽杵磯丹杵穂命
  妻:天道日女命
    天香山命
  妻:御炊屋姫
    宇摩志麻治命
    穂屋姫命(夫:天香山命)

天穂日神(あめのほひのかみ) 
出雲族・武蔵族などの祖神。
農業神、稲穂の神

 天穂日神が生まれたのは、天照大神と素盞鳴尊が誓約をしたときである。順番でいうと天忍穂耳神に次ぐ2番目である。神名のホは「秀」に、ヒは「火」にも通じ、生命力が火のように燃えさかる他より秀でた稲穂ということになる。
 国譲りの際に登場する天穂日神は、天照大神の命で地上の統治者大国主命のもとに交渉役として遣わされる。ところが、彼を説得するどころか逆に大国主命に心服して地上に住み着き、3年経っても高天原にはなんの連絡もしなかった。こうした話からすると、天穂日神はよく言えばけっこう柔軟な感覚の持ち主とも言えようが、やっぱり意志が弱く、だから役目をサボることになった不忠者というイメージが強い。まあ、どうとらえるかは読者の感覚や学生時代の過ごし方によっても左右されるところであろう。とまあ、これが「古事記」に記されている姿である。
 ところが、これとは逆のイメージを伝えるものもある。天穂日神を祖神とする出雲氏に関係する「出雲国造神賀詞(イズモノクニノミヤツコノカムヨゴト)」に、やはりこの神が天照大神から地上の悪心を鎮めることを命じられたことが記されている。このとき天穂日神は、自分の息子の天鳥神と剣神経津主神を派遣し、見事に地上の乱れを平定したというのである。こちらでは、決していい加減な性格ではなく、天孫降臨に先立って地上の地ならしをし、露払いの役目を果たした偉大な神であることが強調されている。

 天穂日神を祖神とする出雲一族は、出雲東部の意宇群を支配する豪族である。一般に各地の豪族の祖神とされる神は、その各地の国土開発、産業振興の神としての性格を持ち、さらに人々の生活全般の守護神として信仰されていることが多い。この神もそうしたことから考えれば、偉大な業績を成し遂げた神としてのイメージの方が本来の姿に近いといっていいだろう。実際、農業をはじめ養蚕、絹糸、木綿の神として産業開発の面でその霊力を大いに発揮している。

天目一箇神(あめのまひとつのかみ) 

天之御影神(あめのみかげのかみ)? 

天三下尊(あめのみさがち) 
第2世独天神
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 
天の中心にいる神様
『至高の根源』を司る神
古事記」には造化三神として天御中主神が最初に現れ、その後高御産巣日神神産巣日神が現れすぐに姿を隠したとある。すべて性別の無い独り神である。
江戸時代の国学者平田篤胤は『霊之御柱』において、この世界の姿が確定する天孫降臨以前の万物の創造を天御中主神高皇産霊神・神皇産霊神の造化三神によるものとした。この三神は復古神道においては究極神とされ、なかでも天御中主神は最高位に位置づけられている。

忌部氏の文書である『古語拾遺』には、天御中主神を始源神とし、
高皇産霊神を長男、津速産霊神を次男、神皇産霊神を三男として天中に存在したとされる。


古事記-------------------天之御中主神
古語拾遺-----------------天御中主神
日本書紀・先代旧事本紀----天御中主尊
伊勢国風土記逸文・住吉大社神代記--天御中主尊
新撰姓氏録・続日本紀----天御中主命


造化三神の一柱で、別天神(コトアマツカミ)五神の第一神神格:宇宙の根源神

 天之御中主神は天地開闢(カイビャク)神話で宇宙に一番最初に出現し、高天原の主宰神となった神である。 その名が示すとおり宇宙の真ん中に在って支配する神で、日本神話の神々の筆頭に位置づけられている。 そういう偉い神なのだが、その姿はほとんど神秘のベールに包まれているといっていい。 なぜなら、宇宙の始まりに現れたものの、たちまちのうちに「身を隠す」からである。 顔も姿も現さなければ、語ることもなく、人間に分かるような形での活動は一切しない。 本来が「その姿を知らしめない」という日本の神さまの典型ともいえる。 仏像のような偶像の具体的なイメージに慣れた今日的感覚からすればなんとも歯がゆい感じもするが、日本の神霊とはそういうものなのである。
 そんなふうに人間界と隔絶した感じのする神さまであるが、だから何もしなかったというわけではない。 要はその活動が人間には分からないだけで、天之御中主神は、その後に登場してくる多くの神々による一切の創造的な作業を司令することがその役割だったといえる。 つまり、果てしない創造力と全知全能の力を持つ至上神なのである。
 以上のように宇宙の真ん中に位置する全知全能の神という考え方から、天之御中主神は神社信仰や神道をきちっとした体系としてとらえようとする、いろいろな神道説のなかでも中心的な神として位置づけられたりしている。 たとえば、伊勢神宮外宮の神官の度会(ワタライ)氏が創始した神道説に基づく度会神道や、朝廷の神祇官を務めた卜部家の子孫、吉田兼倶(カネトモ)が大成した神道説に基づく吉田神道などがそうである。 また、江戸時代の国学者によって提唱された復古神道(仏教や儒教の影響を排除した古代からの純粋神道を唱える神道説)などでも中心的な神格とされている。

 天之御中主神が一般に馴染みのある姿を現しているのが「妙見さん」である。 神話では「古事記」の冒頭と「日本書紀」の一書第四にしかこの神の名は登場しない。 それだけでなく、平安時代初期の全国4132の主な神社が載っている「延喜式」の神名帳などにも、この神を祀る神社が見あたらない。 そんなふうに、中世までは庶民の信仰に顔を出さなかった天之御中主神であるが、近世になると仏教系の妙見信仰と深い関係を持つようになる。
 そもそもこの神の「天の中心の至高神」という性格は、中国の道教の影響による天一星信仰、北斗信仰、北極星信仰などがベースになって成立したものと考えられている。 そこから、室町時代以降、日蓮宗において盛んに信仰されるようになった妙見信仰と習合したのである。 妙見信仰は北斗妙見信仰ともいい、北極星や北斗七星を崇めるもので、俗に「妙見さん」と呼ばれる妙見菩薩は北極星の神格化されたものである。 天のはるか高みに隠れていた天之御中主神は、妙見菩薩と同一視されるようになったことによって、庶民の信仰レベルに降りてきたわけである。
(河)
造化三神別天神


日本書紀・古事記に記された神々の系譜の最初の神。別名:妙見尊星王
天御中主神、天御中主命とも。
古事記神話の造化三神のうちの1人。
高御産巣日神(タカミムスビ)、神産巣日神(カミムスビ)と共にこの世の最初に出現したとされている。
中国古典の北極星の神、元始天王と同一神か??
この神様の5世孫にイザナギ、イザナミがいたりします。
伊達氏を神話の時代まで遡ると、この神様に行きつきます。
と・・・言うか、渡来系を除いたほぼ全ての姓がここに行きつくのですが(笑)
しかし・・・こんな所まで知りたいと思う人っているのかな(爆)

天御中主尊(あめのみなかぬしみこと) 
天之御中主神
天御中主命(あめのみなかぬしみこと) 
天之御中主神
天御柱神(あめのみはしらのかみ)? 

天之八重言代主神(あめのやえことしろぬしのかみ) 
事代主神
天八百日尊(あめのやおひ) 
第4世独天神
天八下尊(あめのやさがち) 
第1世独天神。
先代旧事本紀。
天八十万魂(あめのやそよろだま) 
百日萬魂
天若日子(あめのわかひこ) 
アマノジャクのルーツ?。
天若日子神(あめのわかひこのかみ)? 

天一根(あめひとつね) 
天に接するひとつの根、という意味
女島
天比登都柱(あめひとつばしら) 
伊伎島
天に接しているひとつ柱という意味
天両屋(あめふたや) 
天空にかかる二つの屋根という意味
両児島
吾屋惶城根尊(あやかしきねのみこと) 
阿夜訶志古泥神
吾屋橿城尊(あやかしきのみこと) 
阿夜訶志古泥神
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ) 
地開闢の神々の一柱。

古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第六の神。 淤母陀流神阿夜訶志古泥神は、男女の神。

『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊、 埿土煑尊沙土煑尊大戸之道尊大苫辺尊に続いた神世七代の第六代の神。

神から人への橋渡しとして、人体の完成を表わす神とする説、 整った容貌に対する畏怖を示すとする説、 神の言葉の神格化とする説、 あるいは、防塞守護の神とする説などいろいろ。

一般には青橿城根尊阿夜訶志古泥神の別名だが、 『先代旧事本紀』では、青橿城根尊の別名は面足尊沫蕩尊とあり、淤母陀流神としている。

『日本書紀』の一書では、青橿城根尊伊弉諾尊伊弉冉尊の親と書かれている。

また、他の一書では、国常立尊の子が天鏡尊天鏡尊の子が天万尊、天万尊の子が沫蕩尊沫蕩尊の子が伊弉諾尊と書かれている。

記紀ともに神世七代の第六の神であることから、 仏教(修験道)で信奉される天界最高位である第六の魔王・第六天に擬せられ、本地垂迹に説かれる場合がある。

綾惶根尊(あやかしこねのみこと) 
阿夜訶志古泥神
吾忌橿城神(あゆかしきのかみ) 
阿夜訶志古泥神
淡島(あわしま) 
水蛭子(ひるこ)の次に伊邪那美神伊邪那岐神から生まれた子供、子供として数えないことにした。
淡島様(あわしまさま) 
淡島明神
淡島明神(あわしまみょうじん) 
婦人病に霊験あらたか。

全国の淡島神社に祭られる女性を婦人病から守る女神。「淡島明神(あわしまみょうじん)」、「粟島大明神(あわしまだいみょうじん)」とも呼ばれる。しかし、淡島神社の本社である和歌山県にある加太神社の祭神は元来少名毘古那神である。淡島様信仰は江戸元禄時代に淡島願人と呼ばれる乞食行者が、淡島様の小宮をたずさえたり、背負ったりして、その由来を語り、門付けをして諸国を行脚していたことで広まった。それによれば、淡島様は元々住吉神社の女房神だったが、「帯下の病(帯下とは女性性器からの分泌物のこと。婦人病の一種のことだと思われる)」に罹ったため、大社の門扉に乗せて海に流され、和歌山に流れ着き女性の守り神となったという。婦人病、縁結び、安産の神として信仰を集め、花柳病(性病のこと)や婦人病に罹った女性が淡島様に腰布を奉納して平癒を祈願することもあった。

淡島様が婦人病などの関連視されるに至った理由は、おそらく「日本書記」の「及至産時、先以淡路洲爲胞(産む時に至るに及びて、先ず淡路洲(あわじしま)を以て胞(え)とす)」という記述からと思われる。また俗に淡島様は婆利塞女(はりさいにょ)で、住吉の神に嫁ぐにあたり人形を作り夫婦の道を学んだという謂れが伝わっている。

沫那藝神(あわなぎのかみ)? 
河口の陸側の水面の神。
水面が穏やかであることの神。
沫蕩尊(あわなぎのみこと) 
於母陀流神
沫那美神(あわなみのかみ)? 
河口の海側の水面の神。
水面が泡立っていることの神様です。
飯依比古(いいよりひこ) 
国生み」から生まれた四国地方の1つの面
讃岐の国(香川県)
米や粟などを生み出す男性、という意味を持つ
雷大臣(いかつおおみ) 
卜部姓始祖?亀卜に優れ卜部姓を授けられたとも言われている。
記紀記事:14仲哀天皇・神功皇后時代四大夫(大三輪氏・物部氏・大伴氏)
の一人となる。神功皇后の審神者。
中臣烏賊津使主は、紀記事に19允恭天皇舎人として、衣通郎媛の話に登場。これとは同名異人か?(時代は合わない)
・真根子ー御見足尼ー太田彦ー酒人ー神奴子ー卜部忍見ーーー壱岐系卜部氏
松尾大社社家(月読社)乙等。
伊香津臣(いかつおみ) 
伊香津臣命
伊賀津臣命(いかつおみのみこと) 
近江風土記に登場。
古代日本の人物。御食津臣命の子。
伊香津臣命(いかつおみのみこと) 
近江風土記に記事あり。
中臣氏は物部伊香色雄の娘婿となり伊香の地を得たとの説あり。

中臣連の祖で、伊香郡の有力豪族・伊香連の祖でもあります。

伊香津臣命は、『帝王編年記』養老七年癸亥条にみえる羽衣伝説に登場する与郷の人、伊香刀美に同一視されます。

伊香氏については、物部氏の祖の伊香色雄命に名称が類似する点や、伊香郡内に物部の地名が残る点などから、物部氏との近縁性を指摘する説があります。

吉田東伍氏は、伊香の地名を河内国茨田郡伊香郷に由来する、物部氏の勢力扶植の結果と見ました。

また、太田亮氏も本来は物部氏の同族だったものが、中臣氏へ変化したものとしています。
現在でも、大橋信弥氏が、
「もともと物部連氏の配下として、物部氏と結託関係を結んでいた伊香連氏は、物部氏本宗の没落後、他の同族とともに、中臣氏への接近をはかり、中臣氏の政治的地位の上昇にともなって、ついに物部氏との関係を断って、中臣氏同祖系譜に組み込まれることになった」
とされています。

『三代実録』の貞観元年正月二十七日条には、近江国の従五位上勲八等伊香神に従四位下が授けられ、同八年閏三月七日条には従四位上に神階が昇ったことがみえます。

神宮寺はもと法相宗と伝えますが、その後、真言宗に転宗したと伝えます。明治八年に廃寺になりました。
境内の藤の老木や独鈷水には、弘法大師に付会される伝説があるようです。


■系譜
天児屋根命の14世孫、または5世孫とされています(伊香具神社の社伝は7世孫)。

中臣氏の祖

景初二年、最初の遣使になったのが、次男の梨迹臣である。この後裔が中臣氏、鹿嶋氏などを輩出する。
また正始四年(243年)、三度目の遣使が、末の弟の伊世理命である。
伊世理命は畝尾連(うねびむらじ)の祖とされる。
姓氏録和泉国神別は畝尾連を天児屋根の後とする。中臣氏や鹿嶋氏系譜の上でも、伊世理命の父、伊香津臣は天児屋根の五世孫であり、系譜との矛盾はない。

そして畝尾と関連すると思われる場所がある。
奈良県橿原市木ノ本に畝尾都多本神社(うねびつたもとじんじゃ)という、延喜式にその名を見る古社がある。
古事記』上巻国生みの神話の中で『香山の畝尾の木ノ本に坐して』とされる神社である。神社の場所は畝尾の木ノ本である。滋賀県の木之本と同じ地名である。おそらくこちらが元の名であろう。

したがって伊香津臣は、元々はこの橿原の木ノ本に住んでいたと思われる。伊香津臣が移り住んだ、滋賀県の木之本は、伊香津臣の出身地、畝尾(うねび)の木ノ本に由来するとのであろう。

 この氏族の祖にあたる、天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、日向から神武に付き従った数少ない、大和王権成立以前からの臣下である。大和王権の成立とともに、王権のお膝元、橿原の地に居を構えた可能性を推測する。

長男の臣知人は木之本に住み、後に伊香具氏となる。二世代後の古加斐命(こかひのみこと)は崇神朝に伊香具神社を祭るとされる。
子:臣知人命意美志留)、梨迹臣伊世理命伊是理媛奈是理媛

天児屋根命──天押雲命──天種子命──宇佐津臣命──大御気津臣命──伊香津臣命梨津臣命─┼神聞勝命──久志宇賀主命─┬国摩大鹿島命──巨狭山命──雷大臣命─├大小橋命

中臣氏の祖、伊香津臣命(いかつおみ)には、臣知人命(おみしるひとのみこと・意美志留)、梨迹臣(なしとみ・那志等美)、伊世理命(いぜりのみこと)、伊是理媛(いぜりひめ)、奈是理媛(なぜりひめ)、という五人の子がある。

 景初二年、最初の遣使になったのが、次男の梨迹臣である。この後裔が中臣氏、鹿嶋氏などを輩出する。
また正始四年(243年)、三度目の遣使が、末の弟の伊世理命である。
伊世理命は畝尾連(うねびむらじ)の祖とされる。
姓氏録和泉国神別は畝尾連を天児屋根の後とする。中臣氏や鹿嶋氏系譜の上でも、伊世理命の父、伊香津臣は天児屋根の五世孫であり、系譜との矛盾はない。

そして畝尾と関連すると思われる場所がある。
奈良県橿原市木ノ本に畝尾都多本神社(うねびつたもとじんじゃ)という、延喜式にその名を見る古社がある。
古事記』上巻国生みの神話の中で『香山の畝尾の木ノ本に坐して』とされる神社である。神社の場所は畝尾の木ノ本である。滋賀県の木之本と同じ地名である。おそらくこちらが元の名であろう。

したがって伊香津臣は、元々はこの橿原の木ノ本に住んでいたと思われる。伊香津臣が移り住んだ、滋賀県の木之本は、伊香津臣の出身地、畝尾(うねび)の木ノ本に由来するとのであろう。

 この氏族の祖にあたる、天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、日向から神武に付き従った数少ない、大和王権成立以前からの臣下である。大和王権の成立とともに、王権のお膝元、橿原の地に居を構えた可能性を推測する。

長男の臣知人は木之本に住み、後に伊香具氏となる。二世代後の古加斐命(こかひのみこと)は崇神朝に伊香具神社を祭るとされる。

伊伎島(いきのしま) 
国生み」から生まれた5番目の国
長崎県の壱岐島
活杙神(いくぐいのかみ) 
天地開闢の神々の一柱。
古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第四の神。 角杙神活杙神は、男女の神。
『日本書紀』では、神世七代には含まれていない。
杙は棒状の杭で、境界を表わす神。
活樴尊(いくくいのみこと) 
活杙神
生島神(いくしまのかみ)? 

伊耶那岐神(いざなきのかみ) 
伊邪那岐神
日本の祖父神。
伊邪那岐神(いざなぎのかみ) 
性別:♂

系譜:高天原の神、神世七代の最後の二神。初めての夫婦神である

神格:人類の起源神、結婚の神 / 創造神、万物を生み出す女神

神社:多賀神社、伊弉諾神社、伊佐須美神社、筑波山神社、三峰神社、愛宕神社、玉置神社、英彦山神宮、江田神社、花窟(ハナノイワヤ)神社、闘鶏神社、波上宮

 伊耶那岐神伊耶那美神は、神話のなかに一番最初に出てくる夫婦神である。そこから、夫婦婚姻のはじめとか結婚の神などといわれる。また、結婚して数々の国土を誕生させる国生みや、地上の営みを司る多くの神々を誕生させる「神生み」を行ったことから、国堅めの神、生命の祖神などともされている。特に、男女が結婚して子を産むという、我々の生活にそのまま当てはまる活動をしているという点で、宇宙を創造した天之御中主神をはじめとする他の根源神たちと比べて一番親しみやすい神さまであろう。
 この二神は、いってみれば日本の国の祖神といえるわけで、しかも、我々の生活に関わる神々の創造主であることから、一般的に縁結び、子宝、子育て、夫婦円満といったことに始まって、諸々の神徳を発揮する万能の神でもあるとして崇敬されている。ただ、この神がもともとはどういう神であったかということになると、よく分からないことが多い。一般によく言われているのは、古くから各地にその地域社会で信仰されていた土着的な創造神や始祖神がいた。そうした名もない土着神の伝承が、ひとつの神話に整理統合されたのではないかということだ。
 その意味では、伊耶那岐神伊耶那美神に関する神話の内容を大陸や東南アジアの神話とつきあわせてその共通性を求めるといった作業をしていくと、日本民族のルーツの問題にもあたる。それについてはまたいつか述べるとして、ここでは我々の身近な神社に祀られている伊耶那岐神伊耶那美神について見ていこう。

 神話では、伊耶那岐神は三貴神(天照大神月読神、素盞鳴尊)の父神とされており、高天原の最高神天照大神の祖神に当たるわけである。まず、伊耶那岐神に関して我々がふだんの生活のなかで身近に接することといえば、やはり神社に参拝したときに受けたりする禊祓の儀式である。わざわざ神主からお祓いを受けるまでもなく、拝殿の前にある手水舎(チョウズシャ)で何気なく柄杓に水を汲んで手に注いだりする。これも心身を浄める意味があり、もともとは伊耶那岐神が御祓をしたことにちなむもので、神主が神祭りを行う場合に、精進潔斎して俗世界の汚れを祓い落として豊作などの祈願をおこなう禊祓の儀式を簡略化したものである。神徳がどうのこうの言う以前に、こうした信仰の習慣として我々は伊邪那岐命に触れているというわけである。
 伊耶那岐神がおこなった御祓については、別項「禊祓」を参照していただきたい。日本人は古くから穢れ(不浄)というものを特別に意識し、嫌っていたようである。それはなぜかというと、神はそもそも清浄であり、人間は神の「分霊(ワケミタマ=神と同じ自然の一部)」なのだから、その本質は清浄であるべきだと古代の人々は考えたからだ。伊耶那岐神が黄泉の国の穢れを祓い落とす場面などは、生命を尊び、死を嫌うという観念の現れのようである。そこから発展して、人間の罪や悪行、病気やけがなど、正常で平穏な生活に災いをなすいっさいのことは、穢れによるものと考えるようになった。
 つまり、たとえば病気でも、その原因は病を起こさせる穢れであって、これを祓い落とすことで病気を治すことができると考えたわけである。禊祓というのは、神に近づきコンタクトする手段であり、それによって神の霊力を受けやすくするということである。
 禊祓というものは我々の生活のなかに知らず知らずのうちに入り込んでいる。たとえば盛り塩は、禊祓の方法として古くは海水が使われたことから来たものだし、相撲の力士がまく塩もこれの延長である。他に、人形に罪穢れを託して川に流す流し雛や、旧年中の厄を祓って身を清めるという豆まきの行事も、禊祓の儀式の一種なのである。

 一方、伊耶那美神については、多くの大地を生み出したとされることから大地と深く関係した存在と考えられている。伊耶那岐神の天父神的性格に対して大地母神的な性格を持っているといえる。これは、人間が豊穣を願う心を反映しているといえる。
 また、禊祓の項で述べたが、伊耶那美神には黄泉の国の神としての顔もある。神でありながらも神で冥府、死の世界の代表者として祀られたりもするわけで、伊耶那岐神がこの世の代表とすると、伊耶那美神はあの世の代表というわけである。黄泉平坂での言い争いにも「わたしは地上の人間を一日に1000人殺す。」「それならばわしは一日に1500の産屋を建てる。」とあるように、伊耶那美神は人間の寿命を司る神でもある。
 考えようによっては非常に恐ろしい神だが、やはり多くの神々を生みだした母神的な性格の方が目立つ。伊耶那美神が生みだしたさまざまな神霊がこの世界を限りなく豊かにしてくれているのだ。たとえば、日本の四季折々の変化なども、いってみれば伊耶那美神の営為があったからである。つまり、この神は我々の住むこの世界のよりよい環境や心の豊かさを守ってくれるというのが本来の顔であり、むしろ死の神としての顔の方が一面にすぎないといえるだろう。


伊耶那岐神

  生没年:
  父:
  妻:伊耶那美神
    大綿津見神
    大山津見神
    迦具土神
  三貴子:
    天照大神
    月読命
    建速須佐之男命



伊弉諾尊(いざなぎのかみ) 
伊邪那岐神
日本の祖父神。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 
伊邪那岐神
日本の祖父神。
伊邪那美神(いざなみのかみ) 
高天原の神、神世七代の最後の二神。初めての夫婦神である
人類の起源神、結婚の神 / 創造神、万物を生み出す女神
伊耶那岐神伊耶那美神は、神話のなかに一番最初に出てくる夫婦神である。そこから、夫婦婚姻のはじめとか結婚の神などといわれる。また、結婚して数々の国土を誕生させる国生みや、地上の営みを司る多くの神々を誕生させる「神生み」を行ったことから、国堅めの神、生命の祖神などともされている。特に、男女が結婚して子を産むという、我々の生活にそのまま当てはまる活動をしているという点で、宇宙を創造した天之御中主神をはじめとする他の根源神たちと比べて一番親しみやすい神さまであろう。
 この二神は、いってみれば日本の国の祖神といえるわけで、しかも、我々の生活に関わる神々の創造主であることから、一般的に縁結び、子宝、子育て、夫婦円満といったことに始まって、諸々の神徳を発揮する万能の神でもあるとして崇敬されている。ただ、この神がもともとはどういう神であったかということになると、よく分からないことが多い。一般によく言われているのは、古くから各地にその地域社会で信仰されていた土着的な創造神や始祖神がいた。そうした名もない土着神の伝承が、ひとつの神話に整理統合されたのではないかということだ。
 その意味では、伊耶那岐神伊耶那美神に関する神話の内容を大陸や東南アジアの神話とつきあわせてその共通性を求めるといった作業をしていくと、日本民族のルーツの問題にもあたる。それについてはまたいつか述べるとして、ここでは我々の身近な神社に祀られている伊耶那岐神伊耶那美神について見ていこう。

 神話では、伊耶那岐神は三貴神(天照大神月読神、素盞鳴尊)の父神とされており、高天原の最高神天照大神の祖神に当たるわけである。まず、伊耶那岐神に関して我々がふだんの生活のなかで身近に接することといえば、やはり神社に参拝したときに受けたりする禊祓の儀式である。わざわざ神主からお祓いを受けるまでもなく、拝殿の前にある手水舎(チョウズシャ)で何気なく柄杓に水を汲んで手に注いだりする。これも心身を浄める意味があり、もともとは伊耶那岐神が御祓をしたことにちなむもので、神主が神祭りを行う場合に、精進潔斎して俗世界の汚れを祓い落として豊作などの祈願をおこなう禊祓の儀式を簡略化したものである。神徳がどうのこうの言う以前に、こうした信仰の習慣として我々は伊邪那岐命に触れているというわけである。
 伊耶那岐神がおこなった御祓については、別項「禊祓」を参照していただきたい。日本人は古くから穢れ(不浄)というものを特別に意識し、嫌っていたようである。それはなぜかというと、神はそもそも清浄であり、人間は神の「分霊(ワケミタマ=神と同じ自然の一部)」なのだから、その本質は清浄であるべきだと古代の人々は考えたからだ。伊耶那岐神が黄泉の国の穢れを祓い落とす場面などは、生命を尊び、死を嫌うという観念の現れのようである。そこから発展して、人間の罪や悪行、病気やけがなど、正常で平穏な生活に災いをなすいっさいのことは、穢れによるものと考えるようになった。
 つまり、たとえば病気でも、その原因は病を起こさせる穢れであって、これを祓い落とすことで病気を治すことができると考えたわけである。禊祓というのは、神に近づきコンタクトする手段であり、それによって神の霊力を受けやすくするということである。
 禊祓というものは我々の生活のなかに知らず知らずのうちに入り込んでいる。たとえば盛り塩は、禊祓の方法として古くは海水が使われたことから来たものだし、相撲の力士がまく塩もこれの延長である。他に、人形に罪穢れを託して川に流す流し雛や、旧年中の厄を祓って身を清めるという豆まきの行事も、禊祓の儀式の一種なのである。

 一方、伊耶那美神については、多くの大地を生み出したとされることから大地と深く関係した存在と考えられている。伊耶那岐神の天父神的性格に対して大地母神的な性格を持っているといえる。これは、人間が豊穣を願う心を反映しているといえる。
 また、禊祓の項で述べたが、伊耶那美神には黄泉の国の神としての顔もある。神でありながらも神で冥府、死の世界の代表者として祀られたりもするわけで、伊耶那岐神がこの世の代表とすると、伊耶那美神はあの世の代表というわけである。黄泉平坂での言い争いにも「わたしは地上の人間を一日に1000人殺す。」「それならばわしは一日に1500の産屋を建てる。」とあるように、伊耶那美神は人間の寿命を司る神でもある。
 考えようによっては非常に恐ろしい神だが、やはり多くの神々を生みだした母神的な性格の方が目立つ。伊耶那美神が生みだしたさまざまな神霊がこの世界を限りなく豊かにしてくれているのだ。たとえば、日本の四季折々の変化なども、いってみれば伊耶那美神の営為があったからである。つまり、この神は我々の住むこの世界のよりよい環境や心の豊かさを守ってくれるというのが本来の顔であり、むしろ死の神としての顔の方が一面にすぎないといえるだろう。


伊耶那岐神

  生没年:
  父:
  妻:伊耶那美神
    大綿津見神
    大山津見神
    迦具土神
  三貴子:
    天照大神
    月読命
    建速須佐之男命



伊耶那美神(いざなみのかみ) 
伊邪那美神
日本の祖母神。
伊弉冉神(いざなみのかみ) 
伊邪那美神
日本の祖母神。
伊邪那美命(いざなみのみこと) 
伊邪那美神
日本の祖母神。
石凝姥神(いしこりどめのかみ)? 

五十鈴姫神(いすずひめのかみ)? 
事代主神の娘。神武天皇の后。
伊世理命(いぜりのみこと) 
正始四年(243年)、三度目の遣使が、伊世理命である。
伊世理命は畝尾連(うねびむらじ)の祖とされる。
伊是理媛(いぜりひめ) 

五十猛神(いそたけるのかみ)? 

市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ) 
水の神様。弁天様と習合。
市千魂(いちたま) 
市千魂命
ヰチチ(いちち) 
市千魂命
市千魂命(いちちたまのみこと) 
八坂神社祭神。
ヰチチ

→ 語義
  

市千魂命。 
ツハヤムスビ(津速産霊尊) の孫。
フツヌシの妹・アサカ姫を妻とし、アマノコヤネを生む。
『霊還し』の方法論を開発した功により、『ココトムスビ』『カスガ殿』の名と、大和の春日県の治めを、アマテルより賜る。その後老齢のため、県を治めることができなくなったというので、クシタマホノアカリが大和に下ることになる。
  

大阪市住吉区住吉、住吉 (スミヨシ) 大社、児安社 (コヤスシャ)

 

        ┌フツヌシ
       ??┤
        └アサカ姫┐
             ├┬アマノコヤネ──┐
ツハヤムスビ─??─ヰチヂ─┘│        ├オシクモ─アメタネコ─ウサマロ┐
              └(タケチノコリ) │     ┌・・・─・・・─・・・─・・・┘
                       ├ヒタチ  └・・・─オオカシマ
トヨケ─??─ヲハシリ─タケミカツチ─ヒメ───┘

  

★他の文献では、ヰチヂは津速産霊神の子で、興台産霊神の父になっている。 
津速産霊尊─市千魂命居々登魂命天児屋根命(母天背男命女許登能麻遅媛命)─天押雲命天種子命宇佐津臣命大御気津臣命伊香津臣命(弟建御合命[添]、弟大期幣美命〔恩地神主家〕、弟水臣命[長柄]─梨津臣命(弟臣知人命)─梨津臣命(弟臣知人命)─建稲穂命[飛鳥直祖]、弟建御世狭名命[狭山連祖、川俣連祖]、弟神聞勝命久志宇賀主命国摩大鹿島命
  

ヰチチが得らむ 霊還し ココストの根を 結ぶ文 ココトムスビの 名に据えて カスガ殿とぞ 尊ませ』8文
『三月 カスガの 年 老いて 政 休まん 理に』20文
『カグヤマは ヤマズミの二子 フトタマは ミムスビの三子 コヤネとは カスガ殿の子』20文
『勤めとて ミカサに帰り タラ 祭り』28文
『ホツマ国 カシマの宮の 世嗣に ツハヤムスビの 孫なる ココトムスビの 若子の アマノコヤネの 人と成り 陽陰の道 得て』ミ逸文
『天の中国 ミカサ山 父に語れば 調ひて 天に伺ふ この由も 祝かみ喜ぶ 御言宣 交わり 帰る』ミ逸文

伊豆能売(いづのめ)? 
厳粛で清浄な女性という意味。
巫女の起源となる存在。
伊邪那岐神が禊祓の為、水の中へと進んでいき出現。
伊都之尾羽張(いつのをはばり)? 
威勢のあって雄々しい刀であることを意味する。
→十拳剣
石巣比売神(いはすひめのかみ)? 
堅固な住居の女神。
家宅六神の1柱。
石土毘古神(いはつちびこのかみ) 
岩石と土の神。
家宅六神の1柱。
伊豫之二名島(いよのふたなのしま) 
国生み」から生まれた2番目の国
四国地方のこと。
四国地方は四つの面があり、それぞれ別々の名前がついている。
 1 伊予の国(愛媛県)「愛比売」(えひめ)
 2 讃岐の国(香川県)「飯依比古」(いいよりひこ)
 3 粟の国(徳島県)「大宜都比売」(おおげつひめ)
 4 土佐の国(高知県)「建依別謂」(たけよりわけ)
石拆神(いわさくのかみ)? 
刀剣の神。
迦具土神の首を斬り湯津石村(ゆついはむら)に飛び散ってついた刀の先の血から出現しました。
石土毘古神(いわづちびこのかみ) 

石筒之男神(いわつつのおのかみ)? 
刀剣の神。
迦具土神の首を斬り湯津石村(ゆついはむら)に飛び散ってついた刀の先の血から出現しました。
埿土根尊(ういじにのみこと) 
宇比地邇神
埿土煑尊(ういじにのみこと) 
宇比地邇神
泥土根尊(ういじねのみこと) 
宇比地邇神
上津綿津見神(うえつわたつみのかみ)? 
海の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、で体をすすぎ出現。
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 
稲荷神社の御祭神。
浮経野豊買尊(うかぶののとよかうのみこと) 
豊雲野神
鵜葺草葺不合神(うがやふきあえずのかみ) 
別称:天津日子波限武(アマツヒコナギサタケ)鵜葺草葺不合神
日子穂穂手見命と豊玉姫命の子。神武天皇の父
農業神
実に変わった名前である。こんなものをふりがななしで読める人材はそうはいないであろう。これを初見で読めてしまった方には、これまでの人生をじっくりと振り返り、この先に歩むべき道を考え直すことをお勧めしよう。

 とまあ、変わった名前の神なのだが、海幸、山幸神話の主人公、山幸彦日子穂穂出見命)が、海神(ワタツミ)の娘の豊玉姫命と結婚して産まれた神である。この名前については、誕生の時の事情によるものとされる。海宮で懐妊した豊玉姫命が、天神の子は海原で生むことはできないとして海辺へ上がり、鵜の羽で産屋の屋根を葺き始めたが、まだ葺き終わらないうちに産まれてしまったというものである。だからって名前にしなくてもいいと思うが、天皇家へとつながる血をもった神々は、いずれも穀物に関する名前(日、火(ホ)=穂)を持つのに対して、この神だけが異質な点が謎のひとつにもなっている。

 その謎の説明としては、皇室の支配力の大きさを象徴するために、山と海の霊力が合わさったこの神が考えられ、あらたに皇祖神の系譜に挿入されたのではないかという説もある。もしもその説が正しいとすれば、観念的に作られた神ということになる。そうしてみると、父の山幸彦や子の神武天皇に比べ、この神が神話ではこれといった活躍をしていない不思議さにもうなずけよう。

 しかし一部の歴史家の間では、この時期の九州地方にウガヤ朝という王朝の存在がささやかれており、鵜葺草葺不合神はこの王朝の王であったとする説もある。もしそうだとすると、神武天皇はこの王朝の後継者、もしくはこの王朝をうち倒したあとに建国した別の国の王であったということになる。これは神話と史実を組み合わせた考えで、ここでの基本コンセプトと異なるので深くは触れない。興味のある方は古本屋にでも足をのばしてみれば、いくらでもこのような内容の本を見つけることができるだろう。

 それはともかく、神話では、生みの母の豊玉姫命が、出産を夫に見られたことを恥じて海宮に帰ったあと、姉に頼まれてやってきた玉依姫命に養育され、成長すると叔母である玉依姫命と結婚して神武天皇の父となる。というわけで、鵜葺草葺不合神といえば、初代天皇であり建国の祖でもある神武天皇の父としての存在が一般に知られる。では、この神の霊力とはどういったものなのだろう。先に触れたように、この神の出生は、山の霊力と海の霊力とが合体したところに特徴がある。つまり、海山の恵みをもたらすエネルギーを司る偉大な神格というのが鵜葺草葺不合神なのである。さらに、目立たないながらも皇祖神の系譜の正統に位置する神であるから、基本的には農業神であるともいえるだろう。

日子穂穂出見命
豊玉姫命鵜葺草葺不合神
玉依姫命彦五瀬命
稲飯命
三毛入野命
神武天皇


鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと) 
神武天皇の父。
保食神(うけもちのかみ) 
食べ物の神。
宇佐津臣(うさつおみ) 


:[[&ruby(うさつおみのみこと
){宇佐津臣命};>宇佐津臣命]] |天宇佐津臣とも。
神武東制の時に、宇佐に住んでいた宇佐津姫(高皇産霊神の子孫)と天種子命が結婚して出来た子供とされる。
邪馬台国宇佐説を取ると、邪馬台国出身の神??
宇比地迩神(うひぢにのかみ) 
宇比地邇神
宇比地邇神(うひぢにのかみ) 
天地開闢の神々の一柱。

古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第三の神。 宇比地邇神須比智邇神は、最初の男女の神。

『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊に続いた 神世七代の第四代の神。

宇比地は泥土、須比智は砂土で、土砂を神格化した神。

大地を鎮める盛り土の神とする説もある。

泥土根尊と書いて「ういじねのみこと」と読む場合も「すいじねのみこと」と読む場合もあるらしい。

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびこひつぢ) 
葦の芽のようにすくすくと育つ生命力の神様

日本神話の神で別天神。生命の根源を司る神とされる。宇麻志阿斯訶備比古遅神可美葦牙彦舅尊とも書かれる。「ヒコ」と名は付くが性別のない神である。
まだ大地(地球)が若くクラゲのように漂っていた時、葦の芽が萌えるように生まれ出たとされる。名前の「アシカビ」とは葦の若芽を意味する。
系図では神産巣日神(カミムスビノカミ)の下に書かれ、神産巣日神の子とされる。天之常立神(アメノトコタチノカミ)はこの神の子である。
別天神(コトアマツカミ)の五神のうち、四番目に現れた神。日本の神道における八百万の神のうち、生命の力強さそのものを司る神。地球・生命を司り、男神とされています。
記紀(古事記、日本書紀)等で語られる日本神話において、そもそもの宇宙の始まりの時点、天も地もなく混沌として、まだこの世界の形がなかったころのことです。初めて天と地、陰と陽がわかれ、高天原が創造され、それと同時にその中心に現れたのが天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、次に神産巣日神(カムムスヒノカミ)が現れました。この三柱の神は、万物の創造を司る神であり、「造化三神」と称されています。天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)には性別がなく、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は男神、神産巣日神(カムムスヒノカミ)は女神と言われています。これに、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)と、天之常立神(アメノトコタチノカミ)の二柱の神を加えて、別天神(コトアマツカミ)の五神と言います。
「宇摩志(うまし)」は敬称、「比古遅(ヒコジ)」は男性、「阿斯訶備(アシカビ)」は葦の芽を表しています。地上における生命の誕生を象徴し、ひいては、人類の誕生のルーツをも象徴する神です。「人間は考える葦である」という例えのように、葦は生命の象徴として古くから尊ばれて来ました。
古事記」においては、「天地開闢」の段でクラゲナスタダヨエルトキ(大地がクラゲのようにドロドロと定まっていなかったとき)、葦の芽が萌え出でるようにして生まれたのが宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)であるとされています。しかし、その後、あまり大きな事跡の記述はありません。「日本書紀」においては、名前が出てくる程度でほとんど記述がありません。全国の神社でもこの神を祭神とする所は珍しいです。

宇麻志阿斯訶備比古遅神

宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ) 
萌え出る葦の芽のような生命力を象徴する男神。

「うまし」は美称です。よい、美しい、といった意味があります。「うまし国」「うまし御路(みち)」など、多くの用例があります。

あしかび、 葦牙。葦はイネ科の植物で、河川敷や湿地帯に群生し、成長すると2メートル以上にもなります。すだれの材料。

牙(かび)は芽という意味で、黴(カビ)と同じ語源です。かつての日本列島の海辺や川辺や湖畔は葦で一面に覆われていたようで、成長も早く、自分たちの背丈よりもずっと高くなる葦が、見渡す限りに繁茂している姿は、古代人にとっては見慣れたものであり、また自然の生命力の驚異を感じさせるものでもあったと考えられます。そのような葦の勢いよく芽吹く姿に、この宇宙の生命の生成する力そのものを託すことで生み出された神格が、ウマシアシカビヒコヂの神なのでしょう。

ひこは、男性の美称です。古代においては、高貴な立場の男性の名前につけられていることが多いようです。さらに分解すると、「ひ」(ムスヒのヒと同じ。超自然的な霊的な力)+「こ」(子、男子という意味)となります。対応する女性の美称は「ひめ」です。これは「ひ」+「め」(女子という意味)と分解できます。これが現代でも使われている「おヒメさま」の語源です。男性に対しては、「おヒコさま」とは言いませんが、人名にしばしば用いられています。

ひこぢのぢ、も男性の美称です。古くは父を「ち」と呼びました。ここでは連濁により「ぢ」となっています。親父・伯父・叔父の「ぢ」はすべてこの意味です。このことからウマシアシカビヒコヂは男神と考えられます。一方、大系紀補注のように、日本書紀の伝承におけるこの神と泥の観念との関わりから、このヒコヂはコヒヂ(泥の古語)の転訛であろう、とする説もあります(日本書紀には多くの神話伝承が載っていて、そのいくつかにこの神の名前が出てきます。

(河)

可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと) 
宇麻志阿斯訶備比古遅神
海幸彦(うみさちひこ) 
邇邇芸命と木花咲耶姫の長男。
蛤貝姫(うむぎひめ) 
薬の神様。
上筒之男命(うわつつのおのみこと)? 
船の筒柱の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、で体をすすぎ出現。
恵奈武耳命(えなたけみみのみこと) 

(えびす) 
恵比寿神
恵比寿(えびす) 
恵比寿神
恵比須(えびす) 
恵比寿神
恵美酒(えびす) 
恵比寿神
恵美須(えびす) 
恵比寿神
(えびす) 
恵比寿神
(えびす) 
恵比寿神
蛭子(えびす/ひるこ) 
恵比寿神
恵比寿さま(えびすさま) 
恵比寿神
恵比寿神(えびすのかみ/えびすじん) 
商売繁盛と漁業の神。
恵比寿さまは、右手に釣竿、左手に鯛を抱えています。はじめはそのお姿から想像できるように漁の神さまでした。
海のかなたから渡って来た豊漁をもたらす神さまとして、また航海安全の神さまとして港の近くに多くまつられました。
港は船の出入りによって商売が繁昌するので、航海安全は商売繁昌につながり、恵比寿さまは商売繁昌の神様としても有名になりました。
当寺正宝院にまつられている恵比寿さまは、商売繁昌、航海安全、に加え喜結良縁、敬愛富財、の神様として知られています。
ご縁日は10月10日です。10月は各地の神様が男女の縁結びを相談するため出雲に集るので、いつもの場所は神様が留守になります。そこで神無月と呼ばれています。
この期間、他の神様に替わって私たちを守って下さるのが恵比寿さまです。
神道の方では恵比寿さまはイザナギノミコトとイザナミノミコトの第三子と言われる。
伊邪那岐と伊邪那美の第三子
愛比売(えひめ) 
国生み」から生まれた四国地方の1つの面
伊予の国(愛媛県)
可愛い女性という意味を持つ
兄媛(えひめ) 

応神天皇(おうじんてんのう)? 

大麻比古神(おおあさひこのかみ) 

大鹿島命(おおかしまのみこと) 
国摩大鹿島
意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)? 
伊邪那岐神が黄泉比良坂のふもとで黄泉軍に桃の実を投げ、桃には清める力があることを知る。
伊邪那岐神は自分の身を救ってくれた桃の木に、授けた名前。
偉大な神の霊が宿るという意味。
大国主神(おおくにぬしのかみ) 
国土開発の国。出雲の主宰神。
大国主命(おおくにぬしのみこと) 

大宜都比売(おおげつひめ) 
国生み」から生まれた四国地方の1つの面
粟の国(徳島県)
偉大な食物の女神であり、穀物の神様でもある。
大気津姫神(おおげつひめのかみ) 
食べ物の神。
大宜都比売神(おおげつひめのかみ)? 
穀物の神。
粟の国の神とは、同じ名前ですが別の神。
大小橋(おおこはし) 
16仁徳天皇朝の人?
大島(おおしま) 
国生み」から生まれた国
山口県にある周防大島
大多麻流別(おおたまるわけ) 
船が停泊することの偉大なる男神、という意味
大島
大年神(おおとしがみ) 
年を司る神。
大戸之道尊(おおとじのみこと) 
大斗乃弁神
意富斗能地神(おおとのぢのかみ) 
天地開闢の神々の一柱。
古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第五の神。 意富斗能地神大斗乃弁神は、最初の男女の神。
『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊、 埿土煑尊沙土煑尊に続いた神世七代の第五代の神。
意富斗、大斗は「大所」。大地が凝固した時を神格化した神。
大斗乃弁神(おおとのべのかみ) 
天地開闢の神々の一柱。

古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第五の神。 意富斗能地神大斗乃弁神は、最初の男女の神。

『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊、 埿土煑尊沙土煑尊に続いた神世七代の第五代の神。

意富斗、大斗は「大所」。大地が凝固した時を神格化した神。

大戸摩彦尊(おおとまひこのみこと) 
大斗乃弁神
大苫辺尊(おおとまべのみこと) 
大斗乃弁神
大富道尊(おおとむじのみこと) 
大斗乃弁神
大直毘神(おおなびのかみ)? 
正しく直すことの偉大な神。
伊邪那岐神が禊祓の為、水の中へと進んでいき出現。
大野手比売(おおのでひめ) 
小豆島
大きな野の女神という意味
大量(おおはかり)? 
→十拳剣
大禍津日神(おおまがつひのかみ)? 

大禍津日神(おおまがつひのかみ)? 
偉大な災禍の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、水の中へと進んでいき出現。
大宮能売神(おおみやのめのかみ)? 

大物主神(おおものぬしのかみ) 
三輪山の神大国主神の奇魂幸魂。
大八島国(おおやしまぐに) 
伊邪那岐神伊邪那美神の「国生み」から生まれた8つの島。
淡道之穗之狹別島(淡路島)、伊豫之二名島(四国)、隱伎之三子島(島根県隠岐諸島)、筑紫島(九州)、伊伎島(長崎県壱岐島)、津島(長崎県対馬)、佐度島(新潟県佐渡島)、大倭豊秋津島(本州)
大屋都姫神(おおやつひめのかみ)? 

大屋毘古神(おおやびこのかみ)? 
大きな家屋の神。
家宅六神の1柱。
大山咋神(おおやまくいのかみ) 
日吉神社・松尾大社の御祭神。
大山津見神(おおやまつみのかみ) 
偉大な山の神
大山津見神の子供と孫が、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟である建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と結婚する。
大山津見神と鹿屋野比売神は結婚して、山と野に関わる神々を生む。
大山祗神(おおやまづみのかみ)? 
日本全国の山の総管理者。
大綿津見神(おおわたつみのかみ) 
水に関わる神様が生れます。
海に御殿を構える海神。
次に、娘が、後に天照大御神(あまてらすおおみかみ)のひ孫である山幸彦と結婚する。
奧疎神(おきざかるのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
海で沖から遠く離れていった疫病神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた左の御手の手巻から出現。
奧津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げたから出現。
奧津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げたから出現。
奥津日子神(おきつひこのかみ)? 

奥津比売神(おきつひめのかみ)? 

隱伎之三子島(おきのみつごのしま) 
国生み」から生まれた3番目の国
島根の隠岐諸島のこと
隠岐諸島は島前と島後に分かれて、島後を「親」、島前を「子」、一人の親と三人の子供に見立てて「隱伎之三子島」という名前になった
奧山津見神(おくやまつみのかみ)? 
山奥の神。
迦具土神の亡骸の腹から出現。
忍見(おしみ) 
23顕宗天皇3年(487年)紀大磐が三韓経営失敗。この後忍見命は、壱岐島から山背国葛野郡歌荒田(京都嵐山付近)に移り住んだ。この時壱岐氏の神である月読神を壱岐島から勧請して祀ったとされている。(紀)これが京卜部氏の祖。初めは壱岐氏後に松室氏を名乗った。
この時期が秦氏渡来の時期と一致しており、月読神・壱岐氏・秦氏・松尾神社が関連づけて解釈するべきとの説あり。
御年神(おとしがみ)? 

淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)? 
正鹿山津見神の弟格にあたる山の神
迦具土神の亡骸の胸から出現。
淤能碁呂島(おのごろじま) 
矛の突先からぽたりぽたりと海水が滴り落ちて、その海水の塩が積み重なって固まり、島が出来上がりました。
大事忍男神(おほことおしお) 
威力の神。
大戸日別神(おほとひわけのかみ)? 
偉大な家の出入口の神。
家宅六神の1柱。
大戸惑子神(おほとまといこのかみ)? 
道に迷わせる神。
大戸惑女神(おほとまといめのかみ)? 
道に迷わせる神。
大倭豊秋津島(おほやまととよあきづしま) 
国生み」から生まれた8番目の国
本州
臣知人(おみしりひと) 
伊香氏の元祖。伊香氏は、近江国伊香郡伊香郷発祥の豪族。672年に伊香姓を賜姓。
848年伊香豊厚の時、伊香宿禰姓を賜姓。伊香具神社社家。余呉湖の天女・羽衣伝説。
伊香具神社の祭神に天種子命が祀られている。
臣知人命(おみしるひとのみこと) 
臣知人
女島(おみなしま) 
国生み」から生まれた国
大分県の国東半島の姫島
臣狭山(おみのさやま) 
常陸風土記
12景行天皇朝常陸国人。
中臣高良比連祖。中臣酒人宿禰祖。
天見通ー天布多由岐ー伊己呂比ー大阿礼ー波己利ー荒木田最上ーーー伊勢神宮内宮禰宜家。この一族からは、公卿、国司も輩出された。
天見通」は、垂仁朝倭姫の時に大神宮禰宜に任じられた。
これ以降禰宜職を世襲。(続紀)
俳諧師祖「荒木田守武」国学者「荒木田久老」もこの流れから出た。
臣陜山命(おみのさやまのみこと) 
常陸風土記に登場。
思兼神(おもいかねのかみ) 

於母陀流神(おもだるのかみ) 
地開闢の神々の一柱。
古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第六の神。 淤母陀流神阿夜訶志古泥神は、男女の神。
『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊、 埿土煑尊沙土煑尊大戸之道尊大苫辺尊に続いた神世七代の第六代の神。
神から人への橋渡しとして、人体の完成を表わす神とする説、 整った容貌に対する畏怖を示すとする説、 神の言葉の神格化とする説、 あるいは、防塞守護の神とする説などいろいろ。
一般には青橿城根尊阿夜訶志古泥神の別名だが、 『先代旧事本紀』では、青橿城根尊の別名は面足尊沫蕩尊とあり、淤母陀流神としている。
『日本書紀』の一書では、青橿城根尊伊弉諾尊伊弉冉尊の親と書かれている。
また、他の一書では、国常立尊の子が天鏡尊天鏡尊の子が天万尊、天万尊の子が沫蕩尊沫蕩尊の子が伊弉諾尊と書かれている。
記紀ともに神世七代の第六の神であることから、 仏教(修験道)で信奉される天界最高位である第六の魔王・第六天に擬せられ、本地垂迹に説かれる場合がある。
淤母陀流神(おもだるのかみ) 
於母陀流神
面足尊(おもだるのみこと) 
於母陀流神
蛇之麁正(おろちのあらまさ)? 
→十拳剣
蛇韓鋤之劒(おろちのからさびのつるぎ)? 
→十拳剣
蚊雁姫尊(かがりひめのみこと) 
阿夜訶志古泥神
柿本人麿(かきもとのひとまろ)? 

迦具土神(かぐつちのかみ)? 

風木津別之忍男神(かざもつわけのおしおのかみ)? 
風に持ちこたえる力の神。
家宅六神の1柱。
惶根尊(かしこねのみこと) 
阿夜訶志古泥神
家宅六神(かたくろくしん)? 
住居に関わる6柱の神々
石土毘古神、石巣比売神、大戸日別神、天之吹上男神、大屋毘古神、風木津別之忍男神。
河童(かっぱ) 
農作業を手伝ったりもしてくれるイタヅラ好きな者。
金屋子神(かなやこがみ)? 

金山彦神(かなやまひこのかみ)? 

金山毘古神(かなやまびこのかみ)? 
伊邪那美命嘔吐から鉱山の神が出現。
金山姫神(かなやまひめのかみ)? 

金山毘売神(かなやまびめのかみ)? 
伊邪那美命嘔吐から鉱山の神が出現。
竃神(かまどがみ) 
各家庭の台所を守る神。
神生み(かみうみ)? 
伊邪那岐神伊邪那美神が神々を生んだこと
神産巣日神(かみむすびのかみ) 
生命が生まれる神秘的な力が神格化した神様
出雲系の根本神。
天之御中主神高御産巣日神についで高天原に現れた神。造化三神(ゾウカノサンシン)の一柱。子は少彦名神(記)神格:生成力の本源神、出雲の神々の祖神
 神産巣日神は、高御産巣日神と同様に「産霊」の名を持ち、天地造化、万物生成の根本神という性格を持つことから、両神は本質的に同一神格とするのが定説になっている。また、一般的に高御産巣日神が男神的神格とされるのに対して、神産巣日神は女神的神格とされていて、それが個性の違いということになる。ただ、男女神といっても、この神と大国主命少彦名神との関係に見られる活動の特徴から一応区別されているもので、通常の夫婦のような関係にはない。たとえば、夫婦神として知られる伊邪那岐命伊邪那美命は、共同作業によって多くの神々を生みだしているが、神産巣日神高御産巣日神の間ではそのようなことはない。そもそも両神とも独身神(ヒトリガミ)といわれているのである。
 神産巣日神高御産巣日神の男女の区別は、一種の役割分担と考えた方がわかりやすい。本来、この二神は天之御中主神を三角形の頂点とする造化三神で、三神がワンセットになって、太初の混沌とした世界に天地を生みだし、万物を生成させる役割を果たしている。その中で、天の中央にいてもろもろの指令を発するのが天之御中主神で、それに従って実際に生成の作業を分担して行うのが、神産巣日神高御産巣日神というわけである。そして、その一方を担う神産巣日神の役割というのは、母神(大地母神)の立場で、たとえば穀物を育てる力を大地に与えることなのである。

 先に述べたように、神産巣日神は一般に大地母神的な性格の強い神とされている。そういう色彩を強くしている要因として、出雲地方での活動があげられる。たとえば、「出雲国風土記」では御祖命(ミオヤノミコト)と呼ばれ、出雲の神々の母なる神(祖神)として崇拝されている。一方の男性神格の高御産巣日神が、主に高天原を舞台に活動し、天孫降臨からその子孫の国土統一の守護心的な機能を発揮しているのに対して、神産巣日神は出雲地方と深く関わり、特に大国主命との関係はまるで母子関係のように密接である。
 たとえば、大国主命が兄妹の八十神に謀殺されたとき、討火貝比売(キカガイヒメ)と蛤貝比売(ウムガイヒメ)を遣わして蘇生させる。これは、使者の霊魂を再生させ、新たな生命力を生み出す母の役割をイメージさせる。その後、自分の手指の間から穀物神の少彦名神を化生させて、大国主命のパートナーとすることによって、自らが命じた国造りの事業をサポートさせるというのも、我が子を気遣う母心を思わせる。
 そうしたことから考えて、大国主命少彦名神と共に行った国造りの大事業は、実は万物の生成を司る神産巣日神の力がバックボーンとなっているといえる。さらにその国造りの中心的な事業は、農耕に関する文化の普及である。それを指示し、援助するという働きは、神産巣日神の本来の産霊の機能に関わる農耕神的な性格から発したものなのだ。

 もうひとつ、大国主命に関係することで、神産巣日神がやった大事なことがある。縁結びの信仰でおなじみの出雲大社の造営である。「出雲国風土記」には、神産巣日神が宮殿の造営を手がけ、自ら指示して出雲の神々を召集し、宮殿の建築を進めたとある。そのとき新宮殿のモデルにしたのが、自分の住んでいる天上の宮殿だったという。
 記紀神話では、国譲りをして隠退する大国主命が住むための宮殿ということになっているが、「出雲国風土記」には国譲りの話はなく、大国主命が隠退するようなこともない。つまり、神産巣日神が造営した宮殿(出雲大社)というのは、大事業を見事に成し遂げた息子に対する褒美として、有力者の母親が立派な家を建ててやったようなものである。

 以上のように、神産巣日神大国主命の国造りを支えた影の力であるといえる。したがって、神産巣日神は、国津神(土着神)の総元締めである大国主命を通じて、全国の数多の土地神を支配する偉大な力を持った神ということができる。

神皇産霊尊(かみむすびのみこと) 
神産巣日神
神産巣日御祖神(かみむすびみおやのかみ) 
神産巣日神
神代七代(かみよななよ) 
神世七代神代七代天神七代
神大市姫神(かむおおいちひめのかみ) 

神聞勝(かむききかつ) 
常陸風土記に「10崇神天皇の時、鹿島に留まり祭祀に奉仕云々」の記事あり。
鹿島中臣氏の祖となった。
(崇神期)
大中臣。「常陸風土記」の中に
「崇神天皇の時~略~神聞勝命はそのまま鹿島に止まり、祭祀に奉仕することとなる」との記述があります。
前代の梨近臣命までは「近江風土記」に記述が多く、この後は「常陸風土記」に記述が多くなっています。
中臣氏の先祖が近江から常陸に移住(配置換え?左遷された?)したって事を示しているのでしょうか?
神聞勝命(かむききかつのみこと) 
神聞勝
神度剣(かむどのつるぎ)? 
→十拳剣
神直毘神(かむなおびのかみ)? 
曲がったことを正しく直すことの神。
伊邪那岐神が禊祓の為、水の中へと進んでいき出現。
神世七代(かむよななよ) 
神世七代神代七代天神七代

神世七代(かみよななよ)の神々

国之常立神
国常(底)立尊

くにのとこたちのかみ

別天神である天之常立神の名の上での対偶神
・天地開闢の最初に現れた神世七代の第一神
・阿伎留神社(郷社、東京)

豊雲野神
豊国主尊豊組野尊豊国野尊
葉木国野尊見野尊

とよぐもぬのかみ

・豊かに富み足りた国をあらわす国の意
・単独神

宇比地邇神

うひぢにのかみ

須比智邇神

すひぢのかみ

・大地が泥や砂でやや形を成した状態の意

角杙神

つぬぐいのかみ

活杙神

いくぐいのかみ

・泥土がだんだん固まって生物が生成し、はぐくみ育てた力を得たことの意
・いくとし生ける万物はこの二柱の神の力によって生れはぐくまれる

意富斗能地神

おおとのぢのかみ

大斗乃弁神

おおとのべのかみ

・大地が完全に凝固した時を神格化

淤母陀琉神

おもだるのかみ

阿夜訶志古泥神

あやかしこねのかみ

・男神は、大地の表面が完成した意味の神名
・女神は大地が成立した意の美称
・本地垂迹により天界の最高位である第六天に擬せられる
・全国の第六天神社、面足神社

伊邪那岐神

いざなぎのかみ

伊邪那美神

いざなみのかみ

天神七代の最後の神であり、我が国最初の夫婦神ともされる
伊邪那岐神天照大神の親ではあるが、皇祖神とはされず
・人類の起源神、結婚の神
・多賀大社(官大、滋賀多賀)、伊弉諾神社(官大、兵庫一宮)筑波山神社(茨城)三峯神社(埼玉)白山比咩神社(石川)他多数


国之常立神豊雲野神、五代の神を合わせて、「神代七代」(かみよななよ)と呼びます。


神代七代
別天つ神五柱に続いて現れた神様の名前は、国之常立神。次に豊雲野神で、この二柱の神々も御独りで現れ、やがてその御姿を御隠しになられました。
これらの神々に続いて、宇比地邇神須比智邇神、次に角杙神活杙神、次に意富斗能地神と大斗乃辨神、次に於母陀流神阿夜訶志古泥神、次に伊邪那岐神伊邪那美神が、現れました。これらの神々は御二人合わせて現れました。
国之常立神より伊邪那美神までを神代七代といいます。

賀茂建角身神(かもたけつぬみのかみ) 
下鴨神社の御祭神。
迦毛大神(かものおおかみ)? 
阿遅鋤高日子根神
鴨大神(かものおおかみ)? 
阿遅鋤高日子根神
賀茂玉依姫(かものたまよりひめ) 
下鴨神社の御祭神。
賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ) 
上賀茂神社の御祭神。
鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)? 
野の女神。
大山津見神と野椎神は後ほど結婚して、山と野に関わる神々を生みます。
蚶貝姫(ききがいひめ) 
薬の神様。佐太大神の母。
吉備津彦命(きびつひこのみこと)? 

吉備兒島(きびのこしま) 
国生み」から生まれた国
岡山県の児島半島
久久能智神(くくのちのかみ)? 
木の神。
菊理姫神(くくりひめのかみ)? 

菊理媛神(くくりひめのかみ) 
白山神社の御祭神。
櫛石窓神(くしいわまどのかみ) 
天石門別神
櫛名田姫神(くしなだひめのかみ) 
農耕神。夫婦円満の神。祇園社の妃神。
久斯神(くしのかみ) 
少彦名命
久志宇賀主(くすうがぬし) 
常陸風土記
久志宇賀主命(くすうがぬしのみこと) 

国摩大鹿島(くにうずおおかしま) 
常陸風土記
11垂仁天皇朝神宮鎮座(伊勢神宮)に際しその祭主に任命された。これより以降その子孫である中臣氏に継承された。(北畠親房「職源抄」)しかし、記紀にはこの記事なし。
倭姫内親王の大神奉祀祭の御道駅使に任じられた。(紀)
記紀記事:垂仁朝に五大夫に任命された。(物部十千根・大伴武日・和邇氏・阿部氏)

中臣氏の伝説上の先祖。
 『日本書紀』垂仁天皇25年の条に,5人の重臣(五大夫)のひとりとして,阿倍臣,和珥臣,物部連、大伴連らの先祖と共に現れている。
 『皇太神宮儀式帳』(804年成立)は,倭姫による天照大神伊勢神宮鎮祭の際,この五大夫が御送駅使に任じられたと記さる。
 『尊卑分脈』所載藤原氏系図の垂仁天皇代に「国摩大鹿嶋命」がみえる。
 その子に「巨狭山命」があるが,これは『常陸国風土記』に出てくる「巨狭山命」である。おそらくこのオオカシマの名は,常陸の鹿島(茨城県)に関連のある名で,常陸の卜部を通し中臣氏の系譜中に取り込まれたものと思われる。

国摩大鹿島命(くにうずおおかしまのみこと) 
国摩大鹿島
国生み(くにうみ) 
伊邪那岐神伊邪那美神が日本の島々を生んだこと
国常立尊(くにとこたちのみこと) 
国之常立神
国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)? 
地上の水をくみ上げる神。
国之闇戸神(くにのくらとのかみ)? 
地上にほど近いところにある狭谷の神。
国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)? 
地上に出来る霧の神。
国之狭土神(くにのさづちのかみ)? 
地上に出来た土地の神。
国底立尊(くにのそこたちのみこと) 
国之常立神
国之常立神(くにのとこたちのかみ) 
日本書紀で最初に出てくる神。・別天神である天之常立神の名の上での対偶神
・天地開闢の最初に現れた神世七代の第一神

神世七代(かみよななよ)の神々

系譜:神世七代の第一代目の神神格:国土形成の根源神、国土の守護神
 国土が形成されつつあるときに生まれた神である。 「国」は天に対する地の意味であり、また「常」は、底と同じ意味で、この神と機能的に対応する神として天之常立神(アメノトコタチノカミ)がいる。 国之常立神は、宇宙が誕生し、国土がまだ混沌としてどろどろの状態のときに登場し、泥土を凝集させて生命力(神霊)が宿る大地を形成したとされる。 日常的にはあまり馴染みのない部類に属する神であるが、神のランクとしては、万物の生命活動の源泉に位置し、日本の神々の最高位のグループに含まれる。
 国土創世神話に登場する根源神は、ほとんどがその役割だけが述べられていて、特に目立った活動はしていない。 それだけに、具体的なイメージとしてとらえにくいというのはこの神にもいえることであるが、それでもわずかな手がかりからその特徴を探ると、この神は、男女の性別のない独神(ヒトリガミ)である。 さらに、最初に現れた様子は、まだ天地が固まらず、浮き漂っているような状態の中に、葦の芽が泥の中から生えたような姿で現れたとある。 これは、我々には実在するものとして当たり前に感じられる国土が、産の中から初めて宇宙に存在することになった、その初源をイメージしたものと考えられる。
 国之常立神は、太元・元始・元神といった形で、日本の心的世界の中核を形成する「宇宙の本源神」的な存在とされている。 たとえば、大本教では、その根本神である「艮の金神(ウシトラノコンジン)」が国祖の神=国之常立神とされている。 国祖の神は、これまで隠れていたが時節の到来と共に出現して、世にはびこる悪神を除いて理想の新政をもたらす、というのがその神威である。

国之水分神(くにのみくまりのかみ)? 
麓から平地へと流れる水を分配する神。
国御柱神(くにのみはしらのかみ)? 

国見野尊(くにみぬのみこと) 
豊雲野神
熊野大神(くまののおおかみ) 
熊野神社の御祭神。
熊野神(くまののかみ)? 

闇淤加美神(くらおかみのかみ) 
水の神・龍神様。
闇霎神(くらおかみのかみ)? 

闇淤加美神(くらおみのかみ) 
渓谷の水を司る竜神。
伊邪那岐神の指の間から溢れ出た、刀の柄に溜まった血から出現。
神闇御津羽神(くらみつはのかみ)? 
渓谷から流れ出る水の神。
伊邪那岐神の指の間から溢れ出た、刀の柄に溜まった血から出現。
闇山津見神(くらやまつみのかみ)? 
渓谷の神。
迦具土神の亡骸の陰部から出現。
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)? 

気比神(けひのかみ)? 

興台産霊(こごとむすひ) 
興澄魂
別天神(ことあまつかみ) 
天之御中主神高御産巣日神神産巣日神造化三神宇摩志阿斯訶備比古遅神天之常立神の二柱
辞代主(ことしろぬし) 
事代主神
事代主神(ことしろぬしのかみ) 
恵比須様の候補の一。託宣の神。

古事記』に、大国主命と神屋楯比売命との婚姻によって生れた神。
『先代旧事本紀』では、大己貴神と高津姫神との婚姻によって生れた神。
出雲国譲りの際に、事代主命は、鳥遊・取魚をしに出雲国美保ヶ崎へ行っていたため、 天鳥船神によって呼びもどされ、建御雷神に問われ、 「この国は天津神のお子様に差し上げましょう」と言って、 すぐに乗ってきた船を踏み傾け、天の逆手を打って船を覆して青柴垣に変え、 その中に隠れた。
出雲国譲りの際に、大国主神に代わって国譲りの言葉を述べたため、託宣の神。
出雲国譲りの際に、大国主神に代わって国譲りの言葉を述べたため、皇室の守護神。
神功皇后の三韓征伐で、この神の神徳があった。 『出雲國造神賀詞』では宇奈提に祀り、皇孫命の近き守り神とされた。
『古語拾遺』によると、神武天皇が即位の時、天照大御神と高皇産霊尊の勅に従って、 神籬を建てて祀った八神の中に一柱。後に宮中神祇官の八神殿において御巫に齋き祀られている。
『延喜式神名帳』宮中神の条に、「御巫祭神八座」とあって、 「神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神」の神名を掲げている。
ただし一説に、この事代主神は出雲とは無関係で、純粋な言葉の神とする。
出雲国譲りの際に、釣りをしていた神として、恵比須神と同神と考えられている。
三島神社に祀られる伊豆諸島の造立神・三島大神は、事代主神であるとする説が広く信じられている。

事代主命(ことしろぬしのみこと) 
事代主神
興澄魂(ことむすび) 
「日本書紀」によると中臣氏の祖神。
木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ) 
富士山の神様。
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)? 

木花知流姫神(このはなちるひめのかみ) 
花は咲けば散る。
木花之佐久夜毘売(このはやのさくやびめ)? 
富士山の神として有名な女神
金神(こんじん) 
恐怖の神?
金比羅神(こんぴらがみ)? 

金比羅様(こんぴらさま) 
船の守り神
佐太大神(さたのおおかみ)? 
出雲の大神。
佐度島(さどのしま) 
国生み」から生まれた7番目の国
新潟県の佐渡島
塞坐黄泉戸大神(さやりますよもつとのおおかみ)? 
塞がっておいでいなる黄泉の国の入り口という意味
→千引の岩
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ) 
道の神。道祖神天狗
猿田彦神(さるだひこのかみ)? 

三十番神(さんじゅうばんしん) 
月の毎日の守護神。
三宝荒神(さんぽうこうじん) 
竃の神。各家庭の台所を守る神。
塩土老翁神(しおつちおじのかみ)? 

志芸山津見神(しざきやまつみのかみ)? 
茂った山の神
迦具土神の亡骸の左手から出現。
倭文神(しずのかみ) 
天羽槌雄神
下照姫神(したてるひめのかみ) 
安産の神様。
七福神(しちふくじん) 
庶民に信仰される福の神。
志那都比古神(しなつひこのかみ)? 
風の神。
白日別(しらひわけ) 
国生み」から生まれた筑紫島の1つの面
筑紫国(福岡県)
統治する太陽のような男性という意味がある
白山姫神(しらやまひめのかみ) 
白山神社の御祭神。
神功皇后(じんぐうこうごう)? 

神武天皇(じんむてんのう) 

沙土煮尊(すいじにのみこと) 
須比智邇神
沙土煑尊(すいじにのみこと) 
須比智邇神
砂土煮尊(すいじにのみこと) 
須比智邇神
沙土根尊(すいじねのみこと) 
須比智邇神
菅原道真(すがわらのみちざね)? 

小日子(すくなひこ) 
少彦名命
小彦(すくなひこ) 
少彦名命
須久奈比古(すくなひこ) 
少彦名命
宿奈毘古那(すくなひこな) 
少彦名命
少名毘古那(すくなひこな) 
少彦名命
少彦名神(すくなひこなのかみ) 
大国主神と一緒に国土開発。薬の神。小人神。
少彦名命(すくなひこなのみこと) 
大国主命と共に国土経営をした、小さな神。神産巣日神あるいは高御産巣日神の御子神。
大国主命が出雲の美保崎におられたとき、天之羅摩(かがみ)船に乗り、蛾の皮の衣服を着て近づいてきた小さな神。
久延毘古(案山子)に「神産巣日神の御子少名毘古那神である」と聞いた大国主神が、 神産巣日神にこの旨申し上げると、神は「これは確かにわが子だ。私の手の俣より落ちこぼれた子である。 あなたと兄弟の契りを結んで国を作り堅めよ」と言われたので、 二人でこの国を経営した、その後少名毘古那神は常世の国へ渡られてしまう。
大己貴神(大国主神)が、ミソサザイの羽を着た小さな神を掌中でもてあそんだところ、 跳んできて大己貴神の頬に噛みついた。そこで、高御産巣日神に申し出ると、 神は「自分の子の一人だが、いたずら者で、指の間からこぼれ落ちたものだ」と言われた。
『出雲国風土記』では、大国主神と共に天下をめぐり稲種をもたらした穀霊として表わされている。
『伊予風土記逸文』では、大穴持命(大国主神)が病に伏したとき、少彦名神が癒そうとして、 大分の速見湯を下樋から持ってきて浴みさせると、やがて回復した。これが伊予湯郡の温泉(道後温泉)の源である。
大国主・少彦名の二神を温泉神とする信仰は、広く崇められており、 また、医療や禁厭の法の制定者でもあり、 さらにまた神功皇后の大神神社での酒の神としての御歌もあり酒の神としての信仰も強い。 久斯神とは、酒の神の意味。
大国主の大と少彦名の小との関係は陰陽にも通ずる。
小さ子神は、後世の倭姫命の小虫生成説や一寸法師などの説話の祖型ともみられる。
小比古尼(すくなひこね) 
少彦名命
少日子根(すくなひこね) 
少彦名命
須久那美迦微(すくなみかみ) 
少彦名命
小名牟遅神(すくなむちのかみ) 
少彦名命
須佐之男神(すさのおのかみ) 
ヤマタノオロチを倒した荒ぶる神。祇園の神。
素盞鳴尊(すさのおのみこと)? 

須比智邇神(すひぢにのかみ) 
天地開闢の神々の一柱。
古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第三の神。 宇比地邇神須比智邇神は、最初の男女の神。
『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊に続いた 神世七代の第四代の神。
宇比地は泥土、須比智は砂土で、土砂を神格化した神。
大地を鎮める盛り土の神とする説もある。
泥土根尊と書いて「ういじねのみこと」と読む場合も「すいじねのみこと」と読む場合もあるらしい。
住吉三神(すみよしさんしん)? 

住吉の神(すみよしのかみ) 
海上交通の守り神。
造化三神(ぞうかさんしん) 
天之御中主神高御産巣日神神産巣日神の三柱を、「造化三神」と呼ぶ。
底筒之男命(そこつつのおのみこと)? 
船の筒柱の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、川底で体をすすぎ出現。
底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)? 
海の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、川底で体をすすぎ出現。
於虚事代(そらにことしろ) 
事代主神
だいこく様(だいこくさま) 
福の神。
高淤加美神(たかおかみのかみ) 
水の神・龍神様。
高霎神(たかおかみのかみ)? 

高木神(たかぎのかみ) 
高御産巣日神
高倉下命(たかくらじのみこと) 
天香久山神
高照姫神(たかてるひめのかみ) 

高天彦神(たかまひこのかみ) 
高御産巣日神
高皇産霊(たかみむすひ) 
高御産巣日神
高御産巣日神(たかみむすびのかみ) 
高天原の根本神。
生命が生まれる神秘的な力が神格化した神様
天之御中主神のつぎに高天原に現れた神。造化三神の一柱神格:天神地祗の祖神、生成力の本源神、高天原の最高指令神
 天地の始めに天之御中主神神産巣日神とともに高天原に現れた神で、特に神産巣日神(女性的神格)とは一対の神格として男女の産霊(ムスビ)の神とされる。一般にこの神は、世界にあまねく満ちている”ものを産み出す生成力”を神格化したもので、名前の「産霊」は生産、生成を意味することばである。高御産巣日神が、豊穣を祈る皇室の祭祀である大嘗祭のときに神聖な稲穂を収穫する斎田の傍らに祀られたり、春に豊作を祈願する祈年祭(トシゴイノマツリ)に祀られたりすることからもうかがえるように、本来、農耕、生産に深く関係している神霊である。
 また、高御産巣日神神は「日本書紀」の顕宗天皇の条に、その事績として「天地を鎔造した功あり」と記されている。鎔造とは金属を溶かして型にはめてものを作ることであり、日本の金属文化とも関わりの深い神としての姿もうかがえる。つまり、金属を鍛造して農具や武器などを作り出す文化を司る神格でもあるということだ。とくに、金属の農具の登場は、古代において作物の生産力を飛躍的に発展させたわけであるが、そうしたことにも高御産巣日神の「産霊」の力が関係していると考えていいだろう。
 ところで、神話のなかで高御産巣日神は「天孫降臨」「国譲り」「神武東征」などの場面にしばしば登場。天照大神とともに高天原の政治の司令神として種々の命令を発動したりして、行動はなかなか活発である。その活動ぶりを見ると、大変に政治色が強く、長老的な政治手腕に長けており、いってみれば得意技は巧みな根回しの術ということになる。
 たとえば、娘の栲幡千々姫命を天照大神の御子の天忍穂耳神と結婚させ、二人の間に皇室の祖先神の正統に連なる邇邇芸命を出生させている。これなどは、政治権力者のサバイバルの常套手段である。また、天孫降臨に先立って、天孫邇邇芸命の安全を期すために、あらかじめ葦原中津国(地上)の平定を画策し、天若日子神や武甕槌神を派遣して圧力をかける。あるいは、のちに大和に信仰した神武天皇のもとに神剣を下し、八咫烏を派遣するなどしてその大和政権樹立の偉業達成を援助している。このように、高御産巣日神は高天原の司令神として祭事、政治、軍事を司る実力者である。
 人間関係をうまくやりたい、交渉ごとなどを成功させたいと思う人は、この神にお願いするといいだろう。
(河)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ) 
高御産巣日神
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと) 
高御産巣日神
栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)? 

健磐龍神(たけいわたつのかみ)? 

武内宿禰(たけのうちのすくね)? 

建葉槌命(たけはづちのみこと) 
天羽槌雄神
建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)? 
伊邪那伎神が鼻を洗った時に出現。
建日方別(たけひかたわけ) 
吉備兒島
勇猛な太陽の方角を向いた男性という意味
建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとひとよくじひねわけ) 
国生み」から生まれた筑紫島の1つの面
肥国(熊本県・佐賀県・長崎県)「建日向日豊久士比泥別」(たけひむかひとひとよくじひねわけ)
太陽に向かう勇敢な神秘的な力に溢れている男性という意味
建日別(たけひわけ) 
国生み」から生まれた筑紫島の1つの面
熊曽国(南九州)
勇敢な太陽の男性という意味
建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ) 
雷の神。
迦具土神の首を斬り湯津石村(ゆついはむら)に飛び散ってついた刀の手元の血から出現しました。
建御雷之男神は、出雲の国譲りの交渉人として天下る。
鹿島神宮の神。
武甕槌神(たけみかづちのかみ)? 

建御名方神(たけみなかたのかみ) 
諏訪大社の神。
建依別謂(たけよりわけ) 
国生み」から生まれた四国地方の1つの面
土佐の国(高知県)
勇敢な力が宿る男性という意味を持つ
蹈鞴五十鈴姫神(たたらいすずひめのかみ) 
事代主神の娘。神武天皇の后。
田の神(たのかみ) 

玉籤入彦厳之事代神(たまくしいりひこいつのことしろぬしのかみ) 
事代主神
玉依姫神(たまよりひめのかみ) 
(日向)神武天皇のお母さん。(賀茂)下鴨神社の御祭神。(上総)上総一宮の御祭神。

玉依姫命(たまよりひめのみこと)? 

足島神(たるしまのかみ)? 

知訶島(ちかのしま) 
国生み」から生まれた国
長崎県にある五島列島
道敷大神(ちしきのおおかみ) 

千引の岩(ちびきのいわ)? 
道祖神(どうそしん)の起源となる神。
黄泉の国で追って来た伊邪那美神が現世に来ることは出来ないよう、伊邪那岐神が黄泉比良坂を塞いだ、千人の力でないと動かせないような大きな岩。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)? 

衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
杖が突き立っている道の曲がり角にいる神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた御杖から出現。
筑紫島(つくしのしま) 
国生み」から生まれた4番目の国
九州地方のことで4つの面がある
 1 筑紫国(福岡県)「白日別」(しらひわけ)
 2 豊国(大分県と福岡県の一部)「豊日別」(とよわけ)
 3 肥国(熊本県・佐賀県・長崎県)「建日向日豊久士比泥別」(たけひむかひとひとよくじひねわけ)
 4 熊曽国(南九州)「建日別」(たけひわけ)
月読神(つくよみのかみ) 
月の神。
月読命(つくよみのみこと) 
伊邪那伎神が右の目を洗った時に出現。
津島(つしま) 
国生み」から生まれた6番目の国
対馬のこと

角杙神(つぬぐいのかみ) 
天地開闢の神々の一柱。

古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第四の神。 角杙神活杙神は、男女の神。

『日本書紀』では、神世七代には含まれていない。

杙は棒状の杭で、境界を表わす神。

津速産霊神(つはやむすび) 
『記・紀』には登場しない。
忌部氏の文書である『古語拾遺』には、天御中主神を始源神とし、
高皇産霊神を長男、津速産霊神を次男、神皇産霊神を三男として天中に存在したとされる。

奈良県大和高田市にある<高田天神社>の祭神は、高皇産霊神・神皇産霊神・津速産霊神を祀っていますが、由緒は違います。
社伝によれば、『第10代崇神天皇の御代の御鎮座で、御祭神は、古事記・日本書紀にみえる造化の三神である高皇産霊神・神皇産霊神の二柱と天児屋根尊の祖父神である津速産霊神の三柱・・・』とされている。

高皇産霊神(高天原)・津速産霊神・神皇産霊神(出雲)が長男・次男・三男と言うのは
伊邪那岐の三貴子の天照大神(太陽)・月読神(月)・須佐之男神(海原)や、
大山津見神山の神)の娘の木花開耶媛命・木花知流比売命・石長比売命
木花開耶媛命の息子の火照命(海彦)・火須勢理命・火遠理命(山彦)で、
2番目のお話が無い事からも、対立する2大勢力の仲立ちをさせるために名前を加える技法だとすると、津速産霊神の次男説は正しいかもしれない。
更に、そこに目をつけた中臣氏(藤原氏)は流石と言うべきだろうか。


兄:高皇産霊神(高天原)弟:神皇産霊神(出雲)
伊弉諾尊伊弉冉尊と同時代の神?造化の神


卜部系氏族祖神。
古事記」や「日本書紀」に造化の神として記されている。(津速産霊神)
兄に高皇産霊神(高天原)、弟に神皇産霊神(出雲)がおり、対立する2大勢力の仲立ち?

津速魂命(つはやむすびのみこと) 

積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ) 
事代主神
都味歯八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ) 
事代主神
頬那藝神(つらなぎのかみ)? 
大変穏やかな水面の神。
頬那美神(つらなみのかみ)? 
際立って泡立っている水面の神。
天狗(てんぐ) 
人々に知識を与えてくれる山の者。
天神様(てんじんさま) 
学問の神様。
天神七代(てんじんしちだい) 
神世七代神代七代天神七代
道祖神(どうそしん) 
村の境界の守り神。
道祖神(どうそしん) 
村と村の境目や辻、三叉路などに石碑や石像として祀られている神様で、道を塞いで悪しきものを通さないよう守って下さる神。
豊香節野尊(とおよかぶののみこと) 
豊雲野神
時量師神(ときはからしのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
解き放つことの神。
また、時間を司る神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた御袋から出現。
十拳剣(とつかのつるぎ)? 
日本書紀・古事記に登場する剣の名前。
拳10個分の長さがあるとされる。
用途や功績によって名前が変わる。
戸山津見神(とやまつみのかみ)? 
里近くの山の入り口の神。
迦具土神の亡骸の右足から出現。
豊石窓神(とよいわまどのかみ) 
天石門別神
豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)? 
穀物の女神。
和久産巣日神の子。
天照大御神の食事係を担当している神。
豊齧野尊(とよかぶののみこと) 
豊雲野神
豊国主尊(とよくにぬしのみこと) 
豊雲野神
豊国野尊(とよくにののみこと) 
豊雲野神
豊組野尊(とよくむののみこと) 
豊雲野神
豊斟渟尊(とよくむのみこと) 
豊雲野神
豊雲野神(とよくもぬのかみ) 
天地開闢の神々の一柱。

古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第二の神。この神も配偶神をもたない単独の神。
物事が次第に固まることを神格化した神様
『日本書紀』では、天地の初めに、国常立尊、国狭槌尊に続いて生まれた神で神世七代の第三の神。 この三柱の神は陽気だけを受けて、ひとりでに生じた男性神。

大地創成のはじめ、浮脂の如く漂っていたものが、次第に固まる状態をあらわした神。 豊は大の意。雲は籠る・組むで、群がり固まるの意味。 また、豊かに富み足りた国の意味をあらわす神。

豊受大神(とよけのおおかみ) 
伊勢の神宮外宮の神。
豊玉姫神(とよたまひめのかみ) 
海の宮のお姫様。
豊玉姫命(とよたまひめのみこと) 

豊日別(とよわけ) 
国生み」から生まれた筑紫島の1つの面
豊国(大分県と福岡県の一部)
光豊かな太陽のような男性という意味
鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)? 
鳥のように軽快で固い楠造りの船の神。
神様を運ぶ船の神。
この後「国譲り」と呼ばれる、出雲の神々の元に高天原の神が訪れて、日本の国を統治するその権利を譲渡するよう交渉に訪れる、
猛々しい神を乗せて、高天原から地上への移動手段として活躍する。
中筒之男命(なかつつのおのみこと)? 
船の筒柱の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、川中で体をすすぎ出現。
中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)? 
海の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、川中で体をすすぎ出現。
泣沢女神(なきさわめのかみ)? 

泣沢女神(なきさわめのかみ)? 
伊邪那岐神の涙から出現。
香具山(かぐやま)の畝尾尾(うねびお)の木本(このもと)にいる。
梨近臣命(なしずおみのみこと) 
梨津臣
梨津臣(なしづおみ) 
近江風土記。
那志等美(なしとみ) 
梨津臣
梨迹臣(なしとみ) 
梨津臣
奈是理媛(なぜりひめ) 

饒速日尊(にぎはやひのみこと)? 

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) 
邇邇芸命
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) 
邇邇芸命
邇邇芸命(ににぎのみこと) 
天孫降臨の主役。
天照大神の孫。
兄は天火明神
農業神、稲穂の神。
邇邇芸命は、有名な天孫降臨神話の主役である。そのあらましについては、天孫降臨を参照していただきたい。  神名のニニギは稲穂がにぎにぎしく成熟することを意味している。天から降った神聖な稲穂が立派に成長し、やがて豊に実るようすこそ古代の人々がこの神に託したイメージである。邇邇芸命が地上に降り立つ姿というのは、地上における稲種の起源を象徴しているのである。  弥生時代以来、稲作農耕を基盤とする社会では、生活の糧をもたらしてくれる稲種を非常に神聖なものととらえ、人々はそこに宿る霊を神として崇め、春秋の季節ごとに必ず祭りを行うようになった。たとえば、秋には田に稲を積んで野外の祭壇を作り、稲の精霊の再生を祈る儀式を行った。そうやって毎年毎年、稲の精霊が豊かな実りをもたらしてくれることを願ったのである。邇邇芸命とは、そうやって人々が祀り、毎年新しい生命力を宿して誕生してくる稲種の霊だったのである。  以上のような本来の稲種の神と同時に、もうひとつ、天孫降臨神話に象徴されているのが、高天原と地上とをつなぐ特別な神としての機能である。その特別な機能とは、皇室の祖神である天照大神の孫()として地上に降臨し、歴代の天皇の祖先神になったという点だ。そこから天孫降臨神話が、天皇家の日本統治を正当化する理論的な根拠を示す神話であるといわれているのである。  しかし、天孫降臨の項にも述べたとおり、私自身はどうしても神話が理論的に感じられない。私の脳に欠陥があるのではなく、世の大半の人々も同じ意見だと私は信じている。私はどの民族のものでも神話が好きだが、それはあくまでそれが神話であるからである。私がこのサイト全般で扱っている内容がすべて神話でなく史実だというのならば、私の人生は身体を流れる日本人の血をすべて抜き出してまっとうな人間の血を入れ直すことから始めなければならない。私は、自分が無力な人間であるということに誇りを持っているつもりだ。
さて、戻ろう。邇邇芸命は、皇室の祖神である天照大神の孫として地上に降り、歴代の天皇の祖先神になった神である。その天皇家の有名な宝物として、邇邇芸命が高天原から地上に降りるときに天照大神から授けられた八咫鏡、草薙剣、八坂瓊勾玉がある。いわゆる三種の神器と呼ばれるもので、皇位継承の時に天皇の位を示す重要なシンボルである。  そもそも三種の神器というのは、稲穂の神である邇邇芸命が地上で活動するための助けになるように天照大神が授けたものである。それぞれの詳細についてはそれぞれの項に譲るとして、ざっと眺めていこう。まず、鏡は太陽の光を反射するものであり、古代においては農耕の守護神である太陽神を祀る最も重要な祭器だった。つまり太陽神である天照大神の御霊代(ミタマシロ=神霊の依り代)なのである。次に草薙剣は、素盞鳴尊が八岐大蛇退治で獲得した宝剣である。蛇は田の神、水の神とも関係の深い水神、龍神であり、稲作と密接に関係する。もうひとつの八坂瓊勾玉は、伊邪那岐命が高天原の統治権の象徴として天照大神に授けたもので、「古事記」にその名が「御倉板挙(ミクラタナ)の神」とある。これは神聖な稲種が収納される蔵に祀られる神のことであり、稲種を守り翌年の豊穣をもたらす機能を持っていると考えられる。  以上のように、3つの宝物はそれぞれが稲作農耕と深く関係する。実際に、稲作が生活の基盤となった弥生時代の豪族の首長の古墳からは、鏡、玉、剣の三種が副葬品として発見されるのが多いということも、この3点セットがそうした意味合いを持っていることを裏付けている。稲作農耕を基盤とする社会において、鏡、玉、剣の3点セットは穀物の豊穣を司る神々との重要な交信手段(祭器)だったのである。それを所持することがすなわち統治者の証でもあった。当時は祭政一致の社会であり、支配者である首長は人々の生活基盤である五穀の実りを司る神との交信(祭祀)を独占することによってその権威を確立させたのである。

天忍穂耳尊━━━瓊瓊杵尊━┳━火明命
             ┣━火闌降命
             ┗━彦火火出見尊

ににぎのみこと
  生没年:
  父:天忍穂耳尊
    別名:天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子
    天孫降臨
  妻:木花之開耶(父:大山祇神
    火明命
    火闌降命
    彦火火出見尊

根烈神(ねさくのかみ)? 

根裂神(ねさくのかみ)? 

根拆神(ねさくのかみ)? 

根拆神(ねさくのかみ)? 
刀剣の神。
迦具土神の首を斬り湯津石村(ゆついはむら)に飛び散ってついた刀の先の血から出現しました。
根柝神(ねさくのかみ)? 

野椎神(のづちのかみ)? 
→鹿屋野比売神
葉木国野尊(はこくにののみこと) 
豊雲野神
八幡神(はちまんしん) 
武運の神。
埴安彦神(はにやすひこのかみ) 

波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ) 
伊邪那美命の糞から粘土質な土の神が出現。
埴安姫神(はにやすひめのかみ) 

波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ) 
伊邪那美命の糞から粘土質な土の神が出現。
速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)? 
河口に関わる神。
勢いの早く盛んな河口の男神である水戸(みなと)の神。
速秋津日子神と速秋津比売神は結婚して、さらに河と水に関わる多くの神々を生む。
速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)? 
河口に関わる神。
勢いの早く盛んな、河口の女神。
速秋津日子神と速秋津比売神は結婚して、さらに河と水に関わる多くの神々を生む。
羽山津見神(はやまつみのかみ)? 
山の麓の神。
迦具土神の亡骸の右手から出現。
原山津見神(はらやまつみのかみ)? 
山裾の野原の神。
迦具土神の亡骸の左足から出現。
彦火瓊瓊杵命(ひこほのににぎのみこと) 
邇邇芸命
日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと) 
神格:穀霊神、稲穂の神

日子穂穂出見命は、幼名を火遠理命、別名を山幸彦といい、有名な海幸彦山幸彦神話の主人公である。 実の兄、海幸彦の釣り針をなくしてしまった山幸彦は、兄によって家を追われたあと海神の宮へと赴き、海神の娘と結婚して霊力を授かり、陸地に戻って兄に復讐するという物語である。 神話の詳細は別項の海幸、山幸神話に述べたので省略する。 ここでの海幸、山幸の「幸」というのは、もともと狩猟採取時代に海や山の獲物を捕るための道具だった弓と矢、釣り針を意味している。 道具は、狩猟民や漁民にとって豊富な獲物を保証する霊力のしるしだったのである。 だから、この兄弟は海と山の恵みを司る神ということになる。

また、この物語は一種の英雄誕生説話である。 若者が海底の竜宮へ行って美しい姫に出会い、神秘的な呪力を得て弱者から強者へと変化、地上に戻って敵対者にうち勝って支配者となるというモチーフは、海洋民族系統の神話伝承として世界的な広がりを持つものである。 一般に馴染みのある山幸彦というのは、あくまでもこうした冒険とロマンの英雄像なのである。 しかし、このような面は神社の祭神としての日子穂穂出見命の一面でしかないといえるだろう。

日子穂穂出見命は、高天原から地上に降ってきた天孫邇邇芸命の三人の子供のうちの末子である。 これら三人の子供の名前にはいずれも火と穂を意味する「ホ」という字が使われている。 火が盛んに燃えるときの炎の様子が、稲穂のすくすくと成長し、実る姿と結びつけられたもので、末子の日子穂穂出見命の幼名である火遠理とは、炎が衰える様子、つまり稲穂が実って頭を垂れる姿を象徴している。

また、日子穂穂出見命は神話にあるように海神の庇護を受け、その娘の豊玉姫命と結婚する。 それだけでなく、海神から超能力的な偉大なパワーをも授かっている。 それは、日子穂穂出見命が海神的な霊力を継承していることを示すものである。 そもそも海幸、山幸神話には、古代の海人(アマ)族の伝承が含まれているともいわれている。 そのことから、古くからあった漁民集団の海神信仰と穀霊に対する信仰が結びついた、というのがこの神の原像と考えられているのである。 だからこの神は、農業の守護神であると同時に漁業の守護神でもあるという、ふたつの性格を持つ神ということになる。

なお、農業の守護神としての日子穂穂出見命は、民俗信仰では虫除けの神として崇められている。 稲を食い荒らすイナゴ、ウンカなどを退治する稲の守り神としても霊力を発揮しているのだ。 たとえば福井県武生市の大虫神社の祭文には、昔、国中に害虫が発生して人畜、作物に被害が出たとき、神威によってこれを駆除したと伝わっている。

一言主神(ひとことぬしのかみ) 
託宣の神か。
火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)? 
火が明るく輝く様を表した名前です。
火之夜芸速男神
火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)? 
火がちらちらと燃える様を表した名前です。
火之夜芸速男神
火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ) 
火の神。
火の勢いが盛んな様を表した名前。
樋速日神(ひはやひのかみ)? 
火の神。
迦具土神の首を斬り湯津石村(ゆついはむら)に飛び散ってついた刀の手元の血から出現しました。
水蛭子(ひるこ) 
伊邪那美神伊邪那岐神から生まれた手足の無い子供、葦の舟にこの子を入れて流してしまいました。子供として数えないことにした。
蛭子神(ひるこのかみ) 
伊邪那岐命伊邪那美命の間に生まれた第一子神格:海の神、福の神、商業神神社:西宮神社、蛭子神社、須部神社
 蛭子神は、古くは海の神として豊漁や航海安全、交易などに霊験ありとされていた。 のちに市場の神としての信仰が発展して商売繁盛の福神として大衆的な信仰を集めるようになり、それが農業の神にも拡大。 今日では商工農業などあらゆる産業繁栄の守護神とされている。
 島国の日本では、新しい文化は海の彼方からやってきた。 宗教的にいえば、「文化」は「神」と置き換えることができる。 日本では古来、神々は海の彼方から岸辺にやってきた。 そういう神を一般に来訪神という。 海辺に暮らし、海を生業の場とする人々にとっての海の恵み、あるいは海からの漂着物は、神の贈り物だった。 そしてまた、神自身が岸辺に寄り来ることもあった。 そうした神は「エビス神」と呼ばれ、人々はその神を幸福をもたらす尊い守護神と思い、この神の定住を促すために大事に祀るようになった。 日本各地にはそうした由来を持つ神社が数多くある。 蛭子神が祀られている神社もまた、そんな海からの来訪神の伝承をその起源にもっている。 その中でも代表的なものが、蛭子神を主神とし、福の神エビス信仰の総本社である兵庫県西宮市の西宮神宮の伝説も、海から流れ着いた蛭子神を海神として祀ったのを起源としている。

 記紀神話によると、蛭子神伊邪那岐命伊邪那美命夫婦がまだ混沌としていた地上に降り立って日本列島の島々の神を生もうとしたとき、最初に生まれた子であったという。 しかし、水蛭子(ヒルコ)と呼ばれたその子供は成育が悪く、3才になっても足が立たなかった。 そのために両神は、葦船に乗せて蛭子神を海に流した。 このあたりの事情は国生みを御覧いただきたい。 神話では蛭子神のその後の運命は語られていないが、海の彼方の常世の国に渡ったのかもしれない。
 その点について西宮神社の伝説は、海に流された蛭子神は海を漂ったのち摂津国西浦(兵庫県西宮)の海岸に漂着。 土地の人々は拾った蛭子神を大事に養い育て三郎(エビスサブロウ)と呼び、そののち三郎大明神、大神として祀られるようになった、と伝えている。 このような形でエビス神は海の神として信仰されるようになり、豊漁や航海の安全、交易の守護神としてその霊験を発揮するようになったのである。

 蛭子神はエビス神とも呼ばれ、一般には「えびっさん」として親しまれている。 エビス神というのは、七福神の中で恵比寿、大黒と並び称されるように、商売を繁盛させて富と幸福をもたらすと信じられている福神である。
 もともとは漁業関係者の信仰が中心的であった蛭子神が、いつから福神の性格を備えるようになったのかというと、それは商業の発達する室町時代のことである。 商業が盛んになると物や人が集まる市場が形成され、そこには神霊が宿ることになる。 一般に市神というとき、土地の神さまや稲荷神をはじめさまざまな神がいるが、そもそも海産物の恵みを司る蛭子神もそうした市場の守護神の仲間に加わり、次第に商都大阪の商人たちの間で商売繁盛の神として崇敬されるようになったのである。
 とくに、西宮神社の蛭子神が福神として広まった理由として、当社に所属する人形操りを特技とする傀儡師(クグツシ)集団の存在が大きいといわれている。 百太夫という者を始祖とするこの傀儡師の集団は、芝居や演劇の一座と同じように各地を巡り歩いていたといい、その出し物としてエビス神の神徳や縁起をテーマにして、「かき」「まわし」と呼ばれる演芸を見せて人々を楽しませた。 そうやって生活する傍らで、エビス神の神徳を大いに宣伝したのである。 その結果、都市では商工業繁栄の、農村では農業守護の福神となり、今日のような庶民的な信仰が全国に広がったといわれている。

 この蛭子神に関して、なぜエビス神と一緒にされるのか、あるいはまた七福神のエビス神になるのはなぜかといった謎がいろいろとあるが、これについては民間信仰や仏教との習合など、さまざまな要素が絡み合っていて、はっきりとはしていない。 そういう意味で、非常に複雑かつおもしろい神さまといえるだろう。 この神に関して、なんとなく庶民的な感覚を覚えるのにはそういった理由もあるのかもしれない。 とにかく、豊漁豊作、商売繁盛の霊験がある非常に便利な神さまであるということははっきりと言える。

福助(ふくすけ) 
商売繁盛。
両児島(ふたごのしま) 
国生み」から生まれた国
長崎県の男女群島
経津主神(ふつぬしのかみ) 
葦原中国平定の実行者。剣の神。
辺疎神(へざかるのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた右の御手の手巻から出現。
辺津甲斐弁羅神(へつかいべらのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
波打ち際の浜側の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた右の御手の手巻から出現。
辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
沖の渚の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた右の御手の手巻から出現。
弁才天(べんざいてん)? 

弁財天(べんざいてん)? 

弁天(べんてん)? 

火明命(ほあかりのみこと) 

火遠理命(ほおりのみこと) 
山幸彦邇邇芸命と木花咲耶姫の三男。神武天皇の祖父。
火照命(ほでりのみこと) 
海幸彦邇邇芸命と木花咲耶姫の長男。
火照命(ほでりのみこと) 

正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)? 
山の神
迦具土神の亡骸の頭から出現。
招き猫(まねきねこ) 
人やお宝を招く。
甕速日神(みかはやひのかみ)? 
火の神。
迦具土神の首を斬り湯津石村(ゆついはむら)に飛び散ってついた刀の手元の血から出現しました。
御倉板拳之神(みくらたなのかみ)? 
伊邪那伎神が天照大御神に授けた首飾り。
神聖な倉の棚に宿る神。
穀物の神の1柱。
大御気津臣(みけつおみ) 

御食津臣命(みけつおみのみこと) 
古代日本の人物。宇佐津臣命の子。
御食津臣命、天御氣津臣命と同一人物か?
三島大神(みしまのおおかみ) 
事代主神
三島明神(みしまみょうじん) 
伊豆の三嶋大社におられる神。
溝咋姫神(みぞくいひめのかみ) 
事代主神の后。神武天皇の后の母。
道反大神(みちがえしおおかみ)? 
魔物を道から追い返した神という意味
→千引の岩
道敷大神(みちしきおおかみ) 
黄泉の国で黄泉津大神(よもつおおかみ)になった伊邪那美神の別名。
道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
長く続く道に立つ岩の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた御帯から出現。
道俣神(みちまたのかみ)? 
陸路と海路に関わる神。
分かれ道の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた御袴から出現。
彌都波能売神(みつはのめのかみ)? 
伊邪那美命の尿から出現。
灌漑用の水の神。
罔象女神(みづはのめのかみ) 
水を司る神。雨乞いの神。
見野尊(みののみこと) 
豊雲野神
宗像三女神(むなかたさんじょしん)? 

宗像の神(むなかたのかみ) 
海上交通の神様。水の神様。
迷企羅(めきら)? 

八重言代主神(やえことしろぬしのかみ) 
事代主神
八十禍津日神(やそまがつひのかみ)? 
沢山の災禍の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、水の中へと進んでいき出現。
矢乃波波木神(やのははきのかみ)? 

山幸彦(やまさちひこ) 
邇邇芸命と木花咲耶姫の三男。神武天皇の祖父。
日本武尊(やまとたけるのみこと) 

倭迹迹百襲姫神(やまとととももそひめのかみ) 

山の神(やまのかみ) 

黄泉神(よもつがみ)? 

母都志許売(よもつしこめ)? 
大層醜い黄泉の女
梨迹臣命(りとおみのみこと) 
梨津臣
龍神(りゅうじん)? 

若宇加能売命(わかうかのめのかみ) 

稚日女神(わかひるめのかみ) 

和久産巣日神(わくむすひのかみ)? 
伊邪那美命の尿から出現。
若々しい生命力の神。
稚産霊神(わくむすびのかみ) 

綿津見の神(わたつみのかみ) 
海の神様。
和豆良比能宇斯能神(わづらいのうしのかみ) 
陸路と海路に関わる神。
苦労する大人の神様です。
煩い主の神。
伊邪那岐神が禊祓の為、放り投げた御衣から出現。