湯原親王
湯原親王
ゆはらおう/ゆはらのおおきみ
生没年不詳
父:施基皇子(志貴皇子)の子
奈良時代の皇族,歌人。天智天皇の孫で。宝亀1(770)年,兄弟の白壁王が即位して光仁天皇となり,兄弟姉妹諸王子を親王,内親王としたことをもって湯原親王と称されるが,閲歴は明らかでない。延暦24(805)年73歳で薨じた大納言壱志濃王は,その第2子である。『万葉集』に,配列上から天平初期(729年以後)ごろの作品と推定される短歌19首が残る。佳作が多く,「吉野にある菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山陰にして」「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも」といった叙景・詠物の歌には,繊細優美な風を示し,「蜻蛉羽の袖振る妹を 玉匣奥に思ふを見給へあが君」などの宴席歌,また「娘子」との相聞贈答歌群では,即興的,機知的な才をのぞかせている。大伴家持に代表される天平の歌風への移行期において,大伴坂上郎女らと共にその新風を開いた観があり,家持に与えた影響も少なくない。
湯原親王
生没年:
父:施基皇子
妻:
733-805 大納言 壱志濃王(子:美海高槻)
尾張女王(夫:光仁天皇)
施基皇子━━━湯原親王━┳━大納言 壱志濃王(子:美海高槻)
┗━尾張女王(夫:光仁天皇)