伊香津臣命

伊香津臣命

いかつおみのみこと
別:○伊賀津臣命(いかつおみのみこと)、伊香津臣(いかつおみ)、伊香刀美
父:◇大御気津臣
母:不明
子:臣知人命(おみしるひとのみこと・意美志留・中臣氏族伊香連の祖・伊香氏の祖神)、梨迹臣(なしとみ・那志等美・那志登美(なしとみ)・梨津臣梨迹臣命(なしとみのみこと)・中臣連の祖・中臣氏・鹿嶋氏)、伊世理命(いぜりのみこと・畝尾連(うねびのむらじ)の祖)、伊是理媛(いぜりひめ・伊勢理媛(いぜりひめ))、奈是理媛(なぜりひめ)

近江風土記に記事あり。
中臣氏は物部伊香色雄の娘婿となり伊香の地を得たとの説あり。


中臣連の祖で、伊香郡の有力豪族・伊香連の祖でもあります。

伊香津臣命は、『帝王編年記』養老七年癸亥条にみえる羽衣伝説に登場する与郷の人、伊香刀美に同一視されます。

伊香氏については、物部氏の祖の伊香色雄命に名称が類似する点や、伊香郡内に物部の地名が残る点などから、物部氏との近縁性を指摘する説があります。

吉田東伍氏は、伊香の地名を河内国茨田郡伊香郷に由来する、物部氏の勢力扶植の結果と見ました。

また、太田亮氏も本来は物部氏の同族だったものが、中臣氏へ変化したものとしています。
現在でも、大橋信弥氏が、
「もともと物部連氏の配下として、物部氏と結託関係を結んでいた伊香連氏は、物部氏本宗の没落後、他の同族とともに、中臣氏への接近をはかり、中臣氏の政治的地位の上昇にともなって、ついに物部氏との関係を断って、中臣氏同祖系譜に組み込まれることになった」
とされています。

『三代実録』の貞観元年正月二十七日条には、近江国の従五位上勲八等伊香神に従四位下が授けられ、同八年閏三月七日条には従四位上に神階が昇ったことがみえます。

神宮寺はもと法相宗と伝えますが、その後、真言宗に転宗したと伝えます。明治八年に廃寺になりました。
境内の藤の老木や独鈷水には、弘法大師に付会される伝説があるようです。


■系譜
天児屋根命の14世孫、または5世孫とされています(伊香具神社の社伝は7世孫)。

中臣氏の祖

景初二年、最初の遣使になったのが、次男の梨迹臣である。この後裔が中臣氏、鹿嶋氏などを輩出する。
また正始四年(243年)、三度目の遣使が、末の弟の伊世理命である。
伊世理命は畝尾連(うねびむらじ)の祖とされる。
姓氏録和泉国神別は畝尾連を天児屋根の後とする。中臣氏や鹿嶋氏系譜の上でも、伊世理命の父、伊香津臣は天児屋根の五世孫であり、系譜との矛盾はない。

そして畝尾と関連すると思われる場所がある。
奈良県橿原市木ノ本に畝尾都多本神社(うねびつたもとじんじゃ)という、延喜式にその名を見る古社がある。
古事記』上巻国生みの神話の中で『香山の畝尾の木ノ本に坐して』とされる神社である。神社の場所は畝尾の木ノ本である。滋賀県の木之本と同じ地名である。おそらくこちらが元の名であろう。

したがって伊香津臣は、元々はこの橿原の木ノ本に住んでいたと思われる。伊香津臣が移り住んだ、滋賀県の木之本は、伊香津臣の出身地、畝尾(うねび)の木ノ本に由来するとのであろう。

 この氏族の祖にあたる、天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、日向から神武に付き従った数少ない、大和王権成立以前からの臣下である。大和王権の成立とともに、王権のお膝元、橿原の地に居を構えた可能性を推測する。

長男の臣知人は木之本に住み、後に伊香具氏となる。二世代後の古加斐命(こかひのみこと)は崇神朝に伊香具神社を祭るとされる。
子:臣知人命意美志留)、梨迹臣伊世理命伊是理媛奈是理媛

天児屋根命──天押雲命──天種子命──宇佐津臣命──大御気津臣命──伊香津臣命梨津臣命─┼神聞勝命──久志宇賀主命─┬国摩大鹿島命──巨狭山命──雷大臣命─├大小橋命

中臣氏の祖、伊香津臣命(いかつおみ)には、臣知人命(おみしるひとのみこと・意美志留)、梨迹臣(なしとみ・那志等美)、伊世理命(いぜりのみこと)、伊是理媛(いぜりひめ)、奈是理媛(なぜりひめ)、という五人の子がある。

 景初二年、最初の遣使になったのが、次男の梨迹臣である。この後裔が中臣氏、鹿嶋氏などを輩出する。
また正始四年(243年)、三度目の遣使が、末の弟の伊世理命である。
伊世理命は畝尾連(うねびむらじ)の祖とされる。
姓氏録和泉国神別は畝尾連を天児屋根の後とする。中臣氏や鹿嶋氏系譜の上でも、伊世理命の父、伊香津臣は天児屋根の五世孫であり、系譜との矛盾はない。

そして畝尾と関連すると思われる場所がある。
奈良県橿原市木ノ本に畝尾都多本神社(うねびつたもとじんじゃ)という、延喜式にその名を見る古社がある。
古事記』上巻国生みの神話の中で『香山の畝尾の木ノ本に坐して』とされる神社である。神社の場所は畝尾の木ノ本である。滋賀県の木之本と同じ地名である。おそらくこちらが元の名であろう。

したがって伊香津臣は、元々はこの橿原の木ノ本に住んでいたと思われる。伊香津臣が移り住んだ、滋賀県の木之本は、伊香津臣の出身地、畝尾(うねび)の木ノ本に由来するとのであろう。

 この氏族の祖にあたる、天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、日向から神武に付き従った数少ない、大和王権成立以前からの臣下である。大和王権の成立とともに、王権のお膝元、橿原の地に居を構えた可能性を推測する。

長男の臣知人は木之本に住み、後に伊香具氏となる。二世代後の古加斐命(こかひのみこと)は崇神朝に伊香具神社を祭るとされる。


天児屋根命━━━天押雲命天種子命━━━宇佐津臣命

━━大御気津臣命━━伊香津臣命━┳━臣知人命(おみしるひとのみこと・意美志留
                ┣━梨迹臣(なしとみ・那志等美
                ┣━伊世理命(いぜりのみこと)
                ┣━伊是理媛(いぜりひめ)
                ┗━奈是理媛(なぜりひめ)

梨津臣命─┼神聞勝命──久志宇賀主命─┬国摩大鹿島命──巨狭山命──雷大臣命─├大小橋命


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