天日槍神

天日槍神

あめのひぼこのかみ
別:〇天之日矛神

新羅から渡来した神。韓人系の出石民族の祖
太陽神、農業神
天日槍神は、新羅国の王子として生まれたが、後にひとりの美しい女性を追って朝鮮半島から渡来したとされる神である。日本神話の中で、はっきりと海外から訪れた神というのはほとんど見あたらず、そういった点で特異な神さまである。ただし、これはあくまで日本の神話であり、朝鮮半島の方にそういった神話は残っていない。その理由については後ほど説明しよう。「古事記」の中に彼に関する記述があるので、書いておく。「日本書紀」の中にも登場するのだが、特に大差はないのでこちらは省略する。
天日槍神は、新羅国にいたとき、赤い玉から化身したという美しい女と結婚していた。その赤い玉は、ある時沼のほとりで昼寝をしていた女の陰部に日光がさし、それで女が懐妊して産み落としたものだ。これを天日槍神が偶然手に入れると、玉は女に化身し、妻となった。妻の名は阿加流比売神(アカルヒメノカミ)といって、夫によくつくしたが、あるとき心おごった夫からののしりを受けると、「自分の祖のもとへ帰る」と言って小舟に乗って日本へ渡ってしまった。彼女が日本で住んだのは比売許曾(ヒメコソ)神社(大阪府東成区に現存)だという。
天日槍神は、自らの行為を悔やみ、妻のあとを追って日本に渡り、妻のいる難波(大阪府)に向かったが、海上の守護神に行く手を阻まれかなわなかった。そこで、やむなく但馬(兵庫県出石地方)に上陸してとどまり、やがてその地の女性と結婚して子をなした。但馬は、渡来計民族の影が濃い地である。
天日槍神は、まだほとんど開拓されていなかったこの地を拓いた。特に鉄器や土器など、新羅の新技術を伝えることによって農耕を発展させ、食料を豊かにし、農業神としての霊威を発揮した。このため、兵庫県出石町の出石神社に「国土開発の祖神」として祀られているのである。
「日矛(槍)」の日は太陽であり、矛は武器である。だが、この場合の矛は、武器というよりも太陽神を奉祀する呪具としての性格が強い。天日槍神は日本に渡ってくるときにさまざまな貴重な神宝を携えてきた。これらは「日本書紀」で羽太玉(ハフトノタマ)、足高玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬(ヒモロギ)の一式、七種と紹介されている。神籬について解説を加えよう。神籬とはもともと神が天から降るために設けた神聖な場所のことを指し、古くは神霊が宿るとされる山、森、樹木、岩などの周囲に常磐木(トキワギ)を植えてその中を神聖な空間としたものである。周囲に樹木を植えてその中に神が鎮座する神社も一種の神籬である。そのミニチュア版ともいえるのが神宝の神籬で、こういった神が宿る場所を輿とか台座とかそういったものとして持ち歩いたのではないだろうか。残念ながら、ここでの「熊」の意味は分かっていない。
さて、これら七種の神宝セットが持つテーマは、いずれも太陽神を祀る呪具ということである。三種の神器と同じ構成である玉、鏡、刀に加えて矛、そして神籬である。この中でも矛とは、天岩戸隠れのときに天鈿女神が持って踊ったのが「日矛」という矛であることから考えても、太陽神との関係が深い。この呪具と同じ神名の天日槍神は、本来、太陽神を祀る呪具に宿る神霊であり、ひいては太陽神の一種とも受け取れる。太陽神は農業の一番中心的な守護神であるから、国土開発の神としても信仰されるわけである。
ところで、「古事記」ではこの神宝は「八種の宝物」とされ、内容も玉がふたつ、波振比礼(ナミフルヒレ)、波切比礼(ナミキルヒレ)、風振比礼(カゼフルヒレ)、風切比礼(カゼフルヒレ)、奥津鏡、辺津鏡(ヘツカガミ)となっている。「比礼」というのは薄い肩掛け布のことで、現在でいうショールである。古代ではこれを振ると呪力を発し災いを除くと信じられていた。もう一度これら宝物の名前をよく見ていただけるとわかりやすいが、四種の比礼は総じて風を鎮め、波を鎮めるといった役割をもったものであり、海と関わりの深いものである。波風を支配し、航海や漁業の安全を司る神霊を祀る呪具といえるだろう。こういった点から、天日槍神は海とも関係が深いといわれている。
おそらくこうした性格は、もともと海人族(漁民)の信仰していた海、もしくは風の神と、天日槍神の信仰が結びついたものであろう。こうした性格は福井県敦賀市の気比神社の気比神と共通のものであり、「日本書紀」においては天日槍神がその地に立ち寄ったとされる記述もあることから、この二神は同一神ではないかといわれている。
いろいろと複雑な性格を示し、それだけに謎の多い神さまでもある天日槍神には、もう一つ、「槍」の名の通りに民族的な守護神としての武神のイメージもある。「播磨国風土記」宍禾群(シサワグン)の条に、天日槍神は葦原色許男神(アシハラシコノオノカミ=大国主命)と国土をめぐって力を競う強力な神として登場する。これは土着の出雲民族と渡来系の出石民族の勢力争いの記憶をとどめる物語というのが定説になっているようである。このとき争った土地は、中国山地の揖保川や千草川の流域で、かつては砂鉄の産地であったところである。ここから、天日槍神が古代の製鉄技術と密接に関係していることもうかがえる。
但馬国に定着した天日槍神は、土地の娘と結婚して子孫を残したが、その中に多遅麻毛理神(タジマモリノカミ=田道間守)がいる。彼は垂仁天皇の命で常世の国に渡り、非時香菓(トキジクノカグノコノミ)と呼ばれるいつでも実をつけている香りのよい果物を持ち帰った。これは、現在の橘ともいわれている。この功績にちなんで、彼は菓子の祖神として菓子業者の信仰を集めている。


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