仲哀天皇
仲哀天皇
ちゅうあいてんのう
?-200
- 別:
- 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)、178-192 皇太子、192-200 仲哀天皇
- 父:
- 日本武尊(やまとたけるのみこと)の皇子
- 母:
- 両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)
- 室:
- 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)
- 子:
- 去来紗別尊(応神天皇)
第14代に数えられる天皇。伝によると熊襲を討つため,皇后とともに筑紫に行幸したとき,まず新羅を討つべしという神の託宣にそむいたため,神の怒りにふれて戦陣で没したという。この頃朝鮮半島との関係が深くなったことは事実で,その後百済の日本遣使,日本軍の高句麗との交戦なども伝えられている。陵墓は仲哀天皇陵,岡ミサンザイ古墳とも呼ばれる大阪府藤井寺市藤井寺の恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)で,2019年世界遺産の文化遺産に登録。
皇居・角鹿笥飯宮(つのがのけい)・穴門豊浦宮(あなとのとよら)・橿日宮(かしひ)
陵墓 陵名・恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)
古墳・岡ミサンザイ古墳
形状・前方後円墳、堀
所在・大阪府藤井寺市藤井寺四丁目
仲哀天皇(足仲彦尊)
生没年:?-200
父:日本武尊
178-192 皇太子
192-200 仲哀天皇
皇后:神功皇后 息長足姫命(父:息長宿禰王)
200-310 誉田別尊
妃:大中比売命(父:大枝命)
麛坂皇子
忍熊皇子
妃:弟媛(父:朱熊田造祖大酒主)
誉屋別命
略歴(2世紀)(3世紀)
178-戊午-成務48年03月01日 立太子。31歳
190-庚午-成務60年06月11日 成務天皇が崩御する
191-辛未-成務61年09月06日 成務天皇を倭の狭城盾列陵(さきのたたなみのみささぎ)に葬る。(奈良市山陵町)
192-壬申-仲哀01年01月11日 即位
193-癸酉-仲哀02年01月11日 気長足姫命を皇后とする。
193-癸酉-仲哀02年03月15日 紀伊国を巡行中の天皇は貢を奉らぬ熊襲を討とうと決意し、気長足姫命と穴門で落合う約束をして紀伊国からそのまま出発
193-癸酉-仲哀02年09月 宮を穴門に建てて住む
199-仲哀08年09月05日 気長足姫命(神功皇后)に神がかりし、先に新羅を討つよう神託を受けるが疑い熊襲を討とうとしたが勝てずに 筑紫に帰る。
200-仲哀09年02月05日 病床につく
200-仲哀09年02月06日 筑紫の香椎宮で崩御 (神の神託に従わず病没したと伝えられる)52歳。皇后は、崩御を公表せず遺骸を式内宿禰に託し、穴門に戻し灯火を焚かず仮葬した。
日本武尊━━━仲哀天皇━┳━誉田別尊(応神天皇)
┣━麛坂皇子
┣━忍熊皇子
┗━誉屋別命