皇極天皇

皇極天皇

こうぎょくてんのう
 594-661

別:
宝皇女
父:
茅渟王

[594~661]第35代天皇。女帝。在位642~645。敏達天皇の孫の茅渟王(ちぬのおおきみ)の王女で、舒明天皇の皇后。天智・天武両天皇の母。舒明天皇の死後、即位。皇居は小墾田宮(おはりだのみや)。のち、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)に移した。大化元年(645)弟の孝徳天皇に譲位し、その没後、重祚(ちょうそ)して斉明天皇となった。

皇極天皇(宝皇女)

  生没年:594-661
  父:茅渟王
    642-645 皇極天皇
    645 乙巳の変
    655-661 斉明天皇(重祚)
  夫:高向王(祖父:用明天皇
    漢皇子
  夫:舒明天皇
    626-671 中大兄皇子
    建皇子
    631?-686 大海人皇子
    -665 間人皇女(夫:孝徳天皇


名前 第35代 皇極天皇(こうぎょくてんのう)、第37代斉明天皇(さいめいてんのう)と同一人物
宝皇女(たから)、天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひめ)
                     
親族 父親 茅渟王(ちぬ) 母親 吉備姫王(きびひめ)
  配偶者 舒明天皇(じょめいてんのう)          
      子 葛城皇子(かずらきのみこ)天智天皇
        間人皇子(はしひとのひめみこ)孝徳天皇の皇后
        大海皇子(おおあまのみこ)天武天皇
                     
皇居 飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)、飛鳥川原宮、後飛鳥岡本宮
皇極以前にも飛鳥の地に推古天皇の宮などはあったが、現在発掘されている飛鳥京といわれるものは、このあたりからだろうか。
 

略歴(6世紀)(7世紀)
594-甲寅-推古02年 生誕
630-庚寅-舒明02年01月12日 舒明天皇の皇后となる
641-辛丑-舒明13年10月09日 舒明天皇崩御
642-壬寅-皇極01年01月15日 皇極天皇として即位
蘇我蝦夷を大臣とする。実際に政権を執ったのは蝦夷の子蘇我入鹿
642-壬寅-皇極01年02月22日 高麗・百済の客を難波の郡で饗応
642-壬寅-皇極01年09月03日 百済大寺の建立の詔
642-壬寅-皇極01年09月19日 飛鳥板蓋宮造営の詔
飛鳥岡本宮にいた皇極は蘇我蝦夷に12月までに新しい宮殿を造ることを命じる。
642-壬寅-皇極01年10月08日 地震、雨
642-壬寅-皇極01年10月09日 地震、風
642-壬寅-皇極01年10月24日 夜中に地震
642-壬寅-皇極01年12月21日 舒明天皇を滑谷岡 (なめはざまのおか)に奉葬する。命じていた12月までには新しい宮が完成せず、推古天皇の宮の小墾田宮に移っている。
643-癸卯-皇極02年04月28日 ようやく新しい宮が出来た。この日に飛鳥板蓋宮に移っている
643-癸卯-皇極02年09月11日 母吉備姫王(きびひめ)薨去
643-癸卯-皇極02年09月17日 吉備姫の葬儀
643-癸卯-皇極02年09月19日 吉備姫を檀弓岡(まゆみのおか)(奈良県明日香村半田)に葬る
643-癸卯-皇極02年09月30日 吉備姫の墓を造り終える
645-乙巳-皇極04年06月12日 入鹿殺害が実行される
645-乙巳-大化01年06月14日 皇位を軽皇子(孝徳天皇)に譲り、皇太子を中大兄として、皇極天皇として は退位する
645-乙巳-大化01年12月09日 孝徳天皇が都を難波に移す。
たぶんこのとき中大兄らと共に難波に移ったであろう
647-丁未-大化03年 難波宮に入っていたが中大兄らと共に飛鳥へ帰る。
655-乙卯-斉明01年01月03日 斉明天皇として即位


茅渟王━━━皇極天皇━┳━漢皇子
           ┣━中大兄皇子
           ┣━建皇子
           ┣━大海人皇子
           ┗━間人皇女(夫:孝徳天皇


天皇家