覚えておきたい歴史用語

あじあ・あふりかゅばんどん)かいぎ
アジア・アフリカ(バンドン)会議
アジアとアフリカの29カ国が参加しているインドネシアのバンドンで開催。平和共存・民族独立をうったえました。編集
あしかがたかうじ
足利尊氏
武家政治の復活を呼びかけ挙兵。建武の新政は、2年ほどで崩れました。編集
あんせいのたいごく
安政の大獄
大老の井伊直弼が幕府に反対した大名や武士、公家らは処罰、。吉田松陰らを処刑。編集
いっこういっき
一向一揆
浄土真宗(一向宗)の信仰で結びついた武士や農民が各地で一揆をおこしました。加賀(石川県)では、守護大名をたおし、約100年間自治を行いました。編集
いとう ひろぶみ
伊藤博文
ヨーロッパに留学し、君主権の強いドイツ(プロセイン)などの憲法を学ぶ。帰国後に草案を作成。立憲政治(憲法に基づく政治)の開始に備え、内閣制度作り、初代の内閣総理大臣(首相)に就任。編集
いのう ただたか
伊能忠敬
全国の湾岸線を測量し、正確な日本地図を作成。編集
いはら さいかく
井原西鶴
武士や町人の生活をもとに小説である浮世草子を書く。編集
いわじゅくいせき
岩宿遺跡(群馬県)
黒曜石で作られた打製石器が発見された。編集
いんせい
院政
白河天皇が位をゆずって上皇になった後も政治を行います。天皇が位をゆずって上皇になった後も政治を行うことを院政といいます。編集
おうせいふっこのだいごうれい
王政復古の大号令
天皇中心とする政治に戻すことを宣言。慶喜に官職と領地の返上を命じました。編集
おうにんのらん
応仁の乱
1467年に11年にあたる戦乱が始まります。東軍(細川方)、西軍(山名方)に分かれて、京都から全国に広がりました。編集
おおしおのらん
大塩の乱
天保の飢饉で多くの死者が出る。各地で百姓一揆、打ちこわし。大阪で旗本大阪町奉行所の役人の陽明学者の大塩平八郎が兵をあげる。岡山では渋染一揆がおきる。編集
おとぎぞうし
御伽草子
「一寸法師」などの絵入りの物語。編集
かいづか
貝塚
海岸や水辺にできた食べ物の残りかすなどを捨てたあとです。編集
かいほうれい
解放令
えた身分、ひにん身分の呼び名を廃止し、平民に。多くの面で差別が残る。編集
がくせい
学制
小学校から大学までの学校制度。6歳以上の男女すべてに小学校教育を受けさせる。学校の建設費や授業料は地元で負担。当初は就学率が低かった。編集
かたながり
刀狩
農民や寺社から弓や刀、やり、鉄砲などの武器を取り上げれます。武力による農民の一揆を防ぎ、耕作に専念させました。自分の領地にいた武士は、大名の城下町に集められました。編集
かぶなかま
株仲間
問屋・仲買の同業者組織。幕府の許可を得て営業を独占。編集
かまくらふ
鎌倉府
鎌倉に置かれ、関東の支配にあたります。編集
かんいじゅうにかいのせいど
冠位十二階の制度
冠の色などで地位を区別します。家柄にとらわれず、才能や功績のある人物を役人に取り立てました。編集
かんこくへいごう
韓国併合
日本は韓国を併合して、植民地とし、韓国総督府を設置。首都の漢城(ソウル)を京城と改称。編集
がんじん
鑑真
日本にわたろうとして何度も遭難し、盲目になって来日した唐の僧。正しい仏教の教えを広めました。また、唐招提寺も建てました。編集
かんせいのかいかく
寛政の改革
老中松平定信が行った政治改革。編集
かんれい
管領
将軍の補佐役。有力な主語が任命されました。編集
きゅーばきき
キューバ危機
&aname(): Invalid ID string: kyuほbakiki;キューバで革命が起こり、親米政権が倒れる。それがきっかけで、ソ連がキューバで核ミサイルを基地を建設。アメリカが海上を封鎖し、緊張が高まりました。ソ連がミサイルを撤去して核戦争が起きる寸前で収拾される。編集
きょういく
教育
地方の武士や都市の有力者は、寺で子どもに教育をうけさせていました。編集
きょういくちょくご
教育勅語
忠君愛国の道徳が示され、教育の柱になり、国民の精神的・道徳的なよりどころとされた。編集
ぎょうき
行基
一般の人々の間で布教。また、橋や用水路をつくりました。編集
きょうげん
狂言
能の合間に演じ、民衆の生活や感情をよくあらわしていました。編集
きょうとぎていしょ
京都議定書
1997年に地球温暖化防止京都会議で採択された先進国の温室効果ガスの排出量削減の数値目標と達成するための国際的な仕組みを定めていています。編集
きょうとしょしだい
京都所司代
朝廷を監視。編集
きょうほうのかいかく
享保の改革
第8代将軍徳川吉宗が行った政治改革で、幕府の財政は一時的に立ち直ります。編集
きんちゅうならびにくげしょはっと
禁中並公家諸法度
天皇や公家の行動を制限。編集
くうかい
空海
真言宗を伝え、高野山に金剛峯寺を建てます。編集
けいちょうのえき
慶長の役
1597年、ふたたび朝鮮へ出兵します。日本の軍勢は苦戦し、秀吉の病死を機に引きあげます。編集
げこくじょう
下剋上
実力あるものが、力のばして上の身分の者に打ち勝って、下剋上の風潮が広がりました。編集
げんすいばくきんしうんどう
原水爆禁止運動
アメリカの水爆原爆事件で第五福竜丸が被爆した事件をきっかけにおこります。編集
ごいちごじけん
五・一五事件
満州国の承認に反対する犬飼毅首相が海軍将校の一団に暗殺される。後継の斉藤優内閣が満州国を承認。政党内閣の終わりました、これに対して、国際連盟は、リットン調査団を派遣して調査。総会で満州国を認めず、日本軍の満鉄沿線への撤兵を求める勧告を採択。日本国際連盟を脱退。編集
こうあんのやく
弘安の役
1281年。元軍は、御家人の活躍や、海岸に築かれた石塁で上陸できませんでした。暴風雨のため引きあげます。編集
こうごのうみんせんそう
甲午農民戦争
東学(民間信仰をもとにした朝鮮の宗教)を信仰する人々を中心とする農民が朝鮮戦闘南部一体で蜂起。政治改革や外国人の排除を目指しました。編集
こうちこうみん
公地・公民
それまで豪族が支配した土地を人々を国家が直接支配します。編集
ごかじょうのごせいもん
五箇条の御誓文
天皇が出した新しい政治の基本方針編集
こくがく
国学
本居宣長は、日本古来の伝統を評価する古事記伝を著し大成。編集
こくさいれんめい
国際連盟
1920年設立された世界平和と国際協調のための国際的な組織。民族自決を唱えていたアメリカ大統領ウィルソンのもとに基づいて誕生。編集
ごくらくじょうど
極楽浄土
阿弥陀如来がいる、あらゆる苦しみのない世界です。編集
ごしうんどう
五・四運動
北京での学生集会をきっかけに、反日運動が起こる。帝国主義に反対する国民運動へと発展。孫文が、中国国民党を結成し、中国共産党と協力して民族の自立と国家の統一を目指しました、編集
こっかそうどういんほう
国家総動員法
政府が産業・経済など全てにわたって戦争に動員する権限を持つ。編集
こんごうりきしぞう
金剛力士像
運慶による力強い彫刻作品です。南大門に置かれました。編集
こんでんえいねんしざいほう
墾田永年私財法
743年に、人々に開墾をすすめるために制定しました。貴族・寺院・郡司の私有地を広げ、私有地の事務所や倉庫は「荘」と呼ばれました。私有地が荘園と呼ばれるようになりました。編集
さいちょう
最澄
天台宗を伝え、比叡山に延暦寺を建てます。編集
ざいばつかいたい
財閥解体
日本経済を支配してきた三井・住友・三菱などが解体される。編集
さくらだもんがいのへん
桜田門外の変
安政の大獄に反発した水戸藩の浪士たちが井伊直弼を暗殺。幕府は朝廷との融和を図る公武合体政策を進めました。編集
さっちょうどうめい
薩長同盟
坂本龍馬の仲立ちで薩摩藩と長州藩が同盟を結び、倒幕をめざす。編集
さむらいどころ
侍所
京都を支配し。御家人を統率しました。長官には有力な守護が任命されました。編集
さんいちどくりつうんどう
三・一独立運動
朝鮮の独立運動で、日本の植民地支配下の朝鮮て、知識人や学生がソウル(京城)で独立を宣言する文書を発表。編集
さんきんこうたい
参勤交代
大名は妻子を江戸に置き、1年おきに領地と江戸を往復する。3代将軍徳川家光が制度化。編集
さんごくかんしょう
三国干渉
ロシアがドイツ、フランスと共に、日本に遼東半島の清への返還を勧告し、日本はこれを受けいれて返還。ロシアは、日本が返還した地域の旅順と大連を租借して、根拠地としました。編集
さんふらんしすこへいわじょうやく
サンフランシスコ平和条約
アメリカは、日本を西側陣営の一員にするため、講和を急ぎました。日本の全権であった吉田茂が48カ国と講和条約を結ぶ。東側陣営と侵略したアジアの国々とは講和が実現しませんでした。編集
しじゅく
私塾
大阪の医者緒方洪庵の適塾。オランダ商館医者シーボルトの医学塾。編集
しっけんせいじ
執権政治
源頼朝の死後、争いがおこり、北条時政(頼朝の妻で北条政子の父)に実権が移ります。以後、北条氏が執権の職につき、地位を独占するようになります。編集
じとう
地頭
地頭になった武士の農民を勝手に支配するようになりました。地頭と領主との間で争いが起こりました。争いを幕府がさばきます。編集
しゅいんせんぼうえき
朱印船貿易
家康が日本船の渡航を許す朱印状を発行し、東南アジアの各地に朱印船の保護を依頼。多くの日本人の海外に移住、東南アジア各地に日本町ができました。編集
じゅうななじょうのけんぽう
十七条の憲法
役人の心構えを示しました。編集
しゅようこくしゅのうかい さみっと
主要国首脳会(サミット)
1975年に始まり、毎年開かれる。日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、ロシアの首相とEUの委員長が参加。編集
しょいんづくり
書院造
寺院の部屋の様式を武家の住居に取り入れました。編集
じょうきゅうのらん
承久の乱
朝廷の勢力回復を図る後鳥羽上皇は、1221年、幕府をたおすために兵をあげます。北条政子のうったえで、幕府は朝廷を軍を破ります。編集
じょうどしんこう
浄土信仰
念仏を唱えて、阿弥陀如来にすがり、死後に極楽浄土へ生まれ変わることを願う思想。編集
じょうもんどき
縄文土器
厚手で黒褐色をしています。表面に縄目のような文様がつけられていることが多いです。編集
しょとくばいぞうけいかく
所得倍増計画
池田勇人内閣がスローガンに掲げ、経済成長を積極的に推進しました。編集
しんがいかくめい
辛亥革命
長江上流域で民衆の反政府運動が起こる。武漢で軍隊が反乱起こし、革命運動は全国に広がり、多くの省が清から独立を宣言。孫文を臨時大統領として初めて最初の共和国である中華民国が建設される。首都は南京。編集
しんこきんわかしゅう
新古今和歌集
後鳥羽上皇の命令で編集されます。藤原定家などの貴族、僧の西行などの和歌を集めます。編集
すいぼくが
水墨画
墨一色で自然などを表現し、雪舟が、中国にわたって絵画技法を学び、帰国後、日本の水墨画を完成させます。編集
せいどうき
青銅器
祭りのための宝物(銅鏡・銅鐸・銅剣など)編集
せかいきんゆうきき
世界金融危機
2008年に起こった金融危機。いったん回復した景気が、ふたたび深刻な不況になりました。編集
ぜんこくすいへいしゃ
全国水平社
1922年京都で結成される。編集
せんごくだいみょう
戦国大名
守護大名の地位をうばって実権をにぎった者、守護大名が成長した者が各地に登場。編集
そんぶん
孫文
三民主義を唱え、民族の独立と近代国家建設を目指す革命運動の中心となりました。編集
たいこうけんち
太閤検地
ものさしやますを統一し、田畑の面積や土地のよしあしを調べ、予想される収穫量を石高であらわしました。編集
たいせいほうかん
大政奉還
第15代徳川慶喜が政権を朝廷に返す。新政権のなかで主導権を握ろうとした。編集
たいせいよくさんかい
大政翼賛会
政党や政治団体が解散し、国民を戦争に動員する機関として結成。編集
たいへいてんごくのらん
太平天国の乱
アヘンの戦争後、重税での生活の苦しくなった農民が、洪秀全を中心としておこした反乱。太平帝国は土地を平等に分け、貧富の差のない社会を作ろうとしました。編集
たいらのまさかど
平将門
関東で反乱を起こしました。(935年)編集
たかゆかそうこ
高床倉庫
ねずみや湿気を防ぐために作られ、収穫した米を蓄えます。編集
たてあなじゅうきょ
たて穴住居
地面を彫りくぼめて柱をたて、その上に屋根をかけた住居。人々は集団を作って暮らしていました。編集
ちあんいじほう
治安維持法
普通選挙法と同時に制定。共産主義に対する取り締まりを強化。加藤内閣以後8年間、政党の総裁が内閣を組織。憲政の常道という。編集
ちかまつ もんざえもん
近松門左衛門
心中など現実に起こった事件を元に人形浄瑠璃の台本を書く。曽根崎心中など。編集
ちそかいせい
地租改正
土地に対する税率は全国統一の近代的な税となり、政府の歳入(年間の収入)の大半を占め財政を安定させた。編集
ちょうへいれい
徴兵令
満二十歳に達した男子に兵役を義務付ける。免除規定はあった。編集
つれづれぐさ
徒然草
兼好法師が生き生きとした民衆の姿を取り上げられました。編集
てっき
鉄器
武器や工具として用いられています。編集
てんのうきかんせつ
天皇機関説
美濃部達吉が主張した、主権は国家にあり、天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治するという憲法学説。編集
てんぽうのかいかく
天保の改革
老中の水野忠邦が行った政治改革。2年余りで失敗。編集
といまる
問丸
運送業者をかねた倉庫業者編集
とうぐどうどうじんさい
東求堂同仁斎
銀閣と同じ敷地にあり、足利義政の書斎でした。編集
とうだいじのさいけん
東大寺の再建
民衆の寄付を進められまた。編集
とうだいじのしょうそういん
東大寺の正倉院
校倉造で、聖武天皇の遺品などをおさめた宝庫で、シルクロードをとって西アジアやインドから伝わった工芸品もおさめられています。編集
どぐう
土偶
魔除けや植物の豊かさを祈る時に使われたと考えられます。編集
とんでんへい
屯田兵
農業兼業の兵士で開拓の中心となる。労働力不足は囚人やアイヌの人々で補う。困難な労働で多くの犠牲者を出しました。編集
なんきんじょうやく
南京条約
イギリスは、上海など5港を開港を手に入れました。清の関税自主権を認めず、イギリスが領事裁判権持つ不平等条約。編集
なんばんぼうえき
南蛮貿易
南蛮人(ポルトガル人やスペイン人)との貿易。中国産の生糸や絹織物、毛織物、時計、ガラス製品などを輸入。おもに、日本は、銀を輸出しました。編集
なんばんぼうえき
南蛮貿易
ヨーロッパの文化から影響を受けて成立した芸術や流行の風俗。編集
にちべいあんぜんほしょうじょうやく
日米安全保障条約
日本の安全と東アジアの平和を守る条約。アメリカ軍基地が日本国内に残りました。沖縄・小笠原諸島は、独立回復後もアメリカの統治のもとに置かれました。編集
にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく
日米修好通商条約
大老の井伊直弼が反対派を押さえて、朝廷の許可を得ないで結びました。函館、神奈川県(横浜)、長崎、新潟、兵庫(神戸)の5港を開き、自由な貿易を認める。編集
にちべいわしんじょうやく
日米和親条約
1854年ペリーとの間に結んだ条約。下田と函館の2港を開港。アメリカ船の食料や水、石炭などの供給を認めました。編集
にちみんぼうえき
日明貿易
明は、漢民族がモンゴル民族を北に追い出し、明を建国します。倭寇は、西日本の武士や商人、漁民が集団をつくって貿易を強要。船をおそい、大陸沿岸をあらしたので明がとりしまりを日本に求めましたが、足利義満が禁じました。編集
ににろくじけん
ニ・ニ六事件
1936年陸軍の青年将校らが軍事政権を実現しようと、首相官邸や警備庁などを襲撃、中心部を占拠するが、失敗に終わりました。編集
ねんちゅうぎょうじ
年中行事
正月の雑煮や七草。節分の豆まき、ひな祭り、盆踊りなど。編集
のるまんとんごうじけん
ノルマントン号事件
イギリス船が沈没し、日本人乗客が全員水死。イギリス領事裁判所は船長に軽い罰を与えただけだったので、不平等条約改正を求める世論が高まる。編集
はいはんちけん
廃藩置県
藩を廃止して県を置き、各県には県令(のちの県知事)を大阪、京都、東京の3府には府知事を中央から派遣。編集
ばしゃく
馬借
物質の陸上輸送をあつかいました。編集
ばぶるけいき
バブル景気
1980年度末、投機的によって株式と土地の価格が異常に高くなる不健全な好景気が発生。これをバブル景気(株価や地価が経済の実態を超えて上昇する、あわのような好景気のこと)。編集
はんこう
藩校
武士に学問や武道を教えて、人材の育成を図る。編集
はんせきほうかん
版籍奉還
藩に土地と人民を政府へ返させる。編集
はんでんしゅうじゅのほう
班田収授法
戸籍に登録された6歳以上のすべての人々に、性別や良賤の身分に応じて、口分田をあたえ、死ぬと国に返されました。編集
はんばつせいじ
藩閥政治
倒幕の中心であった公家、薩摩、長州、土佐、肥前の4藩出身者が実権を握る。編集
ひかくさんげんそく
非核三原則
核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」を国の方針とする。沖縄には、復帰後も多くのアメリカ基地が残されました。これにより、事故、公害、犯罪など多くの問題が起きています。編集
びょうどういんほうおうどう
平等院鳳凰堂
京都の氏に藤原頼道が建立しました。阿弥陀如来の像やそれをおさめる阿弥陀堂がつくられました。編集
ふぇーとんごうじけん
フェートン号事件
イギリス軍艦フェートン号がオランダ船をとらえるために長崎港に侵入する。編集
ぶけしょはっと
武家諸法度
大名を統制するための法令編集
ふじわらのすみとも
藤原純友
瀬戸内海地方で反乱をおこします。(939年)編集
ふじわらのみちながよりみちふしのじだい
藤原道長・頼通父子の時代
摂関政治が最も安定した時期です。藤原氏は、朝廷の高い地位を独占し、高い給与を受け取り、国司からの贈り物、広大な荘園などがその象徴です。編集
ふつうせんきょほうのせいりつ
普通選挙法の成立
1925年、納税額による制限を廃止し、満25歳以上の男子選挙権を与えました。編集
ふどき
風土記
地方の国ごとに、自然、産物、伝説などを記した地理書。編集
ぶらくかいほううんどう
部落解放運動
被差別部落の人々が自らの力で平等を勝ち取り、差別からの解放をめざす運動。編集
ふらんしすこ ざびえる
フランシスコ・ザビエル
イエズス会の宣教師。キリスト教を伝えるため来日。鹿児島、山口、京都、豊後府内(大分県)などで布教。編集
ぶんえいのやく
文永の役
1274年。元軍は対馬・壱岐をへて、博多湾岸(福岡市)に上陸。元軍の集団戦法と火器に対し幕府軍は苦戦しましたが、内紛や暴風雨のため元軍は引きあげます。編集
ぶんめいかいか
文明開化
欧米の文化が取り入れられ、都市を中心として伝統的な生活が変化し始めたこと。編集
ぶんろくのえき
文禄の役
1592年、明の征服をめざして15万人の大軍を送りました。首都漢城(ソウル)を占領。北部に進むが明におしもどされ、民衆による抵抗運動に合います。朝鮮南部では、李舜臣の水軍が亀甲船で日本の水軍を破ります。編集
へいけものがたり
平家物語
軍紀物。口語を交えたわかりやすい文章。源平の争乱での武士の活躍を描きました。琵琶法師によって語り伝えられました。編集
へいせいふきょう
平成不況
企業の倒産が増え、失業者が多くなります。政府は政府活動に対する規制の緩和、国営事業の民営化を進めました。貧富の格差と都市と地方の格差が拡大しました。編集
へいのうぶんり
兵農分離
武士と農民の身分をはっきりと区別しました。編集
べとなむせんそう
ベトナム戦争
中ソの支援を受ける北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線が南北に分かれ戦う。アメリカの介入で戦争が激化。1973年にアメリカが撤退し、1975年北ベトナムが勝利し、翌年に統一されました。編集
べるさいゆじょうやく
ベルサイユ条約
パリ講和会議が結ばれる。ドイツの植民地を失い、領土を縮小され、巨額の賠償金と軍縮縮小を課せられました。日本はドイツか持っていた中国の山東省の権益、植民地の委任統治権を得る。編集
ほうじょうき
方丈記
社会のむなしさを鴨長明が記しました。編集
ぼしんせんそう
戊辰戦争
鳥羽・伏見の戦いに始まり、函館(五稜郭)の戦いで終わった旧幕府軍と新政府軍の間の戦争。新政府軍が旧幕府軍を破り国内を平定。編集
まつお ばしょう
松尾芭蕉
自己の内面を表現する作風を生み出し、俳諧(俳句)を芸術に高める。奥の細道など。編集
まんようしゅう
万葉集
天皇や貴族、防人や農民などの和歌約4500首をおさめてあります。大伴家持がまとめたといわれています。編集
みんぽんしゅぎ
民本主義
吉野作造が、普通選挙によって国民の意向を政治に反映させることを主張。編集
もりそんごうじけん
モリソン号事件
アメリカの商船モリソン号が、日本の漂流民を送り届け通商を要求。幕府はこれに対して砲撃します。編集
もんてすきゅー
モンテスキュー
&aname(): Invalid ID string: montesukyuほ;法の精神と三権分立を説きました。編集
やましろのくにいっき
山城国一揆
山城(京都市)南部で、武士と農民が守護大名を追い払う。編集
やよいどき
弥生土器
高温で焼かれたため赤褐色をしています。薄手で固めの土器です。編集
よーろっぱきょうどうたい いーしー
ヨーロッパ共同体(EC)
西ヨーロッパ諸国の経済統合編集
よーろっぱれんごう いーゆー
ヨーロッパ連合(EU)
&aname(): Invalid ID string: yoほrohparengouiほyuほ;ECから発展。東ヨーロッパにも拡大。域内での関税の廃止。共通通貨はユーロ。国境を自由に行き来できます。編集
らんがく
蘭学
杉田玄白が「解体新書」を出版し、オランダ語でヨーロッパの文化を研究する文学の基礎を築く。編集
りつりょうこっか
律令国家
律令にもとづいて政治を行う国家。律は刑罰のきまりで、令は政治を行ううえでのきまりです。天皇と貴族が中心となって運営しています。編集
りょうがえしょう
両替商
金銀の交換や金貸しなどで経済力をつける。三井(江戸)、鴻池(大阪)など。編集
るそー
ルソー
&aname(): Invalid ID string: rusoほ;社会契約説と人民主権を主張しました。編集
れんごうこくさいこうしれいかんそうしれいぶ じーえいちきゅー
連合国最高司令官総司令部(GHQ)
&aname(): ID too long;間接統治によって戦後改革を行う。GHQの最高司令官は、マッカーサーでした。編集
ろっく
ロック
社会契約説と抵抗権を訴えました。編集
わしんとんかいぎ
ワシントン会議
海軍の軍縮の制限、太平洋地域の現状維持、中国の独立と領土の保全を確認。編集

top