安閑天皇

安閑天皇

あんかんてんのう
 466-535
別:勾大兄広国押武金日尊(まがりのおひねひろくにおしたけかなひみこと)、勾大兄尊(まがりのおおえ)、広国押武金日尊(ひとくにおしたけかなひ)
父:継体天皇(けいたいてんのう)の第一皇子
母:尾張目子媛(おわりのめのこひめ)
室:皇后:春日山田皇女(かすがのやまだ)(父:仁賢天皇)、妃:宅媛(父:物部木蓮子大連)、妃:紗手媛(父:許勢男人大臣)、妃:香香有媛(父:許勢男人大臣)
子:武小広国押盾尊(宣化天皇

第27代に数えられる大和朝廷の天皇。摂津三島の竹村屯倉を始め全国に屯倉を数多く作り、皇室財政に大きく貢献した。
勾金橋宮(奈良県橿原市)に皇居を構え、安閑2年に没して古市高屋丘陵に葬られた。
即位の年次に関しては、安閑天皇とその同母弟の宣化天皇、および異母弟の欽明天皇がそれぞれ同時期に皇位にあったという王朝併立説も提起されている。
陵墓は大阪府羽曳野市の古市高屋丘陵。

安閑天皇(勾大兄広国押武金日尊)

  生没年:466-535
  父:継体天皇
    513-531 皇太子
    531-535 安閑天皇
  皇后:春日山田皇女(父:仁賢天皇
    豊彦王
  妃:宅媛(父:物部木蓮子大連)
  妃:紗手媛(父:許勢男人大臣)
  妃:香香有媛(父:許勢男人大臣)
 
安閑天皇
                     
皇居 勾金橋宮(まがりのかなはし) 奈良県橿原市曲川町

略歴(5世紀) (6世紀)
466-丙午-雄略10年 生誕
531-辛亥-継体25年02月07日 即位、継体天皇崩御
大伴大連金村と物部麁鹿火大連(もののべのあらかい)を元のとおり大連とする。
532-壬子-安間01年01月 都を倭の勾金橋宮とする
532-壬子-安間01年03月06日 仁賢天皇の娘の春日山田皇女を皇后として迎える
535-乙卯-安閑04年12月17日 崩御 70歳


継体天皇━━━安閑天皇━━━豊彦王


天皇家