高市皇子
高市皇子
たけちのおうじ
白雉5(654)~持統10(696).7.10.
天武天皇の第1皇子。母は胸形君徳善の娘,尼子娘 (あまこのいらつめ) 。壬申の乱には,大海皇子 (天武天皇) のもとに走り,軍を統率して大いに活躍。持統3 (689) 年皇太子草壁皇子が死ぬと,翌年太政大臣になった。持統天皇を助けて政治万般にあたり,藤原京の建設にも貢献した。食封 (じきふ) も 5000戸に上り,香具山のふもとに広大な宮殿を営んだという。『万葉集』には十市皇女の死を哀傷した短歌3首が収められている。柿本人麻呂が,皇子の死をいたんだ挽歌は有名。その墓所は明らかでない。
天武天皇━━━高市皇子━┳━長屋王
┣━鈴鹿王
┗━山形女王