「土人」は「差別」なのか
2016/11/17 07:00

反応

 鶴保庸介沖縄・北方担当相が8日、沖縄県の米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)移設工事反対派に対し、大阪府警の機動隊員が「土人」と発言したことについて、「差別であるとは断定できない」と述べたことが尾を引いている。鶴保氏は「人権問題であるかどうかの問題で、一方的に決め付けるのは非常に危険だ」と指摘したが、野党やマスメディアは一斉に反発した。

 例えば民進党の蓮舫代表は、9日の党参院議員総会でこう批判した。

 「問題ではない、差別ではないって、どういうことなんでしょうか。担当大臣がこんな考え方で、沖縄に向き合うことができるんでしょうか」

 この問題について16日付の朝刊各紙では、日経新聞1面コラムと産経新聞の作家の曽野綾子氏のコラムが、対照的な見方で取り上げていた。

 日経コラムは「そんな言葉を繰り出した『心』が見えて悲しい」と書いた上で、こう断じていた。

 「もちろん活動家が浴びせる罵声だって相当なものではあろう。しかし、だからといって『土人』は許されない」

 一方、曽野氏のコラムは次のように正反対の見解を示している。

 「私は父のことを『東京土人』とか、『東京原住民』とかよく書いている。私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう。『沖縄の土人』というのは、蔑称だと思う蓮舫氏の方こそ、差別感の持ち主だと思われる」

 試みに手元の辞書で「土人」の意味を引くと、岩波国語辞典では「(1)土着の住民、土民(2)原始的生活をする、土着の人種」とある。また、広辞苑には「(1)その土地に生れ住む人。土着の人(2)未開の土着人。軽侮の意を含んで使われた(3)土でつくった人形。土人形。泥人形」と記されていた。

 どちらも(1)の意味なら何の問題もない。(2)の意味で使ったとすると確かに不適切だが、かといって直ちに「差別」に結びつけるのも無理があると感じる。だとすると、鶴保氏の言葉は本来、問題視されるようなものではないはずである。

 「相手が差別だと感じたならばそれは差別なのだ」という論調も見かけるが、そんなに恣意(しい)的に「差別」をつくっていいものか。差別とは、決して安易にもてあそんでいい言葉ではない。それこそ、安直な言葉狩りや言論弾圧を招きかねない危険な発想である。

 この「土人発言」問題をめぐっては、評論家の呉智英氏も「週刊ポスト」(11月18日号)のコラムで、こう主張していた。

 「私は三十年以上前から何の問題もないと主張してきた。事実、当時普通に使われていた言葉である」

 「土着という言葉を知らない無知な輩(やから)が『土に汚れた人』の意味だと『差別認定』して騒いでいるのだ」

 ちなみに10月に沖縄県に出張した際、現地の人たちとの間でこの話題になった。沖縄県警関係者から話を聴いたというある市議によると、「土人発言」をした機動隊員は、工事反対の活動家らにあらかじめマークされていたのだという。

 激高しやすいと目を付けられ、ビデオカメラの前で不適切発言をするように仕向けられたのだろうという話だった。

 「自分が狙われていることが何で分からないのか」

 県警関係者はこうこぼしていたとのことだ。真偽は確かめられないので「断定できない」が、ありそうな話ではある。(論説委員兼政治部編集委員)


https://www.sankei.com/article/20161117-76ED4ICV5ZPXRH3ERFCWSUF2H4/

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Last-modified: 2024-04-09 (火) 10:18:32