良泰親王
良泰親王
よしやすしんのう
建徳元年(1370年) - 嘉吉3年5月7日(1443年6月4日)
別:小倉宮
父:後亀山天皇の第三皇子
南朝最後の天皇である後亀山天皇の第三皇子。小倉宮とよばれた。後亀山天皇の皇太子であったとも伝わる。後亀山天皇の皇子には小倉宮恒敦がおり、その諱を『南朝皇胤紹運録』では「良泰」としているが、同一人物かは不明。その息子小倉宮聖承の諱も「良泰」とされるが、彼との関係も不明である。いずれにせよ、良泰親王に関しては小倉宮恒敦や小倉宮聖承を習合している部分が否めないと考えられている。 息子に泰仁王がいたとされ、南天皇で知られる尊雅王は四男とされる。また、嘉吉3年(1443)9月に起きた禁闕の変の首謀者である通蔵主 ・金蔵主の兄弟は良泰親王の息子とされるが、資料不足で詳細は不明。
良泰親王
生没年:
父:後亀山天皇
小倉宮
妻:
-1428 妙福院宮 義仁王
山階宮 泰仁王
-1443 北山宮 尊義王(子:1440-1457 尊秀王、-1457 玉河宮 忠義王)
1436-1458 市河宮 尊雅王
尊慶王(子:小瀬宮 凞高王、十津川宮 凞国王)
尊子女王
後亀山天皇━┳━
┣━
┗━良泰親王━┳━妙福院宮 義仁王
┣━山階宮 泰仁王
┣━北山宮 尊義王(子:1440-1457 尊秀王、-1457 玉河宮 忠義王)
┣━市河宮 尊雅王
┣━尊慶王(子:小瀬宮 凞高王、十津川宮 凞国王)
┗━尊子女王