[11]国譲りのおはなしパート1

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国譲りのおはなし 四柱の刺客篇
大国主命(オオクニヌシ)は、国作りを達成し、葦原中国は、大層栄え、賑わっていました。しかし、これを見ていた天照大神(アマテラス)を始めとした高天原(たかあまはら)の神々は、「この地上(葦原中国)を治めるべきは、吾が一族。」と言い始め、天の神々を地上界に派遣することを決めました。

そして、最初に派遣されたのが、誓約(うけい)によって生まれたアマテラスの御子神(みこがみ)、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)こと、天忍穂耳命(アメノオシホミミ)でした。しかし、アメノオシホミミは、地上界へと降りる天の浮橋から下界を覗くと、その騒がしさに、嫌気が差して、そのまま地上に降り立つことなく、引き返してしまいました。

すると、アマテラスは、八百万(やおよろず)の神々と天岩戸事件の時に活躍した知恵の神、思金神(オモイカネ)に相談し、第二の刺客として、同じく誓約で生まれた天穂日命(アメノホヒ)を高御産巣日神(タカミムスヒ)とアマテラスの命のもと派遣することにしました。

しかし、アメノホヒは、地上に降り立つやいなや、すっかりオオクニヌシになびいてしまい、そのままオオクニヌシの家来になってしました。その後、約3年が経過しましたが、アメノホヒが戻る様子もなく、これも失敗に終わってしまいました。

すると、再度、アマテラスは、八百万の神々と、オモイカネに相談をし、今度こそはと、天若日子(アメノワカヒコ)を、第三の刺客に選びました。

そして、この時、アメノワカヒコには、天之麻古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)という弓矢一式が与えられ、地上界に派遣されることになりました(しかし、これが後の不幸を招くことになります)。

しかし、地上に降り立ったアメノワカヒコは、なんと、そのまま大国主命(オオクニヌシ)の娘である下照姫(シタテルヒメ)と結婚をしてしまい、逆に、自分自身が葦原中国の王になると言い出し、そのまま帰って来なかったのです。

そして、時が過ぎ、まったく連絡をよこして来ないアメノワカヒコにしびれを切らしたアマテラスを始めとした八百万の神々は、再び、会議を開き、オモイカネの発案で、「雉(きぎし)の鳴女(ナキメ)を送りましょう」ということで一致しました。

ナキメは、キジの姿をした神で、アメノワカヒコに葦国中国平定を厳命したのに、何故、何の連絡もよこさないのか確認して来るよう依頼しました。そして、アメノワカヒコの家の木に止まると、アメノワカヒコにその任務を思い起こさせようと、鳴き始めたのです。

すると、そこにいた天佐具売(アメノサグメ)は、「この鳥の鳴き声は不吉だから殺した方がいい」とアメノワカヒコをそそのかしました。すると、アメノワカヒコはそのままタカムスヒから受け取った弓矢で、ナメキを射抜いて殺してしまったのです。 そして、そのまま矢は、高天原のタカムスヒのところまで飛んで行ってしまいました。

これを受け取ったタカムスヒは、その矢に血がついていることを確認し、その矢を「もし、アメノワカヒコに邪な考えがあるのであれば、この矢はアメノワカヒコを射抜くだろう」と言って、その矢を下界に投げ返したのです。矢は、見事、アメノワカヒコの胸を射抜き、結局、最後に遣わせたナキメともども誰も高天原に戻って来ませんでした。

				
	
		神魂神社(かもすじんじゃ):島根県松江市大庭町563

神魂神社は、地上界に降り立ったアメノホヒ(二番目の刺客)が、創建した社と言われております。ご祭神には、その祖先神となるイザナミとイザナギを祀り、アメノホヒの子孫(大社町、北島、千家両国造)が、元正天皇霊亀2年(716年)に至る25代果安国造まで祭主として奉仕されたとしております。

	

こうして葦原中国を治めるために遣わされた数々の神は、ことごとく失敗を繰り返し、最後に派遣されたアメノワカヒコに至っては、命までも失われる結果となりました。

地上では、アメノワカヒコの妻、シタテルヒメが、この死を深く嘆き、その泣き声は、天にまで届いたと言われています。そして、その声は、アメノワカヒコの父神、天津国玉神(アマツクニタマ)を突き動かし、地上に降り立って、アメノワカヒコの葬儀のために、喪屋を建てました。そして、盛大な弔いが行われ、シタテルヒメの兄、阿遅志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネ)も、その弔いに参列しました。

しかし、このアヂシキタカヒコネの容姿は、アメノワカヒコに瓜二つと言われ、アヂシキタカヒコネが現れるや、アメノワカヒコの親神たちは、本人が生き返ったと思い込み、そのままアヂシキタカヒコネに抱きついてしまいました。すると、死人と同一視されたことに腹をたてたアヂシキタカヒコネは、怒り狂い、そのまま剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまいました。そして、この喪屋が、そのまま美濃国の喪山になったと伝えられています。

	勝鳥神社(かちとりじんじゃ):滋賀県彦根市三津町236

天稚彦神社(あめのわかひこじんじゃ):滋賀県犬上郡豊郷町高野瀬40
阿自岐神社(あじきじんじゃ):滋賀県犬上郡豊郷町安食西663
勝鳥神社は、アヂシキタカヒコネが、アメノワカヒコの亡骸をほおむった地とされ、そこに勝鳥石を建てたとされています。ただ、社伝では、美濃の国での戦いによって亡くなられたとあり、まるで、戦があったかのような言い回しで、非常に興味深いポイントではあります。そして、その御神体は、通常はこの勝鳥神社に安置されているのですが、祭日の日にアメノワカヒコを祀るもうひとつの神社、天稚彦神社に安置されると言います。因に、天稚彦神社の氏子は鶏卵鶏肉を食べてはいけないそうで、これもアメノワカヒコの死につながったナキメに原因があると考えられます。また、近くには、アヂシキタカヒコネを祀る阿自岐神社もあり、まさに、この逸話の舞台がこの美濃の地で行われたことはほぼ確かなことではないだろうかと推察されます。

	
		倭文神社(しとりじんじゃ):鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754

倭文神社は、シタテルヒメが出雲から海路御着船従者と共に現社地に住居を定め、当地で死去される迄,安産の指導に努力され農業開発、医薬の普及にも尽力されたと伝えられています。

	

国譲りのおはなし 最強の刺客篇
さて、アマテラスによる国譲りもここからいよいよ本格化していきます。再三、失敗を繰り返して来た高天原の神々も今度は、最後の手段とばかりに、非常に力のある神を派遣することを考えます。そして、オモイカネがその提案として、カグツチを斬り殺した刀、十拳剣(とかのつるぎ)の化身、天之尾羽張(アメノオハバリ)か、その刀から生まれた御子神となる建御雷神(タケミカヅチ)が適任という案が、出されました。

しかし、アメノオハバリは、天安河(やすのかわら)の水をせき上げて、道を塞いでいたことから、他の神が容易に近づくことは出来ません。そのため、鹿の神の化身たる天迦久神(アメノカク)が遣わされ、アメノオハバリに確認すると、それならば、タケミカヅチの方が適任だろうと答えたため、タケミカヅチが葦原中国に遣わされることが決まりました。

そして、タケミカヅチは、アメノトリフネと共に、十掬剣(とかのつるぎ)を抜いて、それを逆さまに立てた剣先の上にあぐらをかくという異様な出で立ちで、出雲国の伊那佐(いなさ)の小浜(おばま)に降臨するのでした。

	鹿島神宮と鹿の使い

タケミカヅチを祀る神社として最も有名なのは、茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮(かしまじんぐう)となります。そして、鹿島神宮とくれば、鹿。鹿は、鹿島神宮の神使(しんし)として、非常に神聖視された生き物となります。鹿島アントラーズのアントラーも鹿を意味し、奈良県とくれば、鹿ですが、これも鹿島神宮から奈良の春日大社にご分霊が勧請された際に、鹿を神使として、遣わされたと言われています。それほど、鹿島大神こと、タケミカヅチと鹿の関係は深いと言われています。そして、その所以も、ここでお分かりの通り、タケミカヅチに地上への降臨を促す伝令役を担ったのが、鹿の神の化身こと、アメノカクだったというわけです。

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