称徳天皇

名前 第48代 称徳天皇(称徳てんのう)、阿倍(あべ)、宝字称徳孝謙皇帝、高野天皇、法基尼 ・・・・・孝謙天皇との重祚
                     
親族 父親 聖武天皇 母親 藤原安宿媛(光明子、光明皇后)
  配偶者 なし          
                     
皇居 平城宮
                     
陵墓 陵名 高野陵(たかののみささぎ)
  古墳 佐紀高塚古墳 形状 前方後円墳、堀
  所在地 奈良県奈良市山陵町

略歴(8世紀)
718-戊午-養老02年 生誕
738-戊寅-天平10年01月13日 立太子
749-己丑-天平勝宝01年07月02日 孝謙天皇として即位
758-戊戌-天平宝字02年08月01日 退位して淳仁天皇が即位
764-甲辰-天平宝字08年10月09日 淳仁天皇を廃して称徳天皇として再び即位
766-丙午-天平神護02年10月20日 隅寺毘沙門天像から仏舎利出現により道鏡を法皇とする
769-己酉-神護景雲03年09月25日 道鏡の皇位継承を阻止した和氣清麻呂を大隈国へ配流
宇佐神宮の八幡大神が「道鏡をして皇位に即かしめば、天下太平ならむ」という神託を下した、という報告が大宰主神(中臣習宜阿曾麻呂(なかとみのすげのあそまろ)からもたらされた。これはもちろん阿曾麻呂による道鏡への追従であったが道鏡を寵愛する称徳女帝は狂喜し神託の確認のため腹心の女官である法均尼の弟、清麻呂を派遣した。
しかし、派遣された清麻呂は道鏡の甘言に屈せず、「我が国家開闢けてより以来、君臣定まりぬ。臣を以て君とすることは、未だ有らず。天の日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は早に掃ひ除くべし」と、堂々と神託を告げた。
清麻呂はそれを排して自ら神託を得たのだろう。
激怒した道鏡と称徳天皇は神官たちの得た神託と異なるものを伝えた罪により清麻呂に先に与えた和気の姓を除き、代わりに別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)、法均を還俗させ広虫売(ひろむしめ)と改名させてそれぞれ大隅(鹿児島県東部)、備後(広島県東部)に流した。
しかし、その一方で神託を改めて問う、ということが何故か行われなかったのは清麻呂の正論を称徳天皇が理解したとみても良いのではないだろうか。
770-庚戌-神護景雲04年08月04日 崩御