古事記 上-7

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古事記 上の卷

七、ヒコホホデミの命

海幸と山幸
――西方の海岸地帶に傳わつた海神の宮訪問の神話で、異郷説話の一つである。政治的な意味として隼人の服從が語られている。――
 ニニギの命の御子のうち、ホデリの命は海幸彦として、海のさまざまの魚をお取りになり、ホヲリの命は山幸彦として山に住む鳥獸の類をお取りになりました。ところでホヲリの命が兄君ホデリの命に、「お互に道具を取り易えて使つて見よう」と言つて、三度乞われたけれども承知しませんでした。しかし最後にようやく取り易えることを承諾しました。そこでホヲリの命が釣道具を持つて魚をお釣りになるのに、遂に一つも得られません。その鉤までも海に失つてしまいました。ここにその兄のホデリの命がその鉤を乞うて、「山幸も自分の幸だ。海幸も自分の幸だ。やはりお互に幸を返そう」と言う時に、弟のホヲリの命が仰せられるには、「あなたの鉤は魚を釣りましたが、一つも得られないで遂に海でなくしてしまいました」と仰せられますけれども、なおしいて乞い徴りました。そこで弟がお佩びになつている長い劒を破つて、五百の鉤を作つて償われるけれども取りません。また千の鉤を作つて償われるけれども受けないで、「やはりもとの鉤をよこせ」と言いました。
 そこでその弟が海邊に出て泣き患えておられた時に、シホツチの神が來て尋ねるには、「貴い御子樣の御心配なすつていらつしやるのはどういうわけですか」と問いますと、答えられるには、「わたしは兄と鉤を易えて鉤をなくしました。しかるに鉤を求めますから多くの鉤を償いましたけれども受けないで、もとの鉤をよこせと言います。それで泣き悲しむのです」と仰せられました。そこでシホツチの神が「わたくしが今あなたのために謀を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)らしましよう」と言つて、隙間の無い籠の小船を造つて、その船にお乘せ申し上げて教えて言うには、「わたしがその船を押し流しますから、すこしいらつしやい。道がありますから、その道の通りにおいでになると、魚の鱗のように造つてある宮があります。それが海神の宮です。その御門の處においでになると、傍の井の上にりつぱな桂の木がありましよう。その木の上においでになると、海神の女が見て何とか致しましよう」と、お教え申し上げました。
 依つて教えた通り、すこしおいでになりましたところ、すべて言つた通りでしたから、その桂の木に登つておいでになりました。ここに海神の女のトヨタマ姫の侍女が玉の器を持つて、水を汲もうとする時に、井に光がさしました。仰いで見るとりつぱな男がおります。不思議に思つていますと、ホヲリの命が、その侍女に、「水を下さい」と言われました。侍女がそこで水を汲んで器に入れてあげました。しかるに水をお飮みにならないで、頸にお繋けになつていた珠をお解きになつて口に含んでその器にお吐き入れなさいました。しかるにその珠が器について、女が珠を離すことが出來ませんでしたので、ついたままにトヨタマ姫にさし上げました。そこでトヨタマ姫が珠を見て、女に「門の外に人がいますか」と尋ねられましたから、「井の上の桂の上に人がおいでになります。それは大變りつぱな男でいらつしやいます。王樣にも勝つて尊いお方です。その人が水を求めましたので、さし上げましたところ、水をお飮みにならないで、この珠を吐き入れましたが、離せませんので入れたままに持つて來てさし上げたのです」と申しました。そこでトヨタマ姫が不思議にお思いになつて、出て見て感心して、そこで顏を見合つて、父に「門の前にりつぱな方がおります」と申しました。そこで海神が自分で出て見て、「これは貴い御子樣だ」と言つて、内にお連れ申し上げて、海驢の皮八枚を敷き、その上に絹の敷物を八枚敷いて、御案内申し上げ、澤山の獻上物を具えて御馳走して、やがてその女トヨタマ姫を差し上げました。そこで三年になるまで、その國に留まりました。
 ここにホヲリの命は初めの事をお思いになつて大きな溜息をなさいました。そこでトヨタマ姫がこれをお聞きになつてその父に申しますには、「あの方は三年お住みになつていますが、いつもお歎きになることもありませんですのに、今夜大きな溜息を一つなさいましたのは何か仔細がありましようか」と申しましたから、その父の神樣が聟の君に問われるには、「今朝わたくしの女の語るのを聞けば、三年おいでになるけれどもいつもお歎きになることも無かつたのに、今夜大きな溜息を一つなさいましたと申しました。何かわけがありますか。また此處においでになつた仔細はどういう事ですか」とお尋ね申しました。依つてその大神に詳しく、兄が無くなつた鉤を請求する有樣を語りました。そこで海の神が海中の魚を大小となく悉く集めて、「もしこの鉤を取つた魚があるか」と問いました。ところがその多くの魚どもが申しますには、「この頃鯛が喉に骨をたてて物が食えないと言つております。きつとこれが取つたのでしよう」と申しました。そこで鯛の喉を探りましたところ、鉤があります。そこで取り出して洗つてホヲリの命に獻りました時に、海神がお教え申し上げて言うのに、「この鉤を兄樣にあげる時には、この鉤は貧乏鉤の悲しみ鉤だと言つて、うしろ向きにおあげなさい。そして兄樣が高い所に田を作つたら、あなたは低い所に田をお作りなさい。兄樣が低い所に田を作つたら、あなたは高い所に田をお作りなさい。そうなすつたらわたくしが水を掌つておりますから、三年の間にきつと兄樣が貧しくなるでしよう。もしこのようなことを恨んで攻め戰つたら、潮の滿ちる珠を出して溺らせ、もし大變にあやまつて來たら、潮の乾る珠を出して生かし、こうしてお苦しめなさい」と申して、潮の滿ちる珠潮の乾る珠、合わせて二つをお授け申し上げて、悉く鰐どもを呼び集め尋ねて言うには、「今天の神の御子の日の御子樣が上の國においでになろうとするのだが、お前たちは幾日にお送り申し上げて御返事するか」と尋ねました。そこでそれぞれに自分の身の長さのままに日數を限つて申す中に、一丈の鰐が「わたくしが一日にお送り申し上げて還つて參りましよう」と申しました。依つてその一丈の鰐に「それならばお前がお送り申し上げよ。海中を渡る時にこわがらせ申すな」と言つて、その鰐の頸にお乘せ申し上げて送り出しました。はたして約束通り一日にお送り申し上げました。その鰐が還ろうとした時に、紐の附いている小刀をお解きになつて、その鰐の頸につけてお返しになりました。そこでその一丈の鰐をば、今でもサヒモチの神と言つております。
 かくして悉く海神の教えた通りにして鉤を返されました。そこでこれよりいよいよ貧しくなつて更に荒い心を起して攻めて來ます。攻めようとする時は潮の盈ちる珠を出して溺らせ、あやまつてくる時は潮の乾る珠を出して救い、苦しめました時に、おじぎをして言うには、「わたくしは今から後、あなた樣の晝夜の護衞兵となつてお仕え申し上げましよう」と申しました。そこで今に至るまで隼人はその溺れた時のしわざを演じてお仕え申し上げるのです。

トヨタマ姫
――前の説話の續きで、男が禁止を破ることによつて、別離になることを語る。この種の説話の常型である。――
 ここに海神の女、トヨタマ姫の命が御自身で出ておいでになつて申しますには、「わたくしは以前から姙娠しておりますが、今御子を産むべき時になりました。これを思うに天の神の御子を海中でお生み申し上ぐべきではございませんから出て參りました」と申し上げました。そこでその海邊の波際に鵜の羽を屋根にして産室を造りましたが、その産室がまだ葺き終らないのに、御子が生まれそうになりましたから、産室におはいりになりました。その時夫の君に申されて言うには「すべて他國の者は子を産む時になれば、その本國の形になつて産むのです。それでわたくしももとの身になつて産もうと思いますが、わたくしを御覽遊ばしますな」と申されました。ところがその言葉を不思議に思われて、今盛んに子をお産みになる最中に覗いて御覽になると、八丈もある長い鰐になつて匐いのたくつておりました。そこで畏れ驚いて遁げ退きなさいました。しかるにトヨタマ姫の命は窺見なさつた事をお知りになつて、恥かしい事にお思いになつて御子を産み置いて「わたくしは常に海の道を通つて通おうと思つておりましたが、わたくしの形を覗いて御覽になつたのは恥かしいことです」と申して、海の道をふさいで歸つておしまいになりました。そこでお産まれになつた御子の名をアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命と申し上げます。しかしながら後には窺見なさつた御心を恨みながらも戀しさにお堪えなさらないで、その御子を御養育申し上げるために、その妹のタマヨリ姫を差しあげ、それに附けて歌を差しあげました。その歌は、

赤い玉は緒までも光りますが、
白玉のような君のお姿は
貴いことです。

 そこでその夫の君がお答えなさいました歌は、

水鳥の鴨が降り著く島で
契を結んだ私の妻は忘れられない。
世の終りまでも。

 このヒコホホデミの命は高千穗の宮に五百八十年おいでなさいました。御陵はその高千穗の山の西にあります。
 アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命は、叔母のタマヨリ姫と結婚してお生みになつた御子の名は、イツセの命・イナヒの命・ミケヌの命・ワカミケヌの命、またの名はトヨミケヌの命、またの名はカムヤマトイハレ彦の命の四人です。ミケヌの命は波の高みを蹈んで海外の國へとお渡りになり、イナヒの命は母の國として海原におはいりになりました。