栗隅王
栗隅王
?-676
別:栗前王
父:難波皇子
栗隅王
生没年:-677
父:難波皇子
大宰帥
兵政長官
従二位
妻:
-708 美努王(橘氏へ)
武家王(以下保留)
?-676 飛鳥(あすか)時代の官吏。
敏達(びだつ)天皇の孫。また曾孫ともいう。天智(てんじ)天皇7年筑紫率(つくしのかみ)となる。壬申(じんしん)の乱(672)で大友皇子の出兵命令を拒否し筑紫をうごかなかったため佐伯男(さえきの-おのこ)におそわれたが,子の三野(みのの)王,武家(たけいえの)王がふせいだ。天武天皇4年兵政官長。天武天皇5年6月死去。「くるくまおう」ともよみ,栗前王ともかく。
難波皇子━━━栗隅王━┳━美努王(三野王)(みのの)
┗━武家王(たけいえの)