鎌倉時代

1185壇ノ浦の戦平氏滅亡(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
1185島津忠久、島津荘下司職に補任(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
1185日本最古の漫画「鳥獣戯画」ができる平安時代末期頃(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
1185源頼朝が全国に守護、地頭(じとう)を置く(名目は源義経を捕縛)この頃には鎌倉幕府が成立する(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
1185-02屋島の戦いで源義経が勝利。平氏の敗走(日本-日本-)
1185-03壇ノ浦の戦いで源義経が勝利。平氏の滅亡。平安時代末期頃。日本最古の漫画「鳥獣戯画」ができる(日本-日本-)
1185島津忠久、島津荘下司職に補任(日本-日本-)
1185平安時代鎌倉時代-[1185年~1333年](日本-日本-平安時代鎌倉時代)
11852屋島の戦いで源義経が勝利。平氏の敗走(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
11853壇ノ浦の戦いで源義経が勝利。平氏の滅亡(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
1185324第81代安徳天皇崩御8歳(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
1185524源頼朝の不興を解く為に鎌倉へ向かった義經が、腰越で留められた為、書状を大江広元に託す(腰越状)(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
118579京都大地震(M7.4)。近江・山城・大和に被害(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
1185814寿永から文治(ぶんじ)(1185.8.14-1189)に改元(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
11851017堀川夜討ち。源頼朝の密命で土佐坊昌俊が京都・堀河館の義經を襲うが敗走(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
11851018後白河法皇が、源義經に頼朝追討の院宣を下す(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
11851117吉野山中で源義經と別れた愛妾・静御前が鎌倉幕府方に捕縛される(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
11851129鎌倉幕府が、源義經追討を名目に諸国に守護・地頭を置くことを後白河法皇に勅許させる(日本-日本-平安時代鎌倉時代)
1186忠久、島津荘総地頭職になり、姓と十字家紋を賜う(日本-日本-鎌倉時代)
1186頼朝、荘園の兵粮米停止を奏上(日本-日本-鎌倉時代)
1186729源義經の愛妾・静御前が安達新三郎の家で男子を出産するが、頼朝の命により溺殺される(日本-日本-鎌倉時代)
1187源義経、陸奥の藤原秀衝のもとに逃れる(日本-日本-鎌倉時代)
1187210源義經が奥州平泉の藤原秀衡のもとに逃げ込む(日本-日本-鎌倉時代)
1188宣旨により藤原基成・泰衝に義経追討を命ず(日本-日本-鎌倉時代)
1189藤原泰衝、源義経を衣川に殺す 頼朝、藤原泰衝を討つ(日本-日本-鎌倉時代)
1189奥州合戦で奥州藤原氏、源義経、武蔵坊弁慶が滅亡(日本-日本-鎌倉時代)
1189719源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡追討の為に鎌倉を出発。軍勢の総数は28万とも伝えられる。(日本-日本-鎌倉時代)
11899328万の大軍を率いた源頼朝が奥州平泉に来攻。藤原泰衡は逃走中に家臣・河田次郎に殺され、奥州藤原氏が滅亡(日本-日本-鎌倉時代)
1189922源頼朝が、奥州藤原氏討伐に功績のあった葛西清重を奥州総奉行に任命。奥州支配を確立する(日本-日本-鎌倉時代)
1190頼朝入京し、法王に謁す。右近衛大将を辞し鎌倉に帰る(日本-日本-鎌倉時代)
1190奈良時代/鎌倉時代(日本-日本-鎌倉時代)
1190源頼朝が右近衛大将(うこのえのだいしょう)になる(日本-日本-鎌倉時代)
1190頼朝入京し、法王に謁す。右近衛大将を辞し鎌倉に帰る(日本-日本-)
1190411建久(けんきゅう)(1190.4.11-1198)(日本-日本-鎌倉時代)
1190411三合の厄を避ける為、建久[けんきゅう/けんきう]に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1190119源頼朝が後白河法皇に謁見し権大納言に任官(日本-日本-鎌倉時代)
1191栄西帰朝し、臨済宗をひろめる(日本-日本-鎌倉時代)
1191栄西(えいさい)が臨済宗(りんざいしゅう)を伝える(禅宗)(日本-日本-鎌倉時代)
1191栄西帰朝し、臨済宗をひろめる(日本-日本-)
1192平安時代鎌倉時代(1192-1333)(日本-日本-鎌倉時代)
1192鎌倉文化(日本-日本-鎌倉時代)
1192源頼朝が征夷大将軍となる(日本-日本-鎌倉時代)
1192平安時代鎌倉時代(1192 - 1333)(日本-日本-)
1192源頼朝が征夷大将軍となる(日本-日本-)
1192313第77代後白河天皇が崩御(日本-日本-鎌倉時代)
1192712源頼朝が征夷大将軍に就任。鎌倉幕府が成立(日本-日本-鎌倉時代)
1193源範頼、源頼朝に殺される(日本-日本-鎌倉時代)
1193528曾我十郎・五郎兄弟が父・河津三郎祐泰の仇・工藤祐經を討つ(日本-日本-鎌倉時代)
1193817源頼朝が、伊豆・修善寺に幽閉していた弟・範頼を殺害(日本-日本-鎌倉時代)
1194幕府、守護の国衙領侵犯を禁ず(日本-日本-鎌倉時代)
119475延暦寺の訴えにより、栄西らの禅宗を禁止(日本-日本-鎌倉時代)
1195源頼朝、東大寺再建供養に臨席(日本-日本-鎌倉時代)
1195対馬在庁官人の中に惟宗氏の名が初見(八幡宮文書)。(対馬)(日本-日本-)
1195312後鳥羽天皇・源頼朝臨席の元、東大寺再建供養が行われる。この日は、朝から雨。午後に入るとさらに雨足は強まり地震まで起きるという最悪の天候であったという。(日本-日本-鎌倉時代)
1195122為仁(土御門天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1196九条兼実、関白を罷免され九条家一族排斥される(日本-日本-鎌倉時代)
1197島津忠久が薩摩・大隈両国家人の奉行人に補せられる(日本-日本-鎌倉時代)
1197910守成(順徳天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1198111第83代土御門天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1198111第83代 土御門天皇(日本-日本-)
1198823第82代後鳥羽天皇が退位し息子の為仁親王が第83代土御門天皇として即位(日本-日本-鎌倉時代)
11981227源頼朝が落馬。(日本-日本-鎌倉時代)
1199頼朝没、子頼家が家督相続(日本-日本-鎌倉時代)
1199源頼朝が死去。源頼家(母:北条政子)が2代目将軍となる(日本-日本-鎌倉時代)
1199113前年の落馬が元で源頼朝死去(日本-日本-鎌倉時代)
1199427土御門天皇の即位に伴い建久から正治(しょうじ)(1199.4.27-1200)に改元。(日本-日本-鎌倉時代)
1200アイヌ時代(日本-日本-鎌倉時代)
1200梶原景時、上洛を企て駿河で敗死(日本-日本-鎌倉時代)
1200元寇(日本-日本-鎌倉時代)
1200梶原景時の変(梶原氏一族の滅亡)十三人の合議制の開始(日本-日本-鎌倉時代)
1200415守成(順徳天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1201諸国大風雨(日本-日本-鎌倉時代)
1201建仁の乱(城氏一族の反乱)(日本-日本-鎌倉時代)
1201213建仁(けんにん)(1201.2.13-1203)(日本-日本-鎌倉時代)
1202723源頼家が征夷大将軍に任ぜられる(日本-日本-鎌倉時代)
1203島津忠久、比企能員の乱に連座、守護職・地頭職没収(日本-日本-鎌倉時代)
1203北条時政、執権となる(日本-日本-鎌倉時代)
1203比企能員の変(ひきよしかずのへん)-北条時政(政子の父)により比企能員、比企一族が滅亡源実朝(みなもとのさねとも-母:北条政子)が3代目将軍となる北条時政が鎌倉幕府の執権(しっけん)となる(執権のはじまり)運慶、快慶が東大寺南大門の金剛力士像をつくる(日本-日本-鎌倉時代)
1203724仏師運慶・快慶が東大寺金剛力士像の造立を開始。10月に完成(日本-日本-鎌倉時代)
1203929執権・北條時政が将軍・源頼家を伊豆修善寺に幽閉(日本-日本-鎌倉時代)
1203103運慶と快慶が東大寺南大門の金剛力士像を完成させる(日本-日本-鎌倉時代)
1204頼家、北条時政に殺さる諸国地頭の非法を禁止(日本-日本-鎌倉時代)
1204源頼家が暗殺される(日本-日本-鎌倉時代)
1204頼家、北条時政に殺さる 諸国地頭の非法を禁止(日本-日本-)
120422甲子革令の為、元久(げんきゅう)(1204.2.2-1205)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1204321三日平氏の乱。平賀朝雅が伊賀・伊勢の平氏の残党を平定(日本-日本-鎌倉時代)
120497源千幡が征夷大将軍に任ぜられ、名を實朝[さねとも]と改める(日本-日本-鎌倉時代)
1205時政陰謀露見し失脚、子の義時が執権となる(日本-日本-鎌倉時代)
1205畠山重忠の乱(畠山重忠は北条義時(父:時政)に討たれる)牧氏事件(まきしじけん)-将軍の後継者争い。北条時政・牧の方と北条義時・北条政子の争いで北条義時が勝利して執権となる藤原定家による勅撰和歌集「新古今和歌集」ができる(日本-日本-鎌倉時代)
1205622北條時政が武蔵・二俣川で畠山重忠一族を討つ(日本-日本-鎌倉時代)
1205719執権・北條時政が実子の北條政子・義時によって伊豆に追放(日本-日本-鎌倉時代)
1205720前日に初代執権・北條時政を追放した実子・義時が第2代執権に就任(日本-日本-鎌倉時代)
1206幕府、頼朝の恩賞地は大罪を除き没収しない(日本-日本-鎌倉時代)
1206427建永(けんえい)(1206.4.27)(日本-日本-鎌倉時代)
1207幕府、地頭に武蔵国荒野の開墾を命令(日本-日本-鎌倉時代)
12071025承元(じょうげん)(1207.10.25-1210)(日本-日本-鎌倉時代)
1209諸国の国衙、守護人の怠慢により群盗蜂起(日本-日本-鎌倉時代)
1210幕府、武蔵国の大田文を作る(日本-日本-鎌倉時代)
121011/25第84代 順徳天皇(日本-日本-)
12101125第84代順徳天皇(日本-日本-鎌倉時代)
12101125順徳天皇(84)--第83代土御門天皇が退位し、守成親王が第84代順徳天皇として即位(日本-日本-鎌倉時代)
1211再度、東海道に新駅増設(日本-日本-鎌倉時代)
121139建暦(けんりゃく)(1211.3.9-1212)(日本-日本-鎌倉時代)
12111120土佐に流されていた僧・法然が帰洛を許され、京都東山大谷に戻る(日本-日本-鎌倉時代)
1212218茂仁(後堀河天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1213侍所別当の和田義盛、挙兵して敗死(和田合戦)執権北条義時、侍所別当を兼ねる(日本-日本-鎌倉時代)
1213島津忠久、地頭職に還補される(日本-日本-鎌倉時代)
1213和田合戦(和田義盛の反乱で和田義盛は敗死)(日本-日本-鎌倉時代)
1213126地震が相次いだため建暦から建保(けんぽう)(1213.12.6-1218)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1214栄西、実朝に茶を勧める(日本-日本-鎌倉時代)
12141213平徳子(建礼門院)没(日本-日本-鎌倉時代)
1216実朝、渡宋を計画し、陳和卿に造船を命令(日本-日本-鎌倉時代)
12181010懐成(仲恭天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
12181126懐成親王(仲恭天皇)が立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1219実朝横死し、源氏滅亡(日本-日本-鎌倉時代)
1219源実朝が鶴岡八幡宮で公暁(源頼家の子)に暗殺されるその後、2歳の九条頼経(源頼朝の血筋)を次期将軍として迎え入れた。九条頼経が将軍になるまでは北条政子が尼将軍として代行した。(日本-日本-鎌倉時代)
1219412建保から承久(しょうきゅう)(1219.4.12-1221)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1219828鎌倉・鶴岡八幡宮で源實朝が甥の公暁により暗殺される。源氏の正統が断絶(日本-日本-鎌倉時代)
1220226邦仁(後嵯峨天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1221承久の乱1221(東アジア-朝鮮、高麗、日本-)
1221薩摩国満家院郡司・大蔵幸光ら後鳥羽上皇軍に参加、乱後処罰される(日本-日本-鎌倉時代)
1221承久の乱(日本-日本-鎌倉時代)
1221承久の乱(じょうきゅうのらん)後鳥羽上皇(西国:朝廷)と北条義時(東国:鎌倉幕府)の争い。北条義時が勝利して幕府の支配権は西国にも及んだ。更に京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置して朝廷の動きを監視した。(日本-日本-鎌倉時代)
12217/9第86代 後堀河天皇(日本-日本-)
12214/20第85代 仲恭天皇(日本-日本-)
1221.04.20第85代仲恭天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1221.07.09第86代後堀河天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1221420仲恭天皇(85)---第84代順徳天皇が退位し、懐成親王が第85代仲恭天皇として即位(日本-日本-鎌倉時代)
1221514承久の乱。鎌倉幕府倒幕の為、後鳥羽上皇が近隣諸国の武士1700騎を結集(日本-日本-鎌倉時代)
122179後堀河天皇(86)---茂仁(後堀河天皇)が即位(日本-日本-鎌倉時代)
1221713承久の乱で幕府に敗れた後鳥羽上皇が隠岐に流される(日本-日本-鎌倉時代)
1222六波羅探題設置(日本-日本-鎌倉時代)
1222413貞応(じょうおう)(1222.4.13-1223)(日本-日本-鎌倉時代)
1223新補地頭の得分率を定める(日本-日本-鎌倉時代)
1224親鸞、浄土真宗を開く(日本-日本-鎌倉時代)
1224北条義時が死去。北条泰時(北条義時の子)が執権となる連署(れんしょ-副執権相当)の設置(初代は北条時房)親鸞(しんらん)が浄土真宗を伝える(念仏、悪人正機、他力本願)(日本-日本-鎌倉時代)
1224112貞応から元仁(げんにん)(1224.11.2)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1225幕府、評定衆を設置(日本-日本-鎌倉時代)
1225北条政子が死去。北条泰時が評定衆(ひょうじょうしゅう)の設置(日本-日本-鎌倉時代)
122542元仁から嘉禄(かろく)(1225.4.2-1226)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
12251221鎌倉幕府が、政務・司法の評議・裁定の為の「評定衆」を設置(日本-日本-鎌倉時代)
1226頼経、征夷大将軍となる(摂家将軍の始まり)(日本-日本-鎌倉時代)
1226九条頼経が4代目将軍になる(摂家将軍の開始)(日本-日本-鎌倉時代)
1226頼経、征夷大将軍となる(摂家将軍の始まり)(日本-日本-)
1227島津忠時、薩摩守護職(日本-日本-鎌倉時代)
1227道元帰国し、曹洞宗を開く(永平寺)(日本-日本-鎌倉時代)
1227道元(どうげん)が曹洞宗(そうとうしゅう)を伝える(禅宗、永平寺)(日本-日本-鎌倉時代)
122776延暦寺の訴えで、浄土宗などの専修念仏が禁止される(日本-日本-鎌倉時代)
1227121安貞(あんてい)(1227.12.1-1229)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
122935天変が相次いだ為、安貞から寛喜(かんき)(1229.3.5-1231)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1230諸国に大飢饉、餓死者多し(日本-日本-鎌倉時代)
1230222第82代後鳥羽天皇崩御60歳(日本-日本-鎌倉時代)
1231寛喜の飢饉(かんきのききん) 人身売買激増(日本-日本-鎌倉時代)
1231212秀仁(四条天皇)生誕・・・・・蛇足ですが管理人と同じ誕生日です(日本-日本-鎌倉時代)
12311011第83代土御門天皇崩御37歳(日本-日本-鎌倉時代)
12311028秀仁(四条天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1232御成敗式目制定(日本-日本-鎌倉時代)
1232北条泰時による御成敗式目(ごせいばいしきもく)の制定日本初の武家法で江戸時代まで法律の基本とされた。(日本-日本-鎌倉時代)
123242寛喜から貞永(じょうえい)(1232.4.2)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1232810鎌倉幕府3代執権・北條泰時が「貞永式目」(御成敗式目)を制定(日本-日本-鎌倉時代)
1232104第87代四条天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1232104第86代後堀河天皇が退位し秀仁親王が第87代四条天皇として即位(日本-日本-鎌倉時代)
1233415貞永から天福(てんぷく)(1233.4.15)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1234専修念仏宗を禁圧(日本-日本-鎌倉時代)
1234520第85代仲恭天皇崩御17歳(日本-日本-鎌倉時代)
123486後堀河天皇崩御。(茂仁親王)(天皇(86代))<数え23歳>(日本-日本-鎌倉時代)
1234115天変地震により文暦(ぶんりゃく)(1234.11.5)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1235藤原定家による私撰和歌集「小倉百人一首」ができる(日本-日本-鎌倉時代)
1235919地震頻発の為、文暦から嘉禎(かてい)(1235.9.19-1237)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1236興福寺僧徒鎮圧のため大和に守護・地頭設置(日本-日本-鎌倉時代)
1237幕府、諸寺社・国司・領家の訴訟は式目によらない(日本-日本-鎌倉時代)
1238新補地頭の処分法制定(日本-日本-鎌倉時代)
12381123嘉禎から暦仁(りゃくにん)(1238.11.23)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1239幕府、人身売買禁止(日本-日本-鎌倉時代)
123927暦仁から延応(えんおう)(1239.2.7)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1239222第82打義後鳥羽天皇崩御(日本-日本-鎌倉時代)
1239817加賀の白山が噴火。白山権現が焼失(日本-日本-鎌倉時代)
1240御家人の所領譲与・売買を禁止(日本-日本-鎌倉時代)
1240716仁治(にんじゅ)(1240.7.16-1243)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1242九条道家、皇嗣を幕府に諮問する(日本-日本-鎌倉時代)
1242北条泰時が死去。北条経時が執権となる(日本-日本-鎌倉時代)
1242120邦仁親王が第88代後嵯峨天皇として即位(日本-日本-鎌倉時代)
1242226第88代後嵯峨天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1242226第88代 後嵯峨天皇(日本-日本-)
1242326第87代四条天皇が崩御12歳(日本-日本-鎌倉時代)
1242912順徳天皇崩御(守成親王,佐渡院)(天皇(84代))<数え46歳>(日本-日本-鎌倉時代)
1243226仁治から寛元(かんげん)(1243.2.26-1246)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1243610久仁(後深草天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1243810久仁(後深草天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1244賭博禁止  「平家物語」なる(日本-日本-鎌倉時代)
1245養子・飢饉養助・人身売買等の法を定める(日本-日本-鎌倉時代)
1246北条時頼、執権となる(日本-日本-鎌倉時代)
1246北条経時が死去。北条時頼が執権となる宮騒動(北条光時の反乱で、北条時頼が勝利する)(日本-日本-鎌倉時代)
1246大宰府の命により惟宗重尚が阿比留在庁(平太郎国時)を征討したという伝承がある。(対馬)(日本-日本-)
12461/29第89代 後深草天皇(日本-日本-)
1246129第89代後深草天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1246129第88代後嵯峨天皇が退位し第89代後深草天皇が即位(日本-日本-鎌倉時代)
1247宝治合戦…時頼、秦村とその一族を攻め滅ぼす(日本-日本-鎌倉時代)
1247宝治合戦(ほうじかっせん)-北条氏と三浦氏の争い。三浦氏の滅亡(日本-日本-鎌倉時代)
1247228寛元から宝治(ほうじ)(1247.2.28-1248)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1249幕府、引付衆を設置(日本-日本-鎌倉時代)
1249引付衆(ひきつけしゅう)の設置(日本-日本-鎌倉時代)
1249318宝治から建長(けんちょう)(1249.3.18-1255)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1249527恒仁(亀山天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1250幕府、大和の悪党の乱暴禁圧を六波羅に命ず(日本-日本-鎌倉時代)
125157品川沖でかかった鮫の腹から観音像が出る。「鮫頭観音」として安置し後に一帯が鮫洲と呼ばれる(日本-日本-鎌倉時代)
1252五摂家分立(日本-日本-鎌倉時代)
1252宗尊親王(むねたかしんのう)が6代目将軍に就任(皇族将軍の開始)鎌倉に鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像)ができる(日本-日本-鎌倉時代)
1252817鎌倉・長谷大仏が木像から金銅像に鋳直して完成(日本-日本-鎌倉時代)
1253日蓮、日蓮宗をとなえる(日本-日本-鎌倉時代)
1253日蓮が日蓮宗を伝える(法華経、南無妙法蓮華経、立正安国論)(日本-日本-鎌倉時代)
1253427日蓮が安房国小湊浦の清澄山山頂で集まった大衆に初めて法華の教えを説く(日本-日本-鎌倉時代)
1254日蓮「立正安国論」を書く(日本-日本-鎌倉時代)
1256105建長から康元(こうげん)(1256.10.5)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1257園城寺僧徒が、戒壇建立の強訴(日本-日本-鎌倉時代)
1257314康元から正嘉(しょうか)(1257.3.14-1258)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
125887恒仁(亀山天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1259後深草天皇譲位、恒仁親王(亀山天皇)践祚(日本-日本-鎌倉時代)
125911/26第90代 亀山天皇(日本-日本-)
1259326正嘉から正元(しょうげん)(1259.3.26)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
12591126第90代亀山天皇(日本-日本-鎌倉時代)
12591126第89代後深草天皇が退位し、第90代亀山天皇が即位(日本-日本-鎌倉時代)
1260413正元から文応(ぶんおう)(1260.4.13)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1260716日蓮が前執権・北條時頼に『立正安国論』を献進(日本-日本-鎌倉時代)
1261幕府、諸国盗賊・悪党蜂起について禁圧(日本-日本-鎌倉時代)
126122弘長(こうちょう)(1261.2.2-1263)(日本-日本-鎌倉時代)
1261220辛酉革命の為、弘長[こうちょう/こうちやう]に改元(日本-日本-鎌倉時代)
12621128親鸞入寂(日本-日本-鎌倉時代)
1263高麗、日本人の沿岸侵略禁圧を要請(日本-日本-鎌倉時代)
1264228弘長から文永(ぶんえい)(1264.2.28-1274)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1265忠時、長子久経に薩摩守護職を譲る(日本-日本-鎌倉時代)
1265423熙仁(伏見天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1266引付衆廃止、評定衆が訴訟を扱う(日本-日本-鎌倉時代)
1267高麗の使きたる(日本-日本-鎌倉時代)
1267121世仁(後宇多天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1268時宗、執権となり、元の使者を退ける(日本-日本-鎌倉時代)
1268北条時宗が執権となる。モンゴル帝国の元からの服属要求を断る(日本-日本-鎌倉時代)
126812蒙古の使者が国書を携えて来朝(日本-日本-鎌倉時代)
1268825世仁(後宇多天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1269蒙古使、対馬に来着 幕府、引付を復活(対馬)(日本-日本-鎌倉時代)
1270朝廷、蒙古へ拒否の返牒作成するも幕府送らず(日本-日本-鎌倉時代)
1271元使趙良粥、国書をもたらす(日本-日本-鎌倉時代)
1271912日蓮が佐渡島に流される(日本-日本-鎌倉時代)
1272諸国に大田文の銭出命令(日本-日本-鎌倉時代)
1272二月騒動(北条氏一族の争い)(日本-日本-鎌倉時代)
1272217第88代後嵯峨天皇崩御53歳(日本-日本-鎌倉時代)
1273元使趙良弼、再び大宰府に来るも上京拒否(日本-日本-鎌倉時代)
1274文永の役(日本-日本-鎌倉時代)
12741/26第91代 後宇多天皇(日本-日本-)
1274文永の役・水際撃退1274(対馬)(日本、東アジア-日本、朝鮮、高麗、モンゴル-鎌倉時代)
1274モンゴル軍と高麗軍が日本へ侵略
一方モンゴルのグビライは、日本を服従させようとして、2度にわたり、日本侵攻を行ったが失敗した。このとき、高麗は全線基地としての役割を命じられるが、多大な負担を強いられた。(~1281)
高麗と元の第一次日本侵略征伐(文永の役)(対馬)(日本、東アジア-日本、朝鮮、高麗、モンゴル-)
1274高麗・元の第一次日本征伐国史年表(対馬、国史年表)(日本、東アジア-日本、朝鮮、高麗、モンゴル-)
1274元寇-文永の役(ぶんえいのえき)元・高麗軍(約3万人)は対馬・壱岐に続いて博多湾から上陸するが日本軍の奮闘と暴風雨で退却。(対馬)(日本、東アジア-日本、朝鮮、高麗、モンゴル-鎌倉時代)
1274元寇(文永の役)、元・高麗軍4万人が小茂田浜に来襲、対馬守護代宗資国以下80余騎戦死。島民被害甚大。(対馬)(日本、東アジア-日本、朝鮮、高麗、モンゴル-)
1274126第91代後宇多天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1274126第90代亀山天皇が退位し第91代後宇多天皇が即位(日本-日本-鎌倉時代)
1274511日蓮が信奉者の招きにより鎌倉を去り身延山へ(日本-日本-鎌倉時代)
1274105元軍が対馬・壱岐に初来襲。文永の役が始る(対馬)(日本、東アジア-日本、朝鮮、高麗、モンゴル-鎌倉時代)
1275元(モンゴル)から日本へ使者が到着するが処刑する(日本-日本-鎌倉時代)
1275425文永から建治(けんじ)(1275.4.25-1277)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
127597鎌倉幕府執権・北條時宗が、入貢を要求した元の使者5人を斬殺(日本-日本-鎌倉時代)
1276幕府、博多付近の海岸に防塁を築かせる(日本-日本-鎌倉時代)
1276異国征伐を計画する。更に元寇に備えて沿岸に防塁(ぼうるい)を築く(日本-日本-鎌倉時代)
1278元、日本商船の交易を許可(日本-日本-鎌倉時代)
1278229建治から弘安(こうあん)(1278.2.29-1287)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1279元使周福、筑紫に來着元使を博多で斬る(日本-日本、元-鎌倉時代)
1279元(モンゴル)から日本へ使者が到着するが処刑する(日本-日本、元-鎌倉時代)
1279元使周福、筑紫に來着 元使を博多で斬る(日本-日本、元-)
1280島津久経、忠宗に守護職を譲る(日本-日本-鎌倉時代)
1281元が日本を攻める(弘安の役)(日本-日本、元-鎌倉時代)
1281弘安の役…元の東路軍・江南軍博多に来襲、暴風雨で撤退(日本-日本、元-鎌倉時代)
1281元寇-弘安の役(こうあんのえき)再び、元・高麗軍(約14万人)が侵攻してきたが総攻撃の前に台風で壊滅する。(日本-日本、元-鎌倉時代)
1281元寇(弘安の役)、元・高麗・漢軍連合の東路軍が日本世界村(峰町佐賀)に来襲とあるが、被害不明。(対馬)(日本-日本、元-)
1281521壱岐・対馬に高麗の兵船が襲来。弘安の役の始り(対馬)(日本-日本、元-鎌倉時代)
1282興福寺僧徒強訴 春日社神木動座終わる(日本-日本-鎌倉時代)
1282北条時宗が円覚寺舎利殿(えんかくじしゃりでん)を建立(日本-日本-鎌倉時代)
1284北条時宗死去元使、対馬に来着(対馬)(日本-日本-鎌倉時代)
1284北条貞時(ほうじょうさだとき)が執権となる(日本-日本-鎌倉時代)
1284北条時宗死去 元使、対馬に来着(日本-日本-)
1285霜月騒動 内管領平頼綱、安達泰盛一族を滅ぼす(日本-日本-鎌倉時代)
1285霜月騒動(しもつきそうどう)有力御内人(内管領:平頼綱)と有力御家人(安達泰盛)の争い。有力御家人の壊滅。(日本-日本-鎌倉時代)
128522邦治(後二条天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1286幕府、異国警護をさらに厳重にする(日本-日本-鎌倉時代)
1286両統迭立の議が起こる(大覚寺統(南朝)、持明院統(北朝))(日本-日本-鎌倉時代)
128710/21第92代 伏見天皇(日本-日本-)
12871021第92代伏見天皇(日本-日本-鎌倉時代)
12871021第91代後宇多天皇が退位し、第92代伏見天皇が即位(日本-日本-鎌倉時代)
128833胤仁(後伏見天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1288428弘安から正応(しょうおう)(1288.4.28-1292)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1288112尊治(後醍醐天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1289425胤仁(後伏見天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1292日本商船、元に交易要求、高麗使国書を呈す(日本-日本-鎌倉時代)
1293鎮西探題を置き、北条兼時を任命(日本-日本-鎌倉時代)
1293平禅門の乱(へいぜんもんのらん)北条貞時が鎌倉大地震の混乱に乗じて平頼綱とその一族を討つ。(日本-日本-鎌倉時代)
129385正応から永仁(えいにん)(1293.8.5-1298)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1294幕府、霜月騒動の賞罰の詮議を停止(日本-日本-鎌倉時代)
1294多聞丸(楠正成)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1297徳政令発布(えいにんのとくせいれい)-日本初の徳政令(日本-日本-鎌倉時代)
1297永仁の徳政令(日本-日本-鎌倉時代)
1297725富仁(花園天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1297725後の花園天皇生誕。(富仁親王,萩原院)(天皇(95代))[1348年歿](日本-日本-鎌倉時代)
1298幕府、永仁の徳政令を停止(日本-日本-鎌倉時代)
1298722第93代後伏見天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1298722胤仁親王が第93代後伏見天皇として即位(日本-日本-鎌倉時代)
12987227/22第93代 後伏見天皇(日本-日本-)
1298810邦治(後二条天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1299鎮西評定衆を設置鎮西引付衆を設置(日本-日本-鎌倉時代)
1299425永仁から正安(しょうあん)(1299.4.25-1301)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1300越訴を禁止(日本-日本-鎌倉時代)
1300三山時代(14世紀-1429)(日本-日本-)
1300島津忠宗国中の社寺に異国降伏祈願をさせる(日本-日本-鎌倉時代)
13011/21第94代 後二条天皇(日本-日本-)
1301121第94代後二条天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1301121邦治親王が第94代後二条天皇として即位(日本-日本-鎌倉時代)
1301824富仁親王(花園天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1302鎌倉に大火、死者500人に及ぶ(日本-日本-鎌倉時代)
13021121正安から乾元(けんげん)(1302.11.21)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
130385乾元から嘉元(かげん)(1303.8.5-1305)に改元。(日本-日本-鎌倉時代)
1304716第89代後深草天皇が崩御(日本-日本-鎌倉時代)
1305嘉元の乱(かげんのらん)-北条宗方の乱(日本-日本-鎌倉時代)
1305915第90代亀山天皇が崩御(日本-日本-鎌倉時代)
1306日本商船、元の慶元(寧波)に赴き交易(日本-日本-鎌倉時代)
13061214嘉元から徳治(とくじ)(1306.12.14-1307)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1307鎮西探題、蒙古合戦の恩賞地を配分する(日本-日本-鎌倉時代)
13088/26第95代 花園天皇(日本-日本-)
1308825第94代後二条天皇崩御24歳(日本-日本-鎌倉時代)
1308826第95代花園天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1308826第95代花園天皇が即位(日本-日本-鎌倉時代)
1308919尊治(後醍醐天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1308109徳治から延慶(えんぎょう)(1308.10.9-1310)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1310幕府、苅田狼藉を所務沙汰から検断沙汰に移す(日本-日本-鎌倉時代)
1311428延慶から応長(おうちょう)(1311.4.28)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1312320応長から正和(しょうわ)(1312.3.2-1316)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
131379量仁(光厳天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1316北条高時、執権となる(日本-日本-鎌倉時代)
1317文保の和談(日本-日本-鎌倉時代)
1317文保の和談(ぶんぽうのわだん)-皇位継承を巡る幕府からの和談(日本-日本-鎌倉時代)
131723正和から文保(ぶんぽう)(1317.2.3-1318)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
131793第92代伏見天皇崩御53歳(日本-日本-鎌倉時代)
1318この年、僧多数入元(日本-日本-鎌倉時代)
1318後醍醐天皇が即位する(初代南朝天皇)(日本-日本-鎌倉時代)
13182/26第96代 後醍醐天皇(日本-日本-)
1318.02.26第96代後醍醐天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1318226第95代花園天皇が退位し尊治親王が第96代後醍醐天皇として即位(日本-日本-鎌倉時代)
1319428文保から元応(げんおう)(1319.4.28-1320)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1320出羽の蝦夷、安東氏の内紛で蜂起(日本-日本-鎌倉時代)
1321院政をやめ、後醍醐天皇親政(日本-日本-鎌倉時代)
1321223元応から元亨(げんこう)(1321.2.23-1323)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1321129後醍醐天皇が、後宇多天皇の院政を廃して親政を敷く(日本-日本-鎌倉時代)
13211223豊仁(光明天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1322安藤氏の乱(蝦夷の蜂起と安藤氏の内紛)(日本-日本-鎌倉時代)
1324正中の変(日本-日本-鎌倉時代)
1324正中の変(しょうちゅうのへん)-後醍醐天皇による討幕計画で失敗(日本-日本-鎌倉時代)
1324625第91代後宇多天皇崩御58歳(日本-日本-鎌倉時代)
1324919正中の変。六波羅探題が兵を遣し、鎌倉幕府討滅を企てた後醍醐天皇方の土岐頼兼・多治見國長らを殺害し、日野資朝・俊基を捕える(日本-日本-鎌倉時代)
1324129元亨から正中(しょうちゅう)(1324.12.9-1325)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1325幕府、建長寺船を元に遣わす(日本-日本-鎌倉時代)
1326嘉暦の騒動(かりゃくのそうどう)-北条氏の家督争い(日本-日本-鎌倉時代)
13267/24北朝1代 光厳天皇(日本-日本-)
1326.07.24北朝1代光厳天皇(日本-日本-鎌倉時代)
1326424道長と関白の座を争っていた藤原伊周が道長の策謀により太宰権師に左遷される。(日本-日本-鎌倉時代)
1326426正中から嘉暦(かりゃく)(1326.4.26-1328)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1326724量仁(光厳天皇)立太子(日本-日本-鎌倉時代)
1327東大寺の訴えにより、伊加黒田荘の悪党退治(日本-日本-鎌倉時代)
1328義良親王(後村上天皇)生誕(日本-日本-鎌倉時代)
1329829嘉暦から元徳(げんとく)(1329.8.29-1330)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1330延暦寺宗徒、一向宗の禁圧を請う(日本-日本-鎌倉時代)
1330年頃吉田兼好による随筆「徒然草」ができる(日本-日本-鎌倉時代)
1331元弘(南朝)(日本-日本-鎌倉時代)
1331室町(南北朝)時代(日本-日本-鎌倉時代)
1331元弘の変笠置遷幸楠木正成挙兵(日本-日本-鎌倉時代)
1331元弘の乱(げんこうのらん)後醍醐天皇による討幕計画で失敗。護良親王(もりよししんのう)や楠木正成(くすのきまさしげ)などが挙兵した。(日本-日本-鎌倉時代)
1331-09光厳天皇が即位する(初代北朝天皇)(日本-日本-鎌倉時代)
1331元弘の変 笠置遷幸 楠木正成挙兵(日本-日本-)
133155元弘の変。後醍醐天皇の再度の倒幕計画が室町幕府に漏洩し日野俊基らを逮捕。天皇は笠置山に籠城(日本-日本-鎌倉時代)
133189元弘(げんこう)(1331.8.9-1333)南朝は元徳3年「元弘」と改元。(日本-日本-鎌倉時代)
133189元徳から元弘(げんこう)に改元(日本-日本-鎌倉時代)
1331827元弘の変(倒幕計画)に失敗した後醍醐天皇が神器とともに奈良・笠置山に逃れる(日本-日本-鎌倉時代)
1331911元弘の乱で窮地に陥った後醍醐天皇の召しに応じて楠木正成が挙兵(日本-日本-鎌倉時代)
1331920北朝の光厳天皇が即位(日本-日本-鎌倉時代)
1331928笠置山に蘢っていた後醍醐天皇が挙兵。幕府が足利尊氏軍を指し向ける(日本-日本-鎌倉時代)
1331929後醍醐天皇の行在所である笠置山が幕府軍により全焼。逃れた後醍醐天皇は囚われの身となる。(日本-日本-鎌倉時代)
13311021攻め寄る幕府軍に対して河内国赤坂城に蘢城していた楠木正成が城に火をかけて脱出(日本-日本-鎌倉時代)
1332後醍醐天皇、隠岐に流さる(日本-日本-鎌倉時代)
1332後醍醐天皇が隠岐に流刑(翌年、脱出する)(日本-日本-鎌倉時代)
1332428元弘から正慶(北朝)(しょうけい)(1332.4.28-1333)北朝は元徳4年「正慶」と改元。(日本-日本-鎌倉時代)
1333鎌倉幕府滅亡(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333島津貞久、大隈国守護職貞久、鎮西探題を攻撃(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333松平親氏生誕(推定)(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333鎌倉幕府の滅亡(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333鎌倉時代末期一遍(いっぺん)が時宗(じしゅう)を伝える(踊り念仏)(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333建武の新政1333~1336(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333南朝(大覚寺統)初代:後醍醐天皇、奈良の吉野、新田義貞・楠正成・北畠顕家。(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333北朝(持明院統)初代:光厳天皇、京都、足利尊氏・足利直義・高師直。(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333護良親王(後醍醐天皇の子)が征夷大将軍となる記録所、恩賞方、雑訴決断所、武者所を設置する(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333南北朝時代(1333-1392)(日本-日本-建武中興室町時代)
1333島津貞久、大隈国守護職 貞久、鎮西探題を攻撃(日本-日本-)
1333鎌倉時代→南北朝時代(日本-日本-)
1333418足利尊氏が後醍醐天皇による討幕挙兵討伐のため入京(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333427倒幕挙兵討伐の為に丹波に入っていた足利尊氏が、後醍醐天皇に応じて倒幕を決意し挙兵(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
133357倒幕に転じた足利尊氏の攻撃により京都・六波羅探題が陥落(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
133357京都の統治機関である六波羅探題が足利尊氏(あしかがたかうじ)により壊滅。(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
133358新田義貞が上野国で北條氏討伐の旗揚げ(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
133359足利尊氏に攻撃され敗走した六波羅探題・北條仲時が、近江で自刃。432人が殉死した。(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333522新田義貞が鎌倉幕府(14代執権北条高時、北条一族)へ攻め込み滅亡させる。(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333525北朝の光厳天皇が南朝の後醍醐天皇に譲位し一旦南北朝が合一(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333525九州の統治機関である鎮西探題(ちんぜいたんだい)が少弐貞経(しょうにさだつね)・大友貞宗・島津貞久により壊滅。(日本-日本-鎌倉時代建武中興)
1333815北朝の光明天皇が即位。再び南北朝分離へ(日本-日本-鎌倉時代建武中興)