舒明天皇

舒明天皇

じょめいてんのう
 593-641
別:息長足日広額尊(おきながたらしひひろぬか)
父:押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえ)
母:糠手姫皇女(ぬかてひめ)
室:宝皇女(皇極・斉明天皇) 、妃・法堤郎姫(ほていのいらつめ)(蘇我馬子の娘)
子:子・葛城皇子(かずらきのみこ)天智天皇、子・間人皇子(はしひとのひめみこ)孝徳天皇の皇后、子・大海皇子(おおあまのみこ)天武天皇、子・古人大兄皇子(ほていのいらつめ)

[生]推古1(593).大和
[没]舒明13(641).10.9.
第 34代の天皇 (在位 629~641) 。名は息長足日広額尊 (おきながたらしひひろぬかのみこと) ,また田村。敏達天皇の皇孫にあたる。押坂彦人大兄皇子の子,母は糠手姫皇女。舒明1 (629) 年即位。翌年宝皇女 (のちの皇極天皇,さらに重祚して斉明天皇) を皇后に立て,都を大和の飛鳥岡本宮に遷した。その治世中は蘇我蝦夷,入鹿が絶大な権力を有していた。陵墓は奈良県桜井市大字忍阪の押坂内陵。

舒明天皇(息長足日広額尊)

  生没年:593-641
  父:押坂彦人大兄皇子
    629-641 舒明天皇
    630 第一回遣唐使
  皇后:斉明天皇
    626-671 中大兄皇子
    建皇子
    631?-686 大海人皇子
    -665 間人皇女(夫:孝徳天皇
  妃:蘇我法提郎媛(父:蘇我馬子)
    -645 古人大兄皇子
    布敷皇女
  妃:田眼皇女(父:敏逹天皇
    押坂錦間皇女
  妃:蘇我手杯娘(父:蘇我蝦夷)
    箭田皇女
  妃:吉備国蚊屋采女
    蚊屋皇子(以下保留)

皇居・飛鳥岡本宮・田中宮・厩坂宮(うまやさか)・百済宮

略歴 (6世紀)(7世紀)
593-癸丑-推古01年 生誕
621-辛巳-推古29年02月05日 聖徳太子薨去
628-戊子-推古36年02月27日 推古天皇が病臥につく
628-戊子-推古36年03月07日 推古天皇が崩御
628-戊子-推古36年09月24日 推古天皇の葬儀。
竹田皇子陵(植山古墳)に追葬されたという。
以後の皇位の決定会議は田村皇子とするか山背大兄皇子とするかで紛糾する。
629-己丑-舒明01年01月04日 即位
630-庚寅-舒明02年01月12日 宝皇女を皇后とする。(後の皇極、斉明天皇
630-庚寅-舒明02年10月12日 都を飛鳥岡のほとり岡本宮に移す
631-辛卯-舒明03年09月19日 摂津国の有馬の湯に行幸
631-辛卯-舒明03年12月13日 有馬から帰る
636-丙申-舒明08年06月 岡本宮が火災で焼け臨時に田中宮に移る
638-戊戌-舒明10年10月 有馬の湯に行幸
639-己亥-舒明11年01月08日 有馬から帰る
639-己亥-舒明11年12月14日 伊予温湯宮(愛媛県松山市道後温泉)行幸。
640-庚子-舒明12年04月16日 伊予温湯宮から帰り厩坂宮(うまやさか)へ移る(橿原市大軽町)
640-庚子-舒明12年10月 百済宮に移る
640-庚子-舒明12年12月14日 百済川(曽我川)(奈良県広陵町)のほとりに九重塔を建てる(百済宮)
641-辛丑-舒明13年10月09日 百済宮で崩御(49歳)。宮の北で殯(もがり)にふされる。
642-壬寅-皇極01年12月21日 滑谷岡に奉葬される。
643-癸卯-皇極02年09月06日 押坂陵に改葬される。


押坂彦人大兄皇子━━━舒明天皇━┳━中大兄皇子
                ┣━建皇子
                ┣━大海人皇子
                ┣━間人皇女(夫:孝徳天皇
                ┣━古人大兄皇子
                ┣━布敷皇女
                ┣━押坂錦間皇女
                ┣━箭田皇女
                ┗━蚊屋皇子(以下保留)


天皇家