長慶天皇

長慶天皇

ちょうけいてんのう
 1343-1394
別:寛成親王(ゆたなり)、覚理、慶寿院
父:後村上天皇
母:近衛勝子(嘉喜門院)
室:未詳

第98代天皇。後村上天皇第一皇子。文学・和歌に優れた。著書に『仙源抄』がある。応永元年(1394)歿、52才。

南朝第3代の天皇にあたる。住吉行宮で践祚
吉野、河内国天野山、大和国栄山寺などを行宮とした。弟に譲位後しばらく院政をしいていたといわれる。
事蹟に不明な点が多く、大正15年10月21日になって漸く皇位にあったことが認められた天皇である。

皇居 住吉行宮他
墓 陵墓=嵯峨東陵(さがのひがしのみささぎ)
形状=円丘
場所=京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町

100箇所以上あった陵墓候補地の中から、長慶天皇の住居であったと思われる場所を、崩御後は供養所であったに違いない、ということで整備して、昭和19 年02月11日(紀元節)に現陵と定めた。
はじめからここには遺骸はないと承知の上での治定であった。

長慶天皇(寛成親王)

  生没年:1343-1394
  父:後村上天皇
    1368-1383 長慶天皇
  中宮:(父:内大臣 西園寺公重)
    1381-1427 権僧正 行悟
  女御:某氏教子
    世泰親王
  女:
    1374-1443 海門承朝
    1376-1432 大僧正 尊聖
    玉川宮(子:王女(夫:足利義教))

略歴(14世紀)
1343-癸未-康永02(興国04)年以下不詳 生誕
1368-戊申-応安元(正平23)年03月11日 即位
1383-癸亥-永徳03(弘和03)年以下不詳 退位
1394-甲戌-応永元年08月01日 崩御 52歳


天皇家